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「懐胎」(原作:マザー・グース『What are little boys made of,made of?』)

 岩本天音の葬儀には大勢が参列した。
 棺には花と共に様々な感情が手向けられた。同情、思慕、好奇心。
 享年38。死因は自死とされる。
 
 高校時代の天音は憧れの的だった。
 全国有数の名門女子高において、才色兼備性格温厚、慈悲に富みユーモアをも備えた稀有な存在として慕われていた。

 きっかけは死の三ヶ月前。
 同校の創立◯十周年を記念する同窓会が都内某ホテルで開催された。
 二十年ぶりの再会で盛り上がり、昔同様大勢の友人たちに囲まれる天音。その輪に加わらず、外からジッと眺める一人の姿があった。
 山田麻里亜。
 元同級生の証言では
『私たちの知る限り、麻里亜だけでしたね。天音に敵愾心を持っていたのは』
『多分天音がいなければ、学校のマドンナは麻里亜だったと思いますよ。可愛かったんで』
『でも天音はずば抜けてたんです。可愛くて凛々しくて』
『麻里亜は張り合っているつもりでも、差は歴然でした。まさか、卒業後二十年も経っているのにあんな態度を取るなんて・・・』
 
 二十年の月日は環境を変えるには十分の長さだ。
 進学、就職、結婚、出産、昇進、離婚。様々な変化が訪れる。
 しかし同窓会の会場に降臨した天音は学生時代と変わらない美しさを保っていた。それが、麻里亜が敵愾心を再燃させた一因であろう。
 麻里亜は天音と友人の会話に聞き耳を立て、情報収集の末にやっと自分が上位に立てる話題を見つけた。
 結婚し、二児の母親である。
 独身の天音に勝てる話題はそれしかないと、麻里亜は口撃を仕掛けた。
 夫がいる幸せ。
 子どもがいる幸せ。
 独身者や子を持たない夫婦は他の同窓生の中にも大勢居る。
 場をわきまえず幸せを撒き散らす麻里亜に眉を顰める者も多かった。
 天音は微笑みながら麻里亜の言葉を聞いていた。
 慈母のように・・・
 その三ヶ月後、変死体となって発見されたのである。

 マンションの密室で発見されたことから自殺と判断された。
 周囲の人間には理由が全く思い当たらなかった。
 天音は大病院の医師として活躍しており交友も広く、生活は充実して見えたからだ。
 そこで理由として浮上したのが、同窓会での山田麻里亜の発言だった。
 ある同級生が
『私見たのよ。麻里亜の子ども自慢を聞いた後に、ため息をつく天音を』
と言い出した。すると
『実は私も。あの時、涙ぐんでいるように見えたわ』
『天音のお母さんがね、遺体の傍に高校の卒業アルバムが開いてあったって』
 証言はり合わせられ、麻里亜への非難へと変わる。
 麻里亜の家のドアへ生卵が投げつけられた。
 無言電話が掛けられた。
 匿名の手紙から事情は麻里亜の夫の耳にも入った。堅い職業の上に潔癖な性格の夫は麻里亜を離縁した。親権を取られた麻里亜は一人で家を追い出された。
 麻里亜の元を客が訪れたのは、全てが沈静化した後のことだった。

 麻里亜が暮らすアパートの一室。
 客に茶を出しながら麻里亜は問う。
「・・・電話で仰った事は本当でしょうか」
「ええ。天音の死は自殺じゃありません。事故です」
 客は断言した。
 二十代後半の女性である。凛々しい目元は何処か天音を彷彿とさせる。
 客は静かに話し始めた。
 
