コトバアソビ集「珍奇チンキ」
「ねぇ、これ何?」
「ネットで見て真似してみたの。見たのはハーブチンキの作り方だったけど、それは柑橘類の皮」
「へえ〜」
キッチンに置いたままにしたのはまずかったなと思いながら、平静を装って答える。
不定期に開くママ友とのお茶会。暗黙の了解で場所は持ち回り。今日はうちの番だった。
(時々、面倒なこともあるけど)
幼稚園の送迎バスが同じだったことから、マンション内でママ友グループが出来た。子育ての始めは誰でも不安なもので、繋がりを欲しがる気持ちは良く分かる。有益な情報が口コミで入ってくることもあるから馬鹿には出来ない。
でも
(初期グループは良かったなぁ)
と時々思う。
グループの発起人はAさん。明るくて本当にいい人だ。初期メンバーはAさんとおっとりしたBさん、そして私。この3人は他人との距離感が似ており、付かず離れずの気楽なグループだった。
そこへAさんと同じフロアに越してきたCさんが参入。チンキに目をつけたのはこのCさん。彼女はちょっと、他人との距離感が独特だ。
Aさんが居るとそのパワーは控えめになるのだが、彼女は職場に本格的に復帰して、顔を出すことは滅多に無い。今日も来られなかった。
「ねぇこれ、何に効くの?使ってる?作り方教えて。何ていうサイトを見たの?」
Cさんはスマホを取り出し無断で写真を取る。片手でチンキの瓶を掴んで照明にかざして撮影会。
「危ないから落とさないでね〜」
「大丈夫大丈夫」
(ってか勝手に触らないで欲しい・・)
横にいるBさんはご愁傷様といった表情。
そう、Cさんは他人の家でも自宅のように振る舞える人。気に入ればなんでも欲しがる。欲しがる=褒めることと思っているのか、遠慮がない。
私は材料を柑橘類の皮を干したもの、薬局で売っている無水エタノール、薄める時は精製水で、と簡単に説明。
「私もプロじゃないから、作り方は責任取れないよ。作るならネットか書籍で調べてね」
と釘を刺す。
案の定、試しに使いたいから分けてとおねだりされた。
「ごめん。実家の母に渡す約束してるんだ」と躱しても
「ちょっとで良いから!」
「じゃあ、お家からガラス瓶持ってきて」
「無いのよ、このペットボトル空けるからこれに入れて!」
「いや、お茶が入っていたボトルはよくないと思う」
ガラス瓶ごとくれと言わんばかりの勢い。百均で買った瓶とはいえ、Cさんのおねだりに付き合うとキリがない。そこへBさんが
「まぁまぁ・・・ね、スマホで検索したら作り方出てきたわよ。Cさんも自分で好きな材料集めて作ればいいじゃない」
おっとりと援護射撃。
「えー、でも今目の前にあるじゃない〜」
(いや、これウチのですけど?)
私も懸命に抵抗する。
「あの、こういう手作りのものってさぁ。責任取れないから、正直分けるのに抵抗があるのよ。Cさんだって、私が作ったチンキで万一肌荒れ起こしたら嫌でしょう?」
「え〜〜〜」
「そうよねぇ、何かあったらお互い気まずいもの。ねぇ聞いて、以前私が姑から手料理を貰った時・・・」
Bさんが話を逸らせてくれて、何とか被害を免れた。
(本人は、自分は無邪気な愛されキャラと思ってるからなぁ)
まぁ、これも人付き合い。幼稚園を卒業する頃には関係性も変わるだろう。
(それまでの辛抱、と)
ママ友というと気軽なようだが、なかなかどうして気苦労も絶えないのだ。
数日後。メッセージアプリのグループに画像が投稿された。
「あ、Cさん。本当に自分でチンキ始めたんだ」
通販でキットを買ったらしい。作るのはローズマリーのチンキ。
(うーん。私より良い材料を買って揃えるあたり、流石Cさん)
私は頂き物の柑橘類から大量に皮が出たから活用法を模索しただけなんだけど。
作ってみると柑橘の香りは元々好きだし、成分を取り出した後の皮は入浴剤の代わりにしたり、薄めたチンキで頭皮マッサージしたり、楽しみ方はたくさんある。
