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「北と南、或いはその他の何処か」(宮澤賢治『風の又三郎』の二次創作)

「へー。なんちこうこういっとっとね」
「?」
「ああ、何ていう高校に行っているのか、って」
「I県立T高校です。海洋科です」
「かいようち!おやこないだ胃潰瘍で入院したが!」
「もうあなた、失礼じゃない。ごめんねぇ賢治君」
「ハァ・・」

 遠い距離を旅して来た僕は、いきなり色の黒い集団(ほぼおっさん)の群れに放り込まれて当惑している。
(ていうか、言葉が通じない・・)
 いつ国境を越えたんだろう。トンネルを抜けると・・新幹線を乗り継ぐとそこは九州だった。窓の外に火山。そう、火山。
「あ、あの・・さっきから噴煙出てますけど大丈夫ですか」
と近くの別のおっさんに聞くと、真顔で
「いや、桜島は噴火せん方が気になる」
「あんねぇ、ここじゃ噴火と火山灰は日常用語なのよ」
 あーっはっはっはと豪快な笑い。
(くさっ)
 息が臭い。芋焼酎というものらしい。
 地元でも親戚のおじさん達の宴会に混ざったことはあるけど、日本酒とは全然匂いが違う。
「こいをねぇ、お湯と半々に割って。こっちじゃ晩酌のことをダレヤメっちゅうのよ。だれ、は疲れの意味。やめ、は止める。お疲れさんちゅうこと」
「惜しかねぇー、二十歳じゃれば飲ますっとに」
「なんがなんが。おや中学で飲まされたが」
「あんたそれは犯罪じゃなかね」
 あーっはっはっは。
(声でけぇ・・・)

 そう、ここは鹿児島。何故僕はこんな地の果てにいるのだろう。
 夏休み、家でダラダラしていると母親にこう言われた。
「ねぇ。ちょっと旅行でもしてみたら?」
「いいよ、メンドくさい」
「お母さんの妹の恵子叔母さん、分かるでしょ。息子の健一君が今東京の大学に行ってるでしょう。恵子が様子を見に行くつもりだったけどぎっくり腰になっちゃって。それでよかったら、賢治くん代わりに行かない?っていうのよ」
 健一兄ちゃんの名前に心動いた。小さい頃から優しくて賢くてイケメンで、一人っ子の僕にとっての心の兄貴。更に母親が
「交通費は恵子が出して、お小遣いはお母さんが出すから」
と気前の良いことを言う。
「まぁ・・だったら行こうかな」
 という経緯で僕は東京へ向かった。
 筈、なのに・・・

 ああ、憧れのお台場は。渋谷は何処へ行った。
 東京に着いた次の日に健一兄ちゃんが
「俺の撮影旅行に付き合ってよ!」
と言い、あれよあれよと地の果てに。

『ここは地の果て、海の始まり』とはポルトガルのロカ岬。
 I県にも海はある。てか、日本中(ほぼ)海はある。
 北の海から南の海へ僕は飛ばされた。
 健一兄ちゃんはカメラが趣味で、高校の頃から気が向くとプイッと風のように撮影旅行に出かけている。大学生になって実家を出て自由度がレベルアップ。バイトで稼いだお金をほぼ撮影に費やしているそうだ。

 訪ねて来たのは健一兄ちゃんの父方の伯父さんのマンションで、錦江湾という海の側に建っている。
「たまに見られるよ、野良イルカ」
 健一兄ちゃんが笑う。湾の中を時折野生のイルカが泳いでいるそうだ。
 健一兄ちゃんの伯父さんは面倒見が良くて人を集めるのが大好き。
 その奥さんは料理好きの振る舞い好き。
 眺望の良いこのマンションは絶好の宴会ルームらしい。
「あらー、I県の子ねぇ。やっぱい色が白かねぇ」
などと珍しがられるが、すみません僕からするとそちらが黒いです。
「こっちの醤油は甘いからねぇ、口に合わんかったら残していいからね!」
 どん、と目の前に器が置かれた。豚バラ肉が入った肉じゃがは大層甘いが、これはこれで嫌いじゃない。

