「夏」(三好達治「南窗集(なんそうしゅう)」より「土」の二次創作)
蟻が
蝶の羽をひいて行く
ああ
ヨットのやうだ
(引用)
「ちくしょう ちくしょう 馬鹿野郎!」
見つけた時俺は怒鳴った。
「どうしてこんなことに!」
灼熱の地べたの上に、敗残兵が立てた白旗のように、無惨な屍を晒すお前。
「似合わないんだよ!」
お前が死ぬだなんて想像したことはないが、もしもそんな悲劇があるとしたら、王の葬列のように厳かなものでなければ!分相応という言葉がある。地べたは俺のものだ。真夏は鉄板のように焼け、冬は霜柱が足を刺すこの地べたは俺のものだ。
「お前は違うだろう!」
俺を見下すあの瞳は何処へ行った。何者をも受け入れず、見る者を鏡のように跳ね返すあの瞳があった場所には洞穴が空いている。
喉が裂ける程喚き散らしているのに世界は静かで、ここに俺が居ることなど誰も気づかない。
見てくれ。俺よりも、この哀れな亡骸を見てくれ。・・・否。見てはいけない。あの華麗な存在が、丸めた紙屑のように転がっている姿など、見るべきではない。
「隠さなければ」
そう思うのに体が動かない。俺は・・・かつてお前に触れたことなど無かった。口を利いたことも、芳しいであろうその息を感じたことも。俺はただ、お前を見上げることしか出来なかった。
俺は泥だらけで地べたを這う存在で、お前は生ける宝石だった。誰もがお前に見惚れた。お前を手に入れようと躍起になった。
お前は周囲の焦燥に気づきもせず、優雅に裳裾を閃かせて舞っていた。俺はその空気の揺らぎを感じるだけで、一日中うっとりと夢見心地になったものだった。
「それがどうだ」
今のお前は大胆な娼婦のように無防備に体を晒している。しなやかな脚を開いている。俺はその脚をそっと閉じた。あまりにも見るに耐えない姿だった。
ああ、今・・・・俺の指が初めてお前に触れた。そして実感してしまった。お前の死を。
もう動かない。
美しい顔は、死を得て慎ましさを増している。
抱き抱えるとぐったりと俺にもたれてくる。お前が死んでいることに俺は安堵する。生きたお前が俺に身を任せることは無かったのだから。固いような柔らかいような体は支点を間違えると折れてしまいそうだ。
「ごめんな。葬列は俺一人だ」
お前はどんな声をしてたんだろう。
響くのは擦過音のみ。
ザリザリ、ザリザリ。
死体が地べたと擦れる音。
「こんなことなら・・・」
怯えずに一言でも話しかければ良かった。好きです、でも。良いお天気ですね、でも。
例え返事が侮蔑の言葉でも、刹那は俺の存在を意識してくれた筈だ。
その刹那を得る勇気が無かった。
死んだお前に触れられる喜びと罪悪感。惨めで卑屈な俺の恋。
今出来るのは、灼熱の日差しからお前の体を守ることだけ。
俺はザリザリとお前を引きずっていく。せめてあの木陰まで・・その時だ。
どすん、ぐわん!
大地が揺れ、梵鐘のように巨大な音が鳴り響いた。
「奴らだ!くそ、こんな時に」
アレが天変地異ではなく生物だと知ったのは最近のことだ。
巨大過ぎる。突然に現れて嵐のように過ぎ去って行く、移動する災難。
二体居る。その響きは会話らしいが、意味など分からない。
早く過ぎ去ってくれ・・・
「あれ。たっくん、さっきの奴捨てちゃったの?」
「うん」
「せっかく捕まえたのに」
「羽がもげたんだもん」
「あ、下見て。ホラ」
「何?」
「わあ、ヨットみたい。国語で習ったじゃない」
「本当だ」
少年達は暫しの間、足元の小さな生き物を観察した。
「あっ!かっちゃん、あっちに大きな蝶!」
「本当だ、行こう!」
移り気な童心は次の獲物へと駆け出した。小さなヨットは踏み躙られた。
だが蟻は幸せだったかも知れない。憧れの蝶と一体になれたのだから。
(了)