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「経営者の孤独」とは一体なんだったのか

はじめに

株式会社URAKATAの役員の古旗笑佳です。2023年7月から2024年3月まで学生インターンとして、2024年1月から3月までは役員としても株式会社URAKATAに所属していました。
「役員」というのは会社の中核を担う役割で、事業の方針を決定し組織全体を管理・監督する役職を指します。つまり会社の発展を考え行動することが求められるため、経営者マインドを持つことが立場として期待されます。
今回の取り組みはURAKATAのミッションである「経営者の孤独に寄り添う」の実現のための実験でもありました。何が経営者を経営者たらしめているのか、そして「経営者の孤独」とは一体何なのか。学生インターンから役員になるいう私自身の立場の変化を通じて解釈したことを本記事にまとめます。

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経営者の孤独①:1人で悩みを抱えて解決すること

まず、経営者というポジションにおける悩みを相談できる人がいない、ということが経営者の孤独を深める要因になっていたと私はみています。

<人間関係>
様々な人たちとの繋がりの中で、「この人が自分の事業においてこんな関わり方をしてくれる可能性はないのか」という期待を少なからず持ちながらコミュニケーションとることが増えるのだと思います。利益不利益を一切考えることなく、純粋な人間関係を築いていくことが難しい立場です。結果的に経営者であることを完全に切り離した自分としては相談ができる相手は存在しないのだと感じます。また、社内に信頼している人がいたとしても、会社の未来に不安を抱かせてはいけないという意識がどうしても根底にはあると思います。どう相談したら会社への不信感に繋がらずに、かつ相手からの助けが得られるのかを考えると相談はなかなかできないのが現実です。

<お金>
URAKATAのお客さんである方々には皆、全ての会計情報を共有している相手はいませんでした。自分だけが唯一の最後まで頼れる存在。手元資金がない、融資をどこからどのようにとってくるのか、融資の準備はどう進めるのか、欲しい人材を雇うための給与をどのように組み立てるのか。お金のことを考えればキリがありません。ただ、URAKATAはその部分を共有していただいた上でサポートに入ることが多いため、孤独の一つの側面には寄り添うことが可能なのだと思います。

経営者の孤独②:1人で決断し責任を負うこと

メンバーの人生と会社の未来のために「自分だけで決断をしなければならないこと」が経営者にはあります。その責任の全てを自分が負わなければならないこと、そしてその事実を真に理解してくれる人はいないこと、それが孤独を生んでいました。
例えば体調不良のメンバーがいるとき。メンバー自身のこれからの人生が明るくなるよう、かつ社内全体のパフォーマンスを落とさないための調整は経営者が決断する必要があります。他の誰も決めてはくれません。誰の何を優先させるのか、決めて、未来を描くことが求められます。
関わる人たちの未来やその人たちが享受すべき幸せに対しての責任は経営者にあります。社員が給与をもらい、人によっては家族を養っている。それが自分の決断ひとつで壊すことになるリスク と常に隣り合わせでいます。自分以外の人たちの人生を背負っている感覚は、社員を持つ経営者にしかわからないと感じます。しかし、その責任について社内でわざわざ話すわけではなく、メンバーも経営者がその苦しみの上で自分たちを雇っていることを実感する機会があまりない。ここが孤独の正体だと私は感じました。

経営者の孤独③:1人でやり始めて、進めていくこと

そして、事業は誰に頼まれたわけでもなく経営者自身が始めたこと。「がんばって!」と応援されることはあっても、その上で投資してもらえるか・本気でこの事業を成長させるための建設的批判をしてもらえるかはまた別。それを勝ち取りに行かなければならない立場になります。誰にも求められていないかもしれない、でも「自分はつくりたいものだからこの事業をやるのだ」というエゴが必要だと感じました。
事業を大きくする過程で関わる人を増やせば、その人たちの時間を使って自分が言い出した世界線を創り出そうとすることになります。自分がこれをしたいんだ!というエゴを他人の人生を巻き込む責任を負いながらも、いかに貫き通せるのかと戦うことが孤独なのだと思います。

