いただきます
獣医というのは基本地獄行きである。
命に手をかけるからである。
命が終わる瞬間、大きく息を吸って本体が肉体から羽ばたいて終わる。
小さい頃、いただきますの意味がよくわからなかった。
スーパーで売っている肉を食べても、生き物を食べている実感がなかった。
ただの肉の塊だからだ。
牧場で歩いている牛を見て、彼らを食べているんだと教えられても実感がわかなかった。
大学の実習で命に手をかけるようになって"いただきます"の意味がよくわかった。
本当に命をいただいているからだ。
生きるのが嫌だと思うくらい辛いこともあるけど、踏みとどまる。
多くの生命が自分の血肉となっているのだから。
生きる責任がある、と。
家畜なのだから食べられるために生まれてくる。
そう言ってしまえば簡単なのかもしれない。
現代の人間の営みを変えることはできない。
人間の営みによって、死ぬために生まれてくる動物たちもいるのだ。
命をささげることなんて、到底できることではない。
でも、頂戴した命に感謝することはできる。
できることからやってみよう。
生物がどう生まれて、どう死んでいくかわからないのに生物を理解することは難しいと思う。
教科書で学ぶ知識は、生死を見たときに初めて”実感した”。
初めて”わかった”のだ。
学ぶために命を捧げてくれた生物たちには感謝しかない。
失われた命はもう戻らないのだ。
医学・生命科学は多くの命の代わりに得た代償でもあるのだ。
その重みは自分が学ぶ原動力になっている。
前に進むしかないのだ、もう後戻りはできないのだから。
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