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「プラスチックの動物園」(テネシー・ウイリアムズ「ガラスの動物園」の二次創作)

「ガオ〜」
「わあ、ライオンが襲ってきた。逃げなきゃ」
「ちがうよー、いまのは『ただいま』っていったの」
「え?うさぎさんの家にライオンが帰って来たの?」
「そうだよ。おとうさんだもん」
「パパはライオンかぁ」
「ママはキリンなんだよ」
「え〜、ママはもっと可愛い動物がいいなぁ」
「キリンかわいいよ!ぼく、キリンいちばんすきだもん」

 長閑な会話が続く。男の子が動物のおもちゃで演ずるのは、三人家族の団欒の姿。
「ごはんですよー」
「皆んなで何食べるの?」
「ハンバーグのねー、にんじんがはいってないの」
「真、うさぎさんなら人参食べないとダメだろ」
「まことはふつうのうさぎさんとちがうからいいの」
「人参さん、小さく切ったら食べられるんじゃない?」
「だって、においするもん」

 日差しは暖かく、緑の芝生はほこほこと優しく、それでもなお柔らかな足裏を傷つけまいとふた親は子どもの足が敷物の外へ出ないように気を配る。うさぎとライオンとキリンの家族が幼児に慣れ親しんだ証には、プラスチックの体の模様が手の形に擦り切れていることからも窺い知れる。
 芝生の隅に木製の長椅子がある。ここに孤独なひとが座り、目を閉じ三人の会話に耳を傾けたなら、それは詩か音楽のように聞く者の心を癒すだろう。健やかな幼児と優しい親の声に幼少の幸せを思い出し、或いは想像をして微笑むことだろう。

 その様子を窓越しに初老の男性と若い女性が眺めていた。
「先生。どうですか様子は」
「いつもと変わらないよ」
「柊優男さん。やすおさん・・・珍しい読み方ですよね」
 若い女性が書類を見ながら男性に話しかける。
「四十七歳。息子さんが五歳だから、ご結婚が遅かったんですね」
「いや、学生結婚だよ。妊娠は自然に任せていたがなかなか出来ずに、不妊治療を経てやっと授かったそうだ」
「先生はそんなことまでご存知なんですか」
「柊さんは本来内気な方だが、お子さんのこととなるとよく話してくれる。お子さんの名前を考えるのに大学ノート一冊潰したとか・・ああ、君の世代じゃ大学ノートなんて言わんかね」
「やだ、分かりますよ。真君。いい名前ですね」
「いい意味だし、男女問わず使える。将来性別を変える可能性もあるから、その時に子どもが困らないようにと考えたそうだ」
「いかにも良いパパって感じ」
 見つめる女性の声は悲しい響きがある。

 中庭の男性が顔を上げた。
 芝生から立ち上がり、妻と息子を誘って近づいて来る。その間何度も振り返りあとの二人を気遣う。
 男性が窓を開けた。
「こんにちは。甘いパンってありますか」
 初老の男性が微笑む。白衣のポケットに入れていた手を取り出し、
「こちらでしたら」と差し出す。手の中には何も無い。柊という男はちょっと困った顔をして
「アンパンかぁ。息子はメロンパンが好きなんですが・・あ、すみません。これでお願いします」
 柊は何かを摘んで差し出すような手つきをした。初老の男性は手のひらに何かを受け取り、もう片方の手で何かを渡した。
「どうも」
 柊は何かを大事そうに受け取ると二つに割った。
「はい、真」
「ありがとう」
「もう一つはお前に」
「あら、あなたの分は?」
「俺はいいよ」
「じゃあ私のを半分」
「いいってば。お前は二人分食べないと」
 初老の男性が首を傾げた。
「二人分ですか?」
 柊は照れ臭そうに
「ええ、あの・・実はね、これに二人目が出来まして」
「やあねぇ、これだなんて。ねぇ先生」
「いやいや、おめでとうございます。良かったですねぇ」
「ぼく、おにいちゃんになるの!」
 あははは・・・
 笑い声が湧き立つ。ただひとり、若い女性を除いて。
 女性を見て柊が
「こちらは?」
と訊いた。初老の男性が
「新しいスタッフです。ほら、柊さんにご挨拶を」
 目線に促されて女性が挨拶する。
「あの、白川と申します。よろしくお願いします」
 懸命に笑顔を作った。
「ああどうも。お若いですねぇ。お仕事頑張って下さいね。・・おっと真、待ちなさい!失礼、子どもが」
 また芝生の方へ走って行く子どもと、追いかける父親と、後からゆっくり追いつこうとする母親。そのたった一つの人影を見送り、若い女性は耐えるように口元を覆った。
 初老の男性が小声で嗜める。
「患者さんの前で泣いてはいかんよ」
「す、すみません。でもあまりにお気の毒で・・・」
 初老の男性が開いたままの窓を閉めた。
「今日はパン屋さんだったか」と呟く。

