コトバアソビ集「ロクロクロック」
バーのカウンターに男が座っている。不機嫌な酔眼でウイスキーのロックを睨め付ける。視線の熱量に負けた氷がカランと溶ける。
「今の若い奴の言葉は曖昧で響かねぇ。なんであんなのがウケるんだろうな」
若いバーテンダーが苦笑する。
「ロクさんみたいに人生を知り尽くした人には、物足りないですかね」
「ふん」
バーテンダーがチラリと置き時計を見る。
「あのう。常連さんに言いづらいんですけど、閉店時間なんでそろそろ」
「付き合い悪ぃなぁ。お前の親父はそんなこと言わなかったぜ?」
グラスを一息にあおり、
「もう一杯」
バーテンダーはまたも苦笑をしかけたが、パッと眉を開いた。
「あ。ロクさん、ゲームしましょうゲーム。飲み比べして、俺が負けたら朝までとことん付き合うし、今月のツケをチャラ。ロクさんが負けたら俺の言うことを聞いてタクシーに乗る。どうです?」
「お?言ったなテメェ。若造が俺に勝てる訳ねーだろう」
1時間後。
カウンターにはテキーラのショットグラスの行列と、完璧に潰れた客の姿。
「悪いっすねぇ。こちとら先祖代々、鋼の肝臓で」
若いバーテンダーはケロリとしている。
そして真夜中にも関わらず、一本の電話をかけ始めた。
翌朝。
バーで酔い潰れた客は、見知らぬ場所で目が覚めた。
「あ痛って・・頭痛ぇ。何処だここは」
体に掛けられた綿布団。頭上は杉の天井板、彫刻が施された欄間。
「・・・いやマジで何処よ」
「おお、目が覚めたかの」
隣の和室から爺さんがひょっこり。
「で、誰??」
「わしゃあ、あのバーテンの爺さんじゃ。つまり先代のバーテンの父親じゃな」
爺さんはヒョッヒョッヒョと笑う。
「いやぁ、孫が労働力を寄越してくれて助かったぞい。朝飯を食べたらさっさと働いてもらおうかのう」
「は?」
「お前さん、孫と賭けをしたじゃろう。負けの支払いは、わしの所で肉体労働。いやー助かる助かる」
「は?聞いてねーよ!」
男は布団から飛び起きて、閉められていた障子をスパァンと開ける。
鶏が遊ぶ庭、広がる山並みに青い空。
「逃げよったって無駄じゃぞい。車の鍵は隠してある」
爺さんが背後でニヤリと笑った。
バーテンダーの祖父、つまり先々代のバーテンの爺さんは隠居して陶芸家をしているという。
「土を練るのを菊練りと言うんじゃ。そうそう、腰を入れてな」
「おーい、米を貰った。運んでくれぃ」
「風呂を焚く薪を割ってくれんか。なに、鉈は初めてかい。お前さんの年で」
「47だけど関係ないですよ、都会っ子でね。うわ、くそ。デカい虫」
「フォッフォッフォ」
47歳の都会っ子、山南禄郎が山奥へ来て三日が過ぎた。
バーテンダーは禄郎の暮らしを知っている。会社に縛られない自営業、数日フラフラしていても誰も不思議に思わない自堕落な生活、独身一人暮らしでペットも居ない。人間関係も把握している。
「お前さんの仕事仲間には、孫から経緯を報告してある。お仲間から伝言があるぞい。『猪獲ったら送ってくれ』だそうじゃ」
「くっそー、他人事だと思いやがって」
爺さんは遠慮なく禄郎をこき使いつつも、元接客業の成せる技。料理も人のあしらい方も上手い。禄郎が不貞腐れているのを見て
「どれ、そろそろ酒を解禁してやるか」
と秘蔵の日本酒を取り出して振る舞ったりもする。
「ここに来てからよく飯を食ってんだけど、不思議と腹がへっこんだなぁ」
「玄米中心の自然食じゃからのう。お通じも良かろう。肌艶も良くなったぞい。どうじゃ、イワナの塩焼きは」
「美味ぇ。焼き魚なんて久しぶりに食べたわ」
「わしのも食うか」
「いいよ。爺さんこそタンパク質摂れよ」
「ふふん」
爺さんは禄郎を見てニコニコ笑う。
翌日。
「ロクさんや。今日はこっちじゃ」
爺さんは禄郎を工房へ連れて行った。
「麓の居酒屋から灰皿と小鉢を頼まれておる。お前さんも手伝え」
「俺、陶芸なんて」
「まぁまぁ」
禄郎は、初めて轆轤の前に座った。
「わしは足で蹴る奴を使うが、お前さんは電動で良いかの。このペダルを踏むと回る」