とはいえそういう経緯なので私は柑橘類のチンキに留まり、皮のストックが無くなったらチンキ作りはお休みしていた。
しかし、妙に凝り性な所があるCさんは違った。凝るというか、私よりも色んなチンキを作ってマウントをとりたがっている気もするけれど、メッセージアプリに頻繁に投稿してくる。
<他のハーブも混ぜてみました>
<ボトルを変えてラベルも手作り。お店で売れそうじゃない?>
<見て見て、魔法使い!>
「今度はコスプレ?魔女の帽子もネットで買ったのかしら・・・ん?」
私はCさんの顔の画像に違和感を持った。
最近急にメガネをかけ始めて、いつもマスクをしているから素顔を久しぶりに見た。目が大きく、鼻も高くなっている気がする。
「んん?」
私は画像を指先で拡大する。
「チンキに・・何これ??」
Cさんの後ろに写っているガラス瓶の中には、小さな紙片がたくさん詰まっていた。
数日後、マンションの駐車場で偶然会ったCさんに訊いてみる。
「あれ?女優のXさんの雑誌の切り抜き」
「え?」
「インクが溶けちゃうからただの紙に見えた?でもほら、似てきたでしょう」
「え・・・」
Cさんは被っていた帽子を取り、メガネとマスクを外して自慢げにポーズを取る。
私が呆気に取られていると
「Xさんの切り抜きのチンキ、薄めて飲んだりお風呂に入れたり。旦那がね、俺に黙って整形したのかって。ウフフ。あ、ごめん。用事あるからまたね〜」
嫣然と女優のように微笑んでCさんは立ち去った。
確かに彼女は美しく、スタイルも抜群になっていた。
<あれ、みんな言ってる。やっぱり整形じゃない?あとエステ>
<チンキって言い張るあたり、Cさんらしいよね>
<それが本当ならみんな飲むって、ねぇ>
Aさん、Bさんだけじゃない。マンションと幼稚園の両方ともCさんの変貌の噂でもちきりだった。中にはCさんに弟子入りしたいという人まで。
手作りチンキを言い出した私としては
<元々はハーブや無水エタノールかアルコールなんかで作るものだからね!切り抜きのチンキなんて何処にも書いてないからね!>
と口を酸っぱくして言うのだが、美しくなりたい女性が多いのは事実。
「これが本当なら、Cさんは本当に魔法使いだわ」
私は嫌な予感がした。
「最近、うちのあるフロアが怪しげなサロンみたいになってるんだけど・・」
暗い顔をしてAさんが切り出した。AさんはCさんと同じフロアだ。
「このままじゃ、そのうちマスコミが来るんじゃない?」
Bさんが言う。
「私、妙な噂聞いたの。あのチンキ、Cさんが作らないと効き目がないみたい」
私が言うと二人も頷く。今日はCさん抜きで我が家に集まってもらった。
三人で出した結論は、元々Cさんは私に張り合う気持ちが強かった。私よりも良いチンキを作り出したいという願望や生来の思い込みの強さが、怪しげなパワーを生み出したのではないか。
「1階に住んでいる人で、幼稚園のさくら組の子のご主人。不自然な位に足が長くなって。そこの奥さんは恋愛ゲームのキャラクターにハマっているので有名な人なんだよね。まさか・・」
「Cさんがデパートで買い物してるの見たの。値段見ないで高そうなバッグを何個も。チンキ売って稼いでるんじゃないかな」
「どうする?私たちが反対できるものでもないよね」
「絶対あの人、『ヤダァ、妬み?』とか言いそう」
結局私たちの出した結論は静観、だった。
望んでCさんの元へ集まる人を止めることは出来ない。
その時スマホの着信音が鳴った。
メッセージの投稿はCさんから。
私たちは怖いもの見たさで、一緒にアプリを開く。
そこにはにっこりと微笑む、美しいCさんの姿。
愛おしそうに頬に寄せた、チンキのガラス瓶。
液体にゆらゆら揺れているのは・・
小さな地球儀。
瓶に貼られたラベルの文字は
《World is mine》
足元が、揺れた。