「落ち着きなさい。赴任した時に知らせておいただろう」
「だ、大丈夫です。失礼しました・・・当時のニュースも覚えてますし、頭では分かっていたんですが」
「事件を調べるのは警察、裁くのは裁判官、そして被害者やご遺族を支えるのが我々心療内科の仕事だ。気をしっかり持ちなさい」
 初老の医師と若い医師は、柊と話す前のように中庭を眺めながら会話をする。感情が窓越しに伝わらないように平静な顔を装う。女性が持つ書類には『某駅前無差別殺傷事件』『容疑者は未成年』の文字が書かれていた。
「目の前で奥さんと子どもさんを亡くされたんですよね。ご自分も重傷を負われて・・」
「白川くん」
 女性ははっとした。
「すみません。もう泣き言はやめます。ええと、事件から一年以上が経ってますが、ずっと先生が治療されているんですよね。治療の進展についてと、今後の方針について教えて下さい」
「白川君。今日はその事を話す。若干イレギュラーな対応になるが、これは私が責任を持って他のスタッフにも協力をお願いしている。柊さんの治療はしないでくれ」
「は・・?」
「治療はしない」
「意味が分かりません。確か先生は柊さんが社会復帰出来るよう全力を尽くすと、前に仰っていた筈です。報道では柊さんが勤めていた会社も復職を待つと言ってました。傷が癒えたらまた恋愛をして結婚をして、第二の幸せがあるかも知れないじゃないですか」
「残酷な現実を受け入れ、悲劇を知る人たちの間で働き、今の妻以上に愛せる人を探せと。それら全ての荷を負わせて放り出すというのかね。法に守られた容疑者が何処かで生きる社会の中に」
「・・で、でもそれが、私たちの使命では」

 柊はただ一人芝生の上に座っている。右に優しく左に穏やかな顔を向けながら、ひとりで話し聞き相槌を打つ。敷物にはプラスチックの動物が三匹、仲睦まじく体を寄せ合っている。

「私たちはずっと見てきたんだよ。中庭の彼の一家団欒をね。天気の良い日は嬉しそうに敷物を借りに来るんだ。だが彼は、本当は心の何処かで分かっていると思う。さっきの会話を覚えているかね?奥さん役の時に、彼は私を先生と呼んだ。パン屋さんの筈なのにね。夜中に叫ぶことがある。悪夢を見たと言う。多分その時に一瞬疑うんだ。あの悪夢こそが現実なんじゃないかと。君がどうするかは強制は出来ない。ただ・・考えてみて欲しい」

 柊がふっと二人を見た。緊迫感が伝わったのか不安そうな顔をする。また静かに立ち上がった。
 白川が慌てた。
「自信がありません。これから何年も彼を騙し続けろと仰るんですか」
 柊が近づいて来る。初老の医師が短く言った。
「悪性腫瘍。長くない」
 言った瞬間にはもう、柊に笑顔を向けている。コンコン、と柊が窓を叩く。医師が開ける。
「どうかしました?」
「えっあの」
「真が、パン屋さんのお姉さんが泣いてるって言って」
 優しい声だ。こんな父親ならばきっと子どもに、困っている人に優しくしなさいと教えるのだろう。そしてこの人の親もまた、優しくあれかしと願ってその名を付けたのだろう。
 白川は涙を拭い、元気な声で言った。
「あ、慌てて火傷しちゃったんです。新人なもので。えへへ」
「おや、お薬は」
「大丈夫です。あの、メロンパン焼き上がったんです。いかがですか?」
 柊が満面の笑みを浮かべて下を見た。
「真、メロンパンだって」
「やったぁ!」
「良かったねぇまこちゃん」
「じゃあ一つ」
 同じ仕草で見えない硬貨とメロンパンがやりとりされ、柊は二人にパンを分け与えた。そして何故かこそこそと、おそらくは真と母親が小声で話した。
「おねえさん、てをだしてー!」
 白川がびっくりして手を出すと、柊は無邪気に小さな何かを剥いた。
「ばんこーそー、はってあげるー」
 見えない火傷に見えない絆創膏。
「ありがとう真君」
「どいたしまして。じゃねっ!」
「こらー、走るなー。全く、子どもってのは何ですぐ走るんでしょうね」
 父親は見えない影を追って行く。柊はすぐ足を止め、今度は母親になる。髪を掻き上げながら優しく微笑む。
「すみませんね騒がしくて。あの、火傷大丈夫ですか」
「いいえそんな。ご心配なく」
「お大事に」
 真の母親は穏やかな笑みを頬に残したまま、医師たちの元を去ろうとする。
 途中で足を止めて振り返った。

「治るといいですね。貴女は」

 今のは誰が言ったのだろう・・・

 三ヶ月後。有志が費用を募り、病院の敷地の隅に小さな碑が建てられた。
 碑は四つ。父親と母親と息子、そして小さな命。
 失われた魂の数の碑は、麗かな日差しを浴びて静かに佇んでいる。

                           (了)

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