「お、おい」
「こうしてな・・・」
始めから上手くはいかない。
「あ、くそ。失敗した」
「じっくりせぇ」
「たくよー、通販か百均で買えよ、居酒屋の器なんて」
「ヒョッヒョッヒョ」
轆轤で回転する土は、指先が触れただけで瞬時に形が変わる。
「柔らかく未熟なもの、常に動いておるものは、少しの刺激でも鋭敏に変化する。凝り固まって乾いたものは変化せぬ。ひとに似とるな」
「・・・・」
「今の若い奴の言葉は曖昧で響かねぇ。そう言うたそうじゃな」
「孫に聞いたのか」
「若いうちは不安なものじゃ。不安で曖昧で先のことなど分からない。それでも叫びたいことで体が裂けそうな。お前さんの昔の歌はそういうものじゃった」
「俺の仕事、知ってたのかよ」
「もう引退したらどうじゃ。活動休止とか言っとらんで。昔の印税で食っていけるじゃろう」
禄郎がペダルから足を離した。轆轤がゆっくりと回転をやめた。
「・・・俺は、止まるのが怖い。固まっちまうのが怖いんだよ。固まっちまったら、あとは割れるだけじゃねぇか。でも今は、叫びたいほどのキモチが見つからない。下手に恵まれちまったからな。みんなチヤホヤしてくれるし、女は惚れてくれるし、俺を真っ向から否定してくる奴もいねぇ。ただ陰で笑ってやがる。あいつももう落ち目だなって・・・それでも、止まるのは怖ぇんだ」
「今は迷い道か」
「迷いっぱなしだよ、俺なんざ」
また轆轤を回す。
目の前に、爺さんが焼いた灰皿の見本がある。
「いい灰皿だな」
「そうか」
「ああ。煙草が置きやすい形だ。吸う奴の気持ちが分かってるな」
「昔はわしも吸ったからのう」
「今は吸わねぇのか」
「肺癌でな」
「・・・」
「お前さんも程々にな」
「ん」
ヒョッヒョッヒョ、と爺さんは笑った。
「軽々しく同情をせん。お前さんの良い所じゃ」
爺さんは鼻歌を歌い始めた。smoke gets in your eyes。
「50前のオッサンなら、オッサンなりの歌があるじゃろう。若い頃と同じ歌を作らんでもええじゃないか」
その晩、爺さんは禄郎の為にシェーカーを振った。
何十年振りとは思えない見事な手捌きだった。
数日後。
麓の小さな駅の前に軽トラックが停まる。
「忘れもんは無いかの。例の紙は持ったか」
「ああ」
「ヒョッヒョッヒョ。チラシの裏に鉛筆で書いた曲か。今時はパソコンか何かで作曲をするのかと思うた」
「どうせ俺はアナログだよ」
「お前さんが作った灰皿は、出来上がったら孫の店に送っておく。乾燥させんといかんから焼くのはまだ先じゃが」
「有難うな、爺さん」
「うむ」
「正直よ・・・爺さんの言う通り引退して、別の人生に進んでもいいかなって思った。でも妙なもんで、他の道があると思うと、自分の行きたい道ってのが見えるもんだな」
「そうか」
「若い頃の自分を忘れられない。でも、今までの俺とこれからの俺と。今現在ジャストの俺と。ひっくるめて練り込んでみるわ」
助手席から禄郎が降りる。
「体に気をつけてな、爺さん」
駅舎へ禄郎が歩き始めると、すれ違った高校生が立ち止まった。
「おいあれ、歌手のロクロウじゃね?」
「え、誰」
「絶対そうだって。ちょ、お前、鞄持ってて」
高校生の一人が慌てて駆け寄り、禄郎を呼び止める。緊張した様子で話し掛け、握手をする。
禄郎は改札を抜けて行った。
友達の高校生は、爺さんの軽トラックの近くで待っていた。
禄郎と握手した高校生が興奮した顔で戻って来る。
「やば、すっげ。カッコよかった」
「お前あんなオッサンのファンなの」
「いや聴いてみろって、絶対いいから。元々親父がファンなんだけど俺もハマってさぁ・・・」
爺さんは笑いながら高校生の後ろ姿を見守る。
ふと助手席を見ると、煙草がひと箱落ちていた。禄郎が落としたらしい。
一本咥え、火を点ける。
トラックは軽快にエンジン音を響かせ、走り去って行った。
(了)
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