
「最後の薔薇を捧ぐ」(「八百比丘尼の伝説」の二次創作)
*八百比丘尼・・・若狭国小浜に伝わる長寿伝説。少女の時に人魚の肉を食べ八百歳まで生きた尼。白比丘尼とも言われる。(日本伝奇伝説大事典より)
(以下本文)
「W主演なのね。若い方が春の女神佐保姫、年増の方が秋の女神竜田姫。秋の女神が春の女神を妬み、その肉を食べて若さを得ようとする。そこへ天上神が現れて・・あら、天上神は武上さん?昔共演したわ」
「秀吉と淀君でしたよね」
「よくご存知ね。貴方だと子供の頃でしょう」
「ええ、でも覚えてます。蔓木さんのこと綺麗な女優さんだなぁって思って見てました」
「ませた子だったのね」
脚本を読んでいた女優は嫣然と微笑む。
若い脚本家は照れて頭を掻く。
「佐保姫は誰」
「椎名瞳という新人です。こういう子ですが」
脚本家が写真を出す。
「ふぅん」
「蔓木さんは業界のことご存知ですから言ってしまいますが、今回の舞台はこの子を売り出す為で、オーディションもまぁその」
ふふっと女優は笑う。脚本家はまた頭を掻く。
「それで演技力を蔓木さんみたいなベテランにカバーして頂きたいんですよね」
女優は声高らかに笑った。
「素直な方ねぇ。梶原さん、私貴方が気に入ったわ」
女優はマニキュアを塗った爪でピンと写真を弾いた。
「いいわ、オバチャンがこの子をコテンパンに苛めてあげる」
「え、ではご出演頂けるということで」
「良くってよ。若さに嫉妬する年増の女神、存分に見せてあげる」
女優の自宅を出た脚本家とプロデューサーは、車に戻ってやっと緊張を解いた。
「はー疲れた。気難しいって有名だからな、あの人は」
プロデューサーが煙草を咥える。
「梶原君はよく平気だったね」
「母親の影響で、本当に子供の頃ファンだったんですよ」
車が動き出す。ハンドルは若い脚本家が握っている。プロデューサーが苦い煙を吐き出す。
「業界じゃ腫れ物なんだよ。実力はあるけど扱い辛くてね」
トン、と煙草の灰を落とす。
「しっかし、悪いけど年取ったねぇ。まだ綺麗だけどさ。気づいた?」
「何がです」
「ライティング。間接照明を使ったり、窓も曇り硝子で。小皺やたるみが目立たないように必死なんだよ。一人暮らしだってのにさ」
「今、五十代後半位ですか」
「そう。気になるならプチ整形とかすればいいのに、しない主義らしい。そのくせ美貌の衰えには臆病なんだ。だから今回の役は断られると思ったんだけど、梶原君のおかげで助かったよ。これから売り出す初々しい若手と、一度は引退を決めた元大女優。話題になりそうじゃない」
「なると思いますよ」
脚本家が笑う。
幕は上がった。
「ちょっと梶原君、記事見た?」
プロデューサーがスマートフォンに向かって怒鳴る。
<聞こえますから声落としてください。芸能ネットニュースでしょ>
「椎名瞳が蔓木敬子の隠し子ってどういうこと?俺知らないんだけど!」
<だから落ち着いて。互いの事務所はどう言ってるんです>
「現在事実確認中ですって。事務所も知らなかったらしくてバタバタしてて、すぐ電話切られちゃったよ。これ舞台どうなんのよ」
