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「鏡の中」(芥川龍之介「蜃気楼」の二次創作②)

「サンショウさん」
「落語家みたいに呼ばんといてくれる」
「何故関西弁」
「三つの笑いと書いてミエミな。朝昼晩と笑えるように。そっちは?」
「エミエ。絵のように美しい海。最後のエは江戸の江ね」
「海の側で生まれたとか」
「さぁ」
「さぁ、て」
 三笑は大口を開けてカラリと笑う。

 大人しい絵美江と大らかな三笑は対照的な性格をしている。
 絵美江は悩むとシンとして黙り込んでしまう。そんな時、三笑は敏感に見つけて
「どしたん?」と訊いてくる。

 尤も絵美江は、人に年がら年中胸の内を晒す必要は無いと思っている。的外れな助言や親切顔した好奇心は往々にして解決どころか悩みを増やす。
(言わなきゃよかった)
と後悔する位なら言わない方がいい。

 子供の頃は悩みを打ち明け合うことは友情の証であり、自らの弱点を呈示する、つまり獣で言えば寝転がって腹を見せる行為が相手を信頼しているアピールにもなるが、大人になるとそんな真似はしなくなる。腹を見せた途端刺されることがあるからだ。代わりに作り笑いや追従やさり気ない話題転換の方法を身につけていく。
 絵美江は中学でいじめと不登校を経験し、高校で少し持ち直し、それでも地味で大人しい分類の大人へと成長した。
「オトナしいオトナって変よね」
「オトナしくないオトナもね」
 二人は笑う。

 大学へ進学し親元を離れた絵美江はバイト先で三笑に出会った。本が好きで大型書店を選んだのだが、カウンターで訳の分からない単語を並べて注文する年寄りの言語を解読したり、悪びれなく雑誌をスマホで撮影する学生に注意したりと意外と神経を遣う。
 ある時、若い店員を狙って蘊蓄を垂れるのを教育的指導と勘違いしている中年客に困っていると三笑が救ってくれた。休憩時間にお礼のジュースを差し出すと三笑は
「こんなことしなくていいのにぃ〜。でももらう」
とカラカラと笑った。

 地道な作業が得意で接客は苦手な絵美江と、ガサツだが大らかで接客が上手い三笑はシフトを合わせるようになった。
「絵美江、絵ぇ上手いじゃん。ポップ書いたらいいのに」
などと、三笑は絵美江の良い所をうまく引き出してくれる。
 バイト先での繋がりは社会人になっても途切れる事は無かった。
 毎日顔を合わせる会社の人間よりも、たまに会う三笑の方が絵美江のことを分かってくれる。
「なんかあった?」
「うん。大したことじゃないんだけど、実はね・・・」
 そんなやり取りは何回も続いた。
「ごめんね。いつも私ばっかり愚痴を聞いてもらって」
「いいよぉ。私だって聞いて参考になるし」
 三笑はニッカリと笑う。
「三笑が男なら惚れてるよ〜」と冗談めかすと
「今の時代それもアリやで」
「だから何で関西弁よ」
 二人は笑う。付き合いは5年後も10年後も続いた。結婚し家庭を持ち子どもが産まれても、絵美江の一番の理解者は三笑だった。

 絵美江は思春期に傷ついた為かそれとも生来の性質なのか、賑やかで楽しい場所に居ても孤独を感じることがある。
 周囲の楽しそうな様子はテレビの画面の向こうで、自分だけがガラス瓶の中に入って外を眺めているような。
(静かだ)
 絵美江自身の精神というガラスは薄く色づいていて、気泡が星のようで、周囲と隔てられた静寂が心地良い。
 それは錯覚に過ぎず、体は確かに現実の日差しや風を受けている。
 例えば遊園地で家族は楽しそうにはしゃいでいるのに、絵美江の精神は静かな森を歩いて三笑と語り合う。
「私お邪魔じゃない?せっかく家族で楽しんでいるのに」
「いいの。ほら、家族と一緒にお弁当を食べていても、子どもと手を繋いでスキップしていても、こうして三笑とお喋りは出来る。三笑は特別な存在なんだもの」
「うん・・・でも、本当は良くないんじゃないかな。私たちの関係は」
「どうして?」
「だってほら」

 二人は遊園地のミラーハウスに居た。
 絵美江が手を伸ばす。鏡の向こうから三笑も手を伸ばす。

『私は絵美江の蜃気楼なのだから』

 三笑が寂しく笑う。

「三笑。私にはあなたが必要なの。私と本当に対話が出来るのはあなたしか居ないの。何がダメなの?誰に迷惑が掛かるの?私の精神にあなたは必要なの。実在しないあなたの存在が私の精神的支柱なの」

 三笑は黙り込んでしまう。二人は沈黙する。

「逃がさないから」

 絵美江が言う。涙を流している。

「あなたが居ないと、私生きていけないんだもの・・・」

 鏡の中の三笑が絵美江を抱き締める。

『うん。ごめん。何処にも行かない』

「ほんと?」

『本当だよ。ずっと一緒』

 その時、鏡の迷路から一人の少女が飛び出して来た。

「あ、いたー!ねぇもう出ようよぉ。私のど渇いたー!」
 健やかな声に、絵美江は現実に戻る。慌てて頬を拭う。
「あ、ごめん。じゃあお外に出ようか」
 絵美江は現実の手を伸ばし、小さな手をぎゅっと掴む。
「ねぇ、誰かとお話ししてたの?」
「・・・お友達。心の中のね」
「ふぅん?」
「うん。悩みがある時はね、自分の心の中の誰かとお話しすると、解決することがある。でもその誰かは、本当は心の中の自分なんだ。人の心は真珠のように幾つもの層で核を包んでいる。あるいは海の蜃気楼のように、何人もの自分が心の中に居るんだよ」
 少女はよく分からないといった顔で話を聞き流している。
 通路の鏡には無数の少女が映る。少女はまだ心の中の自分を知らない。
 外へ出ると明るい日差しが二人を包んだ。少女が繋いだ手の先を見上げる。

「パパ、泣いてるの?」

 絵美江はするりと身を隠した。

「ううん。お日様が眩しかっただけだよ」

 父親は優しく微笑み、娘の頬をそっと撫でた。

                         (了)


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