「私に教えないで」(萩原恭次郎「死刑宣告」の二次創作)
・・・イチ、ニィ、サン・・・
心の中で数える。
床に散らばったお茶碗の欠片。
(これ、あのホームセンターで買ったなぁ)
そんなことを思い出しながら。
「ねぇ、お茶碗は?色違いのこれでいいかな」
本当はそんなふうに買いたかったけど、私はひとりだった。
今の私と同じ姿を私は知っている。私の母の姿。
母は疲れた体で缶ビールを買いに行き、父は飲んだくれて母を殴った。母は疲れた体で働いて得たお金を毎日缶ビールに費やして父を飲んだくれさせていた。
「どうして離婚せんの」
中学生の頃、うちの家計は母さえ居ればなんとかなると理解した私は母に訊いた。
「よく分からんけど、裁判とかしたら勝てるんちゃうの。お父さんのあれはDVっていうんでしょ」
あんなに勧めたのに母は父を捨てなかった。寂しく笑って耐えていた。離婚しないうちに、父は酔っ払ってドブに嵌って死んだ。
(どうして、あんな泣くんやろ)
お葬式でずっと泣いている母が私は不思議だった。
「それ、共依存っていうんじゃない」
大人になって就職した私は、職場の飲み会でぽろりと両親の話をした。どうしても乾杯のビールを飲めなかった私は、気のいい女の先輩にいつの間にか昔話をしていた。
「そういう男ってさぁ、暴力振るった後にすごく優しくするんだって。それがあるから女は離れられないんだってさ」
百億分の一の優しさ。
大海に落とされた一滴の美酒。
そんなものの為に母は父を追って自殺したのだろうか。
今私は、父にそっくりな男と付き合っている。私の服の下には生傷が絶えない。
「見える所に傷があったらお前も恥ずかしいだろ」
(それは、あなたの優しさなの?)
あなたは出て行った。嵐の後のようなアパートの部屋に私を置いて。
そして多分、ケーキの箱を下げて帰って来る。それがいつものルーティン。
あなたの繊細なところを。
あなたの不器用な笑顔を。
あなたの優しい言葉を。
どうして私に教えたの?
どうして。ドウシテ。ドウシテ。
「どうして・・・・」
私はひとり涙を流す。
私は待ちきれない。あなたに殴られる瞬間を。その後抱きしめる腕を。
「私に教えないで」
あなたの素敵なところを。
「大好き、大好き、大好き・・・」
直接言うと鬱陶しいってあなたは怒るから、私はひとりで言うの。
アパートの階段が鳴る。あなたの足音が聞こえる。私の心は歓喜に沸く。
彼は私を殴るかしら。私を抱くのかしら。
行く先に破滅しか無い。
こんな
愛しか
私は
知らない。
(了)
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