<どうって、演者が出る限り幕は上げますよ。少なくとも蔓木さんはこんなことで舞台投げないでしょう。問題は若い椎名さんです>
「本人もパニクって泣いてるらしい。実の母親は死んだと思ってたんだって。俺様子見に行くわ」
<僕は蔓木さんの所へ行きます。せいぜい椎名さんの機嫌とって舞台に押し上げて下さい。女優としてやってく気があるなら、あと二週間根性で踏ん張れって。じゃあよろしく>
梶原は老舗洋菓子店の箱を下げて蔓木に会いに行った。箱を見て蔓木は微笑んだ。
「私の好物。彼女、覚えててくれたのね」
「ええ」
「息子さんね」
「黙っててすみません」
「梶原は彼女の旧姓ね」
中へ招き入れる。
「記事を出したのは貴方?」
「怒ってますか」
「いいえ」
二人はソファに座った。梶原が
「言っておきますが、母の考えじゃありません」
「でしょうね。何人も入れ替わったけど、彼女が一番信頼の出来る付き人だったわ」
蔓木が梶原を見る。
「目が似てる」
梶原が笑う。
「彼女はどう、最近。体の具合は」
「施設に居ます。緩和ケアの」
「そう・・・これが私の最後の舞台になるわ。彼女に見て欲しかった」
「一時外出を申し込んであります。千秋楽には連れて行きます」
「そう。嬉しい」
女優は微笑んだ。夕刻に萎れる前の薔薇のような穏やかさで。
「貴方は私を・・・」
言いかけてやめた。
「僕は本当に、貴女を」
蔓木が遮った。箱を指差し
「持って帰って。私、舞台の間は甘いものを断つの」
梶原は箱を開けた。中は空だった。
あははは・・・女優は華やかに笑った。
「大好きよ梶原さん。もうお帰りなさい。貴方の為に最高の舞台にするわ」
女優は若者の頬にキスをした。此の世に別れを告げるように。
「ええい憎らしい。肉を寄越せ、その瑞々しい皮を寄越せ!」
老いた女神が若い乙女の姿の佐保姫に爪を立てる。おやめ下さいと逃げる姫を他の神々が庇い竜田姫を咎める。
「何という醜態」
「早う己の国に帰られよ。現世は春を待ち焦がれておる」
「早う去ね。この皺だらけのババアめが」
神々が竜田姫を嘲笑う。
舞台袖から見ていたプロデューサーと脚本家が小声で話す。
(居るよね。後ろからだと二十代、前に回ったら五十代のオバはんとか)
(椎名さん、演れてますね)
(ああゴメン。彼女ね。まぁ世間は彼女に同情的だし、冷静に考えれば女優としては美味しいでしょ。あの蔓木敬子が実の母親だったら)
舞台の上の佐保姫が一人になり淑やかな仮面を剥ぐ。
「嫌だわ、汚らわしい。肌に傷がつかなかったかしら。あんなお婆さんが若返ってどうするのよ・・まぁいいわ。ちょっと大袈裟に泣いていれば周りが何とかしてくれるもの。そうだ、いっそ天上神様に言いつけてしまおう。天上神様、天上神様ぁ・・」
こんな子も居そうだよね、とプロデューサーが笑う。
(客席は女性が多いですね)
(そうねぇ。始めは瞳ちゃんのファンの男の子も居たんだけど。あのスキャンダルが出た時には観客もごっちゃになって、今は落ち着いたね。年齢層は上がったかな)
舞台は山場を迎えた。滝の上に追い詰められた竜田姫に天上神の鉄槌が降る。雷光が閃き暗転。轟音が響き竜田姫の姿が消える。