(あ、あのさ。本当に僕まで泊めてもらっていいのかな)
 こそっと健一兄ちゃんに訊く。
「いいっていいって。来る途中でちゃんと言ってあるんだから」
 成人して酒が飲める兄ちゃんの顔はちょっと赤い。リビングとキッチンに合わせて十数人集まっているが、未成年は僕だけらしく、ちびちびと烏龍茶を飲む。 
 この家のオバちゃんが
「あんたは疲れとらんね?先にお風呂入る?」とか
「隣の和室に布団を敷いてあるから、疲れたらゴロンてしときなさい」
と世話を焼いてくれる。
 異国の言語と異国の酒の匂い。ごちゃ混ぜの闇鍋の中のような雰囲気の中、僕はもうどうでもいいような気持ちでハイになっていった。

 翌朝。
 バタバタとオバちゃんが家中の窓を開けて回っている。
「おはようございます・・」
「あらっ、早かねー!おはよう。健ちゃんも起きた?」
「・・・今起きましたぁ・・・ふあああ〜〜」
 和室で一緒にごろ寝していた健一兄ちゃんも出てくる。
「焼酎臭かでしょ。今換気をしてるから、ベランダに出とんなさい」
 朝日が燦々と錦江湾を照らしている。
「おお〜・・・・」
 思わず声が出た。
「いいだろ、朝日を浴びる桜島」
 確かに。
 鹿児島市街地と桜島は意外と近い。
 目の前の雄大な景色を健一兄ちゃんはゆったり見ている。
「写真撮らないの?」
「今はいいや」
 ベランダにはアウトドア用のテーブルとベンチが置かれていて、兄ちゃんと僕は腰を下ろした。

「同じ日本でもさぁ、北と南ってやっぱり違うよな」
「ってか、言葉がもう外国語だよね」
「伯父さん達も、ちゃんとした場所だと普通に話すよ。飲み会だとああだけど」
「そうなんだ」
 南国の夏でも早朝は涼しい。
 兄ちゃんは酔いを醒ますように、顔に風を受けていた。

「賢治。俺、中学半分行ってないって言ったっけ」
「え?」
 僕はギクっとする。
「聞いてない・・・」
「誰も言わなかったんだな。俺も、賢治に言わないように釘を刺されていたからな」
「・・・・」
 僕は黙り込む。
「旅先まで来て、こんな話されるの嫌だよな。でもあれだぜ。今回お前が俺んとこに来させられたのって、お前の親と俺の親が示し合わせたんだと思う。俺が、賢治に何かしらアドバイスするのを期待してさ」
 腹の底から悔しさが滲む。
 何も、僕の好きな兄ちゃんにバラさなくてもいいじゃないか。
「賢治。俺は、どうでもいい相手には嫌な話はしないよ」
「・・・・」
「説教食らうの嫌だよな。俺だって、お前に嫌われたくなかったら、こんな話しなきゃいいんだ。ゴールデンウィーク明けた頃から、学校行ってないんだってな」
「・・あの・・・」
「これだけ教えて。何か深刻な、法律や警察の介入が必要な問題があるか?」
「それは無いよ」
「そっか」
 兄ちゃんは少し黙った。