それでも経営者はおもしろい生き方

存在しなかった世界にその事業を誕生させて、それを生かし続けることを決めた生き方。それは経営者でしか経験し得ないことで、本当に負荷が大きいです。それでもこの生き方をすると決め、信念を持ち、誰かの人生を背負う責任と共に生きていく道を選んでいる。だから経営者の人たちはみんなかっこいいし、そこでしか感じられない感情と感動に囲まれていると思いました。それってとてもおもしろい、と私は感じます。孤独を背負うからこそ、その先にある景色はその人たちにしか見ることができないものです。

孤独は寄り添えるもの

孤独には寄り添おうとし続ける限り寄り添うことはできる。経営者の孤独の正体を考える中で、私が出した結論でした。何よりも”本気で”経営者の隣にいて、お互いに信頼を築ける存在になることがURAKATAはできると思いました。そばにいたり、並走したり、影武者になって人・金・モノの多面的なサポートができる集団だから。
ここにはもちろん金銭的交換も発生するけれど、URAKATAの考えでは「お金分働いてください」「お金分働いてますよ」というコミュニケーションをできる限り生み出さないように、ということを大事にしています。例えば契約プランに入ってなくても、URAKATAとしては負担が大きくなったとしても、その人の会社経営において良いことは提案する。お客さんに対しては「あなただから本気で孤独と対峙する」、URAKATAに対して「あなただから私の孤独を見せられる」と言ってもらえる関係性になっているのだと思います。これは金銭的交換のみで築けるものではなく、築かせてもらえるものでもありません。
この向き合い方を続けることができれば、経営者の孤独に寄り添うことができる。だから、経営者の孤独は怖くないと思っています。

役員としての生活を振り返って

気づきと変化がある3ヶ月でした。

  1. 社外の人から「学生インターン兼役員」という立場を面白がっていただけることが多かった。
    私自身のことも、URAKATAという会社のことも取り組みが珍しいがゆえに覚えてもらいやすいことに価値を感じていました。

  2. 常に会社単位で物事を考えるようになった。
    今までは個人としてどう会社に貢献できるかという視点しか持てていませんでした。この期間を経て、会社全体にとっての最適解を考える脳に切り替わったと感じます。次の一手として何を打ち出せば会社のどの部分に作用させることができるかを考える視点を得ることができました。

  3. 社員であるURAKATAメンバーの人生を真剣に考える期間だった。
    毎週全員と30分1on1をすることが役員としての任務の一つでした。一人ひとりにとってこの時間で話すべきことを探るところから始まり、今後のメンバーの人生がよりよいものであるためのアクションが見えてくる時間にするべく奮闘しました。人事配置や適性を見る仕事への興味が湧きました。

  4. 盲目的にURAKATAが全てにおいて素晴らしい会社だ、と思うことをやめた。
    どの分野・部分において伸び代があるのか。ここはもっと注力すべきなのではないか。さらに良くするための視点を持つようになりました。

  5. 私が経営者の孤独を感じることはなかった。
    この3ヶ月間で孤独だと思った瞬間は一度もありませんでした。条件は経営者だったけれど、状態は経営者じゃなかった。自分の裁量で決定をし、手段を時に選ばず、責任を負い、それが社員の人生に大きく影響するといったプレッシャーがなかったからだと思います。代表である藤沢に守られていたと感じています。

最後に

URAKATAメンバー・URAKATAのお客さんである経営者の皆さまと一緒にお仕事をさせてもらえたからこそ、このテーマを探っていくことができました。本当にありがとうございました!

私の視点から株式会社URAKATAはどんな組織だったのかをまとめたnoteもありますので、そちらもぜひご一読ください。

経営者って興味深くておもしろい!

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