(この後、エンディングは2種類だっけ)
(そうです。冥界を彷徨う竜田姫に天上神が選択を迫る。大人しく元の秋の女神に戻るか他の神になるか。他の神になれば永遠の命を授ける。けれどそちらを選択してしまうと醜い龍の姿に変えられて雨と嵐の神になるんです)
(冥界のシーンは台詞だけだよね)
(そう。どちらのエンディングにするかは蔓木さん次第。彼女の台詞で決まります)
女優の選択による2種類のエンディングとスキャンダルにより舞台は話題となった。蔓木が一度引退を決めたのも娘が理由だったのではと憶測が流れ、取材が殺到したが蔓木は沈黙していた。椎名瞳は育ててくれたのが本当のお母さんですと発言して周囲の涙を誘った。舞台は千秋楽を迎える。
「梶原君、あれお母さん?似てるね」
プロデューサーが客席を指差す。
「いい席を有難うございました」
「いよいよ楽日かぁ。でもね、追加公演決まりそうだよ。あと蔓木さんさえウンと言ってくれれば」
「彼女は・・・どうですかね」
「それでさぁ、また頼むよ。あの人を説得するのに付いて来て。君お気に入りだからさ」
両手を合わせる。
「ま、今日に集中しましょう。楽日です。何かあるかも知れない」
梶原の言う通りになった。
神々が佐保姫を庇い竜田姫を嘲笑する場面。泣き崩れる竜田姫を置いて皆が舞台袖にはけようとした時、竜田姫が佐保姫を呼び止めた。客席に見えぬ位些細な動作で他の役者が椎名を舞台に押し留める。椎名は明らかに戸惑っていた。竜田姫が顔を上げた時、客席がざわめいた。蔓木の顔から乱暴にメイクが削ぎ落とされていた。
「ひめ・・・」
蔓木が狂女のように蹌踉めきながら椎名に近づく。
「笑うたな・・・・ようも、笑うてくれたな・・・・貴様は知るまい。昔昔、わしは貴様であった。春の女神佐保姫であった・・・」
容赦無い舞台の照明が衰えた肌を映す。デビュー時に花の精と呼ばれ銀幕を席巻した美少女が老いた姿を。クリムトのユディトII。首を突き出し鷲のような指で敵将の首を掴む猛女を思わせる狂おしい立ち姿。指の関節に刻まれた皺までも。首を横ざまに斬りつけたような皺までも。
「見るがよい、これはうぬが先の姿・・知っておるか、神とて老いるのじゃ・・」
舞台袖のプロデューサーは息を呑んだ。出演の依頼で訪ねた時の蔓木は衰えを見せつつも十分に美しかった。しかし今全てを剥ぎ取り鮮明な光に晒された蔓木は年齢よりも衰えていた。
(女優というハードな職業を十代から続けて、何の医学的処置もしていないんです。あれが本当の蔓木さんですよ)
いつの間にか背後に梶原が立っていた。
(一度一緒に朝を迎えました。あの人はそっとベッドを抜け出して、僕に隠れて化粧をしてました。僕は寝たふりをして終わるのを待ちましたよ)
(えっ?)
(二十代が五十代を口説いたらいけませんか。言ったでしょう。僕にとって彼女は憧れの女優さんだったんです)
ほ ほ ほ ほ ほ、と蔓木が笑った。笑いながら涙を流した。椎名は棒立ちである。反対の舞台袖から天上神が現れる。プロデューサーがぐっと両手を握った。
(やった!助けてください武上さん!)
