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【女であることを考えていたら櫻坂46に行き着いた話】

私には、20代の頃からずっと考え続けていたことがある。
それは、「女であることってどういうことなんだろう」。
なぜあんなに考えていたのか、今振り返ってみるとよくわからない。
とにかく、女であるってどういうことだろう、といつも考えていた。

当時、こんなことがあった。
取引先を訪ねた時、若い事務の女性とちょっと話していたら、
横から「この子ね、もうすぐ結婚するんだよ」と誰かが口を挟んだ。
今なら考えられないと思うけど、そういう時代だった。
個人情報とか何それ、プライベートの話も当然するよね、な時代。
もうすぐ結婚するという若い女性はニコニコしていて、
そんな彼女に、私は何か考えるよりも先に
「それはおめでとうございます!」と言った。

その時だった。そばで私たちの会話を聞いていた、
30代半ばくらいの女性がいきなり会話に割り込んできた。
「またまたぁ〜。そんなこと言っちゃってぇ。
本当は先越されて悔しいんでしょ?」

びっくりした。何を言われているかわからかった。
3秒くらい沈黙したような気がするけど、なんと答えたか覚えていない。
それぐらいびっくりした。

姉のいる私は子どもの頃から学生時代、社会人になってからも、
年上の女の人に可愛がられることが多く、助けられてばかりだった。
だから、年下にこんな意地悪なことを言う人が実在するなんて思いもしなかった。世間で使い古された「女の敵は女」をこの時ほど実感したことはなかった。
今だったら、セクハラとパワハラで大問題になるはずだが、
そういう時代だったのだ。
彼女の名前も覚えていないけれど、
あの一言を言った時の歪んだ笑顔は今も覚えている。

当時の私は確か26歳か27歳くらいだったと思う。
彼氏もいなかったし、仕事で一人前になるため必死だったから、
結婚なんて想像もできなかったし、したいとも思わなかった。

けれど、今振り返ってみると、
「女であることってどういうことだろう」と考え始めたのは、
その頃からかもしれない。

その後、仕事でいろいろ重なって心身ともに疲れ切った私は休業をした。
休業中に仲良くなって結婚したのが今の夫だ。
結婚しようと思った理由はいろいろあるけれど、
そのひとつが、「自分にとって苦手なことをしよう」というものだった。
心身は元気になっていたが、何も変えずに仕事に戻れば、
きっと前と同じことが起こる気がした。
だから、自分が一番苦手な
「人に合わせる」「人と真正面から向き合う」ことをしようと考えたのだ。

だからかどうかはわからないが、30歳で結婚した後も、
「女であるってどういうことなんだろう」と考え続けていた。
女の体に生まれたら女なのか。
子どもを産めば女なのか。
考えれば考えるほどわからなかった。
かといって、「自分は女ではない」という感覚もない。
私の場合、性自認の問題というよりも、

世間でこうとされる女らしさに当てはまらない自分を持て余していたのだと思う。それなら自分をそのまま受け入れればよかったのだが、
当時はそうは思えなかった。
世の中で良しとされる女性像に、ハマらなければいけないような気がしていた。

けれど、子どもを持たない人生としての自分の人生を受け入れたあたりから、
そんなことはどうでも良くなってしまった。
自分以外の自分になれないのだから楽しく過ごそう、と考えるようになっていた。

そんな時、出会ったのが欅坂46だった。
正直に言えば女性アイドル、特に大所帯の女性アイドルは苦手だった。
それは、私は女性アイドルを
「男性が求める理想の女性像を具現化し、提示する存在」
と勝手に解釈していたからだ。

他の女性アイドルグループのことはわからないのだけど、
欅は私が勝手に枠にはめていたアイドル像から見事にはみ出していた。

女性アイドルが歌う一人称が「僕」の歌はそれまでもあったが、
欅の「僕」の歌はそれともまた違って聞こえた。
そこで歌われるのは「自分とは何か」という命題への希求であり、
だからこそ欅の「僕」は男性に限定しない一人称に聞こえた。
性別や年代を超え、多くの人がその葛藤や世界観を共有できたのは、
もしかしたらそのせいかもしれない。

欅坂46から櫻坂46になってもその路線は引き継がれているが、
違いもある。
櫻のデビュー曲「Nobody’s fault」には「僕」が出てこない。
出てくるのは「お前」「自分」「誰か」。まさに誰でもない。
「お前」とは鏡に映る「自分」であり、「誰か」なのだ。
それは3rdの「流れ弾」も同じで、
ここでも出てくるのは「自分」「誰も彼も」だ。
一方、2ndの「BAN」と4thの「流れ弾」は「僕」だ。

人には「自分とは何者であるか」という問いと
向き合わざるを得ない時がある。
そんなふうにしゃちほこばって自分と向き合っていない時でも、
実は人は自分のアイデンティティを築き続けている。
しかし、一度築き上げたら終わり、ではない。
就職や転職、出会いや別れによって
新たなアイデンティティの要素が加わったり、時には崩れたりして、
その度に再構築をする。その繰り返しが、生きるということなのかもしれない。
まさに、「生きるとは変わること」だ。

何が言いたいかというと。
欅から櫻の世界へと移行した「僕」は、
アイデンティティを築きながら組み替え、
再構築するという自分らしさを選んだのではないだろうか。

それは、「僕はこうなんだ」というこだわりから自由になり、
常に新しい自分との出会いを求め続ける道だ。
何色にも染められる「白」をグループカラーとする櫻坂は、
常に変化をし続けている。

それこそが、櫻坂46のアイデンティティなのかもしれない。
その変化を受け入れながら、
「自分とは何者なのか」を探す道を、私も歩き続けていきたいと思う。




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