「マルチな男とピンポイントの女」(江戸川乱歩「芋虫」の二次創作:偏愛)
受け取った名刺を見た彩美は口では
「すごいですねぇ」と言いながら頭では
(え、マルチクリエイターって何)と相手を怪しんでいた。
とはいえ目は男の顔をチラチラと追ってしまう。
何しろ未だかつてないレベルの弩タイプなのだ。
頑張ってちょっとお高いバーに通った甲斐があった。
彩美は地方から都会に出てきた何処にでもいる会社員で、外見は中の上。頭も性格も悪くないし社交性もある。うまく立ち回ればそこそこの彼氏を捕まえることは出来ただろうが、問題があった。
顔への注文が異常に細かいのである。
全てのパーツが好みと一致していなければ付き合う気になれない。
友人には
「あんたいい加減にしな」
と呆れられ、紹介してくれる者もいなくなった。
それで自力で相手を探すしかないと、計算され尽くした控え目なお洒落をして、こんなお店慣れてないのよ恥ずかしいわという演技を醸しつつ、週末にはハイクオリティな男性が寄り道しそうな店に通っていた。
「葛木さんって仰るんですね。あのう、私こういうの疎くて。具体的にはどんなお仕事なんですか?」
「うーん、小説も脚本も書くし、舞台に立ったりもするし。肩書きを並べたら小説家、脚本家、俳優、モデル、写真家とかごちゃごちゃになっちゃうからさ。ひっくるめてマルチクリエイターってしてるんだ。ごめんね?胡散臭いでしょ」
照れながらくしゃっと笑う顔が可愛いが、それも計算尽くなのだろう。
「彩美ちゃんだっけ。なんか、こういう店に来る子には見えないよね」
「ちょっとお酒の勉強がしたいかなって・・・似合いませんよね」
彩美もえへ、と照れ笑いをする。こちらも計算尽くだ。
かくてある意味お似合いの二人は付き合うことになった。
男は本気で彩美に惚れた訳ではなく、遊ぶのに手頃な女が引っかかった位に思っていて、他にも女は居た。
彩美はそうではなかった。付き合うようになって縦横斜め、あらゆる方向から葛木の顔を観察してつくづく、
(間違いない。これこそ私の求めていた顔面よ)
と確信。
遊びの男と本気の女は少しずつすれ違っていく。
葛木は彩美との約束を反故にすることが増えた。彩美は鈍感ではないので相手が関係を切りたがっているのは感じていたが、自分史上最高の顔面を逃す気はない。
<そっか。お仕事なら仕方ないね。体を壊さないでね>などと殊勝なメッセージを送りつつ、葛木の身辺を調べていた。
すると出るわ出るわ、女関係も肩書きに恥じぬマルチっぷり。片手では足りない程の女性と関係を持っていた。相手は出版社の編集、女優、モデルなど多岐に渡る。葛木の仕事柄そうなったのか、あるいは業種をバラつかせることで女同士がブッキングしないように配慮したのか。
さしづめ彩美は一般人担当という所だろう。
「全くしょうがないなぁ」
興信所の調査結果を見た彩美は悲しむというより心配した。こんなに遊びが激しければ体力も衰える。そうなると、あの顔面をキープするのに支障が出ないだろうか。
少し経つと葛木の環境に変化が起きてきた。
(おかしいな。最近仕事のオファーが減ってる・・・)
コラムの連載が打ち切られたり、舞台ではほぼ決まっていた配役から外されたり。じわじわと外堀から埋められるように仕事がなくなってきた。付き合っていた編集者や女優も葛木から離れていく。葛木は彩美を誘うことが多くなった。
「うふふ、最近よくデートしてくれるね。嬉しいっ」
顔を合わせる回数が増えると、葛木も彩美に好意を抱くようになった。
(素直で良い子だよな。料理も上手いし)
葛木は彩美のことを、全てが平均点のような女だと思っていた。多彩な才能を持つ自分には物足りなかった。
それが、自分が不安定な状況になると安定した彩美に頼りたくなる。
ついに葛木は彩美に
「結婚してくれないか」と申し出た。彩美は涙を浮かべて承諾した。
二人の新婚生活が始まった頃、葛木の仕事はほぼゼロになっていた。
「良いのよ、私が働くから。しばらくゆっくりしてね」
と彩美は優しい。
(けれど、ずっと甘える訳にもいかないしな)
葛木は自分の仕事がなぜ急に減ったのか、昔の知り合いに尋ねて回った。徐々に分かったのは、誰かが葛木の悪い噂を流したり他のクリエイターに仕事を回していたということだった。情報の出所を辿ると・・・それが彩美の仕業だと分かった。
「どういうことだ!」
帰宅した彩美を葛木が問い詰める。彩美は悪びれもなく
「だって、貴方に私だけを見て欲しかったから」
と微笑む。
「お、お前」
「貴方がその顔で他の女に微笑むのが嫌だったの。私その顔大好きなんだもの」
純粋な笑顔。葛木は罵詈雑言を浴びせた。プライドの高い男が元々見下していた女にそんな真似をされて我慢出来る筈がない。
「離婚だ!俺は出ていく!」
玄関へ向かう首筋に注射針が刺さり、葛木は倒れた。
「はぁ、せっかく仕事をなくして私の方へ向かうよう環境を整えたのに。手間が掛かったんだけどな」
スペアリブを仕込むのに手間が掛かったというような口調で彩美が言う。
「仕方ないから物理的に手足を捥ぐわね。私、貴方の顔さえあればいいの」
カラカラと床を擦る金属音。
倒れた葛木の目に斧が映った。
(了)