「賢治」
「・・・」
「どっちに行っても、どこかには行けるよ。生きてさえいれば」
「別に僕・・・」
「うん。死にたいなんて言ってないよな。ごめん」
「・・・」
「俺は今でもフラフラしてる。撮影とか言って、いい景色探してるとか言い訳にして。百遍にいっぺん位はいい絵が撮れる。それだけを頼りに」
「でも・・ちゃんとしてるじゃん。東京の、いい大学に行って」
「大学がゴールじゃないし。それは誰でもだろ」
「そうだけど・・・」
「悩む余裕も無い人もいる。立ち止まったり迷うのは、贅沢なのかも知れない。でも、ありふれた言い方だけど、生き方に正解はないと俺は思うよ。行くのが嫌なら高校を辞めてもいいんじゃないか」
「辞めたい訳じゃないんだ」
「そっか。俺はあれだな。中学の時は、学校が俺を拒んでるような気がしてた。俺の居場所が1ミリも無いところだと思ってた。結局とことん休んで、好きな時だけ行って。心配した親が申し込んだ塾に通って。なんとか入れる高校に行って」
「・・・・」
「俺今になって思うんだけど。親や先生なんか、固定概念に囚われ過ぎじゃね?明るくて元気で友達がいっぱいいるのが良い子ども、みたいな。そうじゃない子どもを必死で枠の中に入れようとする。製氷皿の四角い氷みたいに。規格に沿った子どもの方が管理しやすいんだよ、特に学校なんかは。親も、子どもが規格内に居てくれた方が安心なんだ」
「兄ちゃんの言い方だと・・・」
 僕は言葉を探す。
「僕は自分だけが、氷の皿から溢れているような気がして。周りはみんな上手くやってるのに。それでなんか・・みんなに見下されているような気がして・・」
「多分、溢れてる奴はいっぱいいるよ」
 僕は黙る。言葉が探せないから。
 兄ちゃんが今、僕に寄り添おうとしてくれているのは分かる。有難いけど鬱陶しい。兄ちゃんがイヒヒと笑った。
「俺の経験上、お前今俺のこと超絶ウザいと思ってんだろ」
 図星だ。
「ごめんな、朝っぱらから」
「あ、うん・・ごめん。気持ちは嬉しい」
「無理すんなよ」
「ん・・・」
 兄ちゃんの髪が朝日を浴びて赤く染まっている。

「・・さっきの、前に伯父さんに聞いた言葉なんだ」
「え?」
「生きてさえいれば。ここの伯父さんは大学生の時に阪神の震災に遭ってる」
 僕が生まれる前の話。阪神・淡路大震災。
「本人からは震災のことは聞いてないんだ。聞いたのは伯母さんから」
「・・・・」
「付き合っている時に聞いたんだって。自分なんかが生き残って、他にもっと世の中の役に立つ人がいただろうに、って。伯母さんそれ聞いて泣いたらしい。他にも色々。部屋が潰れて、同じアパートの人に声を掛けられて、車の中で過ごさせてもらったこととか」
 兄ちゃんは遠くを見る。
「伯父さんからその言葉を聞いたのは一回きりだ。軽々しく使いたくないんだろうな。俺、さっきうっかり使っちゃったな」
 兄ちゃんは笑う。
「誤解すんなよ。お前よりも辛い目に遭ってる人がたくさんいるんだって、そんな無意味な比較をするつもりないからな」
「うん。分かってる」

 兄ちゃんは勢いよく腰を上げた。
「あー、飲んだ翌朝って妙に腹が減る。台所行って伯母さんの手伝いでもするか」
「僕もする。ねぇ、兄ちゃんはさ、大学出たらどうすんの」
「俺?商社でもなんでも、海外に出られる仕事したいなぁって思ってる」
「すごいじゃん」
「いやあ。海外行くの金かかるじゃん。会社の仕事で行けたらタダだなぁって」
「何だそれ」
「俺は実際に体を持っていかなきゃ、違う所へは行けないみたいだ。行けるやつはデスクの前に座っていても違う世界に行けるんだろう。風みたいに」
 南の国の風が頬を撫でる。

 答えの出ない問答をした気がする。
 けれど、自分に向き合おうとしてくれる相手が居るのは嬉しい。
 相手が居なかったら?僕は僕と向き合うしかないのだろうか。
 それでも僕は・・

 それでも僕は、いつか。
 吹く風の尻尾を、掴めればいいと思う。


(最後に)
 勝手ながらI県立T高校のお名前、拝借致しました。
 ご気分を害されたら申し訳ございません。

 11月3日、スキをいただいた後ですが、一部書き足しました。すみません。
 震災の時のエピソードは知人の経験に基づくものです。
 

 

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