「天音と私はネットのコミュニティで知り合いました。始めは匿名でしたが親しくなって実名を明かし、互いに家を訪ねたこともあります。私、天音が自殺するとは信じられなくて・・色々調べました。ご実家も訪ねて、遺品のパソコンの履歴も調べさせてもらって。ご両親は、それで真相が分かるならと協力して下さいました」
「捜査では、服毒による自殺だと・・・」
「遺書は無かったんですよね?大体、仕事の引き継ぎも私物の整理もせず、あんな周りに迷惑を掛けるような死に方、几帳面な天音がする筈はないんです」
「じゃあ、なぜ・・」
「毒とは思わずに口にしたんです。ご両親から遺体の胃の内容物を聞いて確信しました」
 客が目を伏せる。
「天音は・・・優しくて賢い天音は、苦しみながら生きていました」
「天音が?」
「ご両親からのプレッシャーや周囲の期待。全てに応えようと自分を圧し殺して、制御して生きていた。親の目が届かない学校でも。誰が見ても完璧な天音は、天音の演技だったんです」
「そんな風には・・・」
 客は麻里亜を見た。
「天音は、あなたが好きでした」
 麻里亜は耳を疑った。
「天音はあなたを羨ましがっていました。学生時代の思い出話はあなたのことばかり。とても嬉しそうに」
 麻里亜が放心から帰る。
「で、でも。私なんかのどこが」
「嫉妬という醜い筈の感情を、真っ直ぐぶつけて来る。あなたが眩しかった。素直な天使だと言ってました。あなたに感情をぶつけられる時、自分は普通の女の子でいられた。あなたが、天音を崇めなかったから」
「そんな・・」
 客は少し笑う。
「うっすら涙を浮かべて頬を紅潮させて、プンプン怒る顔も可愛かったって。天音は自分の感情を出せない子だったから・・・私、年下なのに生意気ですよね。でもネット上の天音は、本来の年齢よりもずっと幼かったんです。それが本当の天音だったんだと思います」
 客はテーブルに2枚の紙を出す。
 1枚には遺体の胃の内容物。
 2枚目には英字の詩。
「天音と私が出会ったのは、人を肉体的に愛せない人たちのコミュニティです。自分で子どもを産む事は出来ない。でもあなたに憧れた天音は、あなたと同じになりたかった。同窓会で再会したあなたが、昔と同じように素直で嬉しかったと言っていました。その気持ちと天音の病気が重なって事故死に繋がったんです。それを読んで下さい」
 麻里亜は英字を読む。

What are little boys made of,made of?
What are little boys made of?
Frogs and snails
And puppy-dog’s tails,
That’s what little boys are made of.
 
What are little girls made of,made of?
What are little girls made of?
Sugar and spice
And all things nice,
That’s what little girls are made of.

男の子って何で出来てる?
男の子って何で出来てる?
カエルとカタツムリと仔犬のシッポ
男の子って、それで出来てる。
 
女の子って何で出来てる?
女の子って何で出来てる?
お砂糖とスパイスと素敵なもの
女の子って、それで出来てる。

マザー・グースの詩より


「天音の死因はFrogs。食用蛙の筈が、毒蛙が混入してしまった」
「蛙?」
「お子さんは男の子と女の子でしたね。言ったでしょう。天音はあなたに憧れたんです。あなたと同じになりたかった」
「・・・」
「仔犬の尻尾はブリーダーが断尾したのを買ったようです。パソコンの履歴で分かりました。カタツムリはエスカルゴ」
 麻里亜はもう一枚の紙、遺体の胃の内容物と見比べる。
「天音は異食症でした」
「天音が・・・」
「私にだけ打ち明けてくれました。学生時代から始まっていたと。ビーズやコインが多かったそうです。亡くなった部屋に飾ってあった細々したものは、ご両親に頼んで形見に貰いました。だから普通なら躊躇するようなものでも飲み込むのに抵抗がなかったんです。あれは本当に事故・・・素直な自分に生まれ変わるオマジナイだったんだと思います」
 客は鞄から大きな冊子を取り出した。
「遺体の傍にあった卒業アルバムです。これは私の憶測ですが、女の子の材料の最後、all things nice。素敵なもの全て。・・・最後に開かれていたページを親御さんが覚えていました。自分のクラスじゃないのにって。何度も開いていたのか、このページだけ捲りやすくなっています。麻里亜さん」
 客が麻里亜を見つめる。

「あなたは天音の、聖母でした」

 アルバムの中で、18歳の麻里亜が微笑んでいた。

 

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