「あなたが海をくれた」(原作:童謡『海』)
ピロン、と着信音が鳴る。
里江のスマホに、祥子からのメッセージ。
次の日曜日にお茶をしない?というお誘いだった。
当日の朝。
「ねぇ。何処のお店?」
里江は訊く。
「うふふ、秘密」
車のハンドルを握りながら、祥子は茶目っ気たっぷりに笑う。
祥子はこういうタイプだ。イベントやサプライズが好き。
インドア派の里江を外へ連れ出してくれる。
車を走らせること小一時間。
「あら、まぁ」
「あらまじゃないわ、ほら、そっちの椅子を持って」
祥子はトランクを開けるとアウトドア用の椅子を指差した。
折り畳式で意外と軽い。
里江に椅子を一つ持たせると祥子はもう一つの椅子とバスケットを抱え、
「あそこにしましょう」
とどんどん歩いて行く。
公園には先客が何組がいた。祥子は
「ここにしましょ」
と木陰を見つけて椅子を置く。シートを広げてバスケットから取り出したのは紅茶の入った水筒とお菓子。
海が目の前だった。
「いいでしょう」
「まぁ本当」
「こういうの、チェアリングっていうんですって」
日差しの暖かな秋の休日。
風が優しい。
「チェアリング?チェアリングね。初めて聞いたわ。覚えなきゃ」
里江は初めての経験に少しはしゃいでいる。
二人は紅茶で乾杯して、お菓子を摘んだ。
「うふふ、遠足みたいね」
「そうよ、大人の遠足よ」
「海は久しぶりだわ」
里江は笑った。
他愛ないお喋りが続き、時が過ぎ、日が照ってきたと言っては椅子を移動し、またお喋りが始まる。
「きれいねぇ」
里江は景色を何度も誉めた。
秋の日が波に煌めき、空と海は等しく蒼く、それは本当に素敵な時間だった。
二人は飽きず語り合い、それでも疲れぬうちに解散にしようと帰路へ着いた。祥子は里江を家まで送り届け、里江は何度も礼を言い、車が見えなくなるまで手を振った。
家に帰った里江は手紙を書いた。
数日後に届いた手紙を、祥子はリビングでゆっくり読んでいた。
娘が訪ねてきて、数日前の素敵なお茶会の話を聞いた。
「お母さん、里江さんを海にって・・」
娘が顔を顰める。
「ご主人が去年、釣りに行って亡くなったっていうのに。忘れたの?」
「忘れてなんかないわよ」
「もう・・・お母さんってば・・」
呆れたようにため息をつく。
母親は貫禄たっぷりのため息をつく。
「そうやって腫れ物扱いにするもんじゃないよ。いつまでも喪に服してろって言うのと同じじゃないか」
「お母さんと違って里江さんは繊細なんだから」
「失礼な娘だねぇ。大丈夫だよ、今度二人で船旅でもしたいねって言ってた位なんだから」
「無理してたんじゃないの。それに車で行ったって?もう、そろそろ免許を返納してって言ってるじゃない」
「ハイハイ。これで最後にするよ」
「全く・・」
母親が手紙をテーブルに広げたまま席を立った。
茶菓子を運んできた娘が便箋に目を留める。
封筒は綺麗なマリンブルー。
積乱雲のように真っ白な便箋に綴られた言葉は、たった一行。
『祥子。わたしに、海を返してくれて、ありがとう』
年老いた友へ。
あなたに、海を。
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