「竜田姫」
優しく労りに溢れた声は演技か感情か分からない。
「嘗てのぬしは初々しい若姫であった。わしも黒髪の青年であった。ゆっくりではあるが神も老いる。しかし、それで良いでは無いか・・・」
肩に添えようとした手を蔓木が払いのけ、叫んだ。
「奪うなら何故与えた天上神!」
怒りの矛先が武上に移る。
「全ての神の父!若さと美しさを惨たらしく捥ぎ取るなら、始めから何故与えた!貴様も貴様も貴様も!昔はわしを口説いたろうが。寝たであろうが。わしを愚弄したその口で、今度はその佐保姫を口説こうというのか。ああ可笑しい。笑わずに居れぬわ・・・」
舞台袖に隠れる他の神々を指差して罵る。
「もう黙れ竜田姫!」
天上神の怒号。雷光。暗転。
舞台裏は混乱に陥った。
「ちょっと、どうなってんの?」
「分かりません。僕らあの二人に言われた通りしてるんですよ」
「二人?」
「蔓木さんと武上さんです。昨夜遅く連絡があって。瞳ちゃんだけ何も知らずに、直前に台詞教えられてます。こうなるともう、最後まであの二人に任せるしかないです」
滝の上。本来なら天上神が鉄槌を降し竜田姫が冥界へ落ちる場面。照明が戻ると滝の上に竜田姫が悄然と腰を下ろしていた。舞台装置の滝の麓から天上神が近づいていく。天上神は竜田姫に寄り添う。神の座を捨てよう。人間として生まれ変わり共に暮らそうと。ここで二人が手を取り合えば大団円である。しかし姫は拒み、滝から身を投げる。
残された天上神は佐保姫に新たな使命を課す。
「え、では・・・秋にはあのような姿になれと仰せですか。肌は乾き髪は縮れた醜い姿に」
頑張ってはいるが、椎名の台詞は如何にもとってつけたような言い回しだった。
天上神は冷たく言い放つ。
「春には春の。秋には秋の女神として務めを果たせ。若さを得ては失う苦しみを永遠に繰り返すが良い」
「いや、嫌です。天上神様、天上神様ぁ・・・」
舞台中央で泣き崩れる佐保姫。暗転。終幕。
千秋楽の舞台挨拶。観客は総立ちになり惜しみない拍手を蔓木敬子に注いだ。女優デビューとなる筈の椎名瞳の影は薄かった。
「蔓木さん、本当に瞳ちゃんを食っちゃったね。舞台の上で」
「まぁ洗礼ですね。可愛さだけじゃやっていけない世界ですよ」
打ち上げを終えたプロデューサーと梶原の会話である。
「話の筋を変えたのは蔓木さんだろうけど、武上さんがよく乗っかってくれたよね。あの舞台に厳しい人が」
「責任取らされたってとこなんでしょうか」
「え?」
「椎名瞳は両親とも養父母です。実の父親は武上百眼ですよ」
「え、えっ?ちょっと梶原君?」
「これまだ内緒にして下さい。じゃ、僕失礼します」
翌日梶原は蔓木の自宅を訪ねた。今度こそ中身の詰まった老舗洋菓子店の箱を下げていたが無駄になった。蔓木敬子は死んでいた。
鍵の開いた玄関を開けた時から予感があった。
片肘のソファの上に蔓木は柔らかに横たわっていた。薔薇の束に頬を寄せて微睡んでいるような死顔だった。梶原は暫くの間警察も呼ばずに佇んでいた。美術館で名画を鑑賞する人のような姿で。
残された遺書に従い、蔓木は梶原親子による密葬で葬られた。実の娘にもその父親にも知らされなかった。全てを終えてから梶原はそれぞれを訪ね、二人宛の遺書を渡した。
蔓木を見送った梶原の母は急激に体力が衰えていった。親子は長い会話を交わした。梶原は母の抱えていた秘密を記事にしたことを詫びたが、母は責めなかった。誰かが強引にでも暴かないと秘密のまま埋もれていただろう。奇しくも椎名が舞台の道を選んだならば、知っておいた方がいい。椎名の初舞台の脚本を梶原が手掛けることになったのも運命かも知れない。
「あの人は骨の髄まで女優だった。女優じゃないと生きられない人だった。母さんはねぇ、あの人が本当に好きだった。側にいられて幸せだった。冷たく見えるけど本当は不器用で、可愛らしい人だったよ」
「僕は残酷なことをしたんだろうか」
「いいや。あの人は言ってた。老いるまで生きたくない。最後に燃え上がるような演技をして死にたいって。あんたのお陰だよ。ありがとうね・・」
梶原の母は微笑みながら死んだ。
梶原はハンドルを握り海へ走った。砂浜で老舗洋菓子店の箱を開ける。あの日無駄になった中身を取り出す。
思い切り腕を振った。
指輪が一瞬光り、海へと消えた。
(了)