佐藤紀毅さんっ!#2(レストランURATIE)~うらほろ『人』発信 1人目
前回、憧れの「船上コック」で調理師の世界へ船出した佐藤さん。そこからレストランURATIE を開店し、今に至るエピソードをご紹介っ
~そして僕は船を降りた~
--憧れの船上コック生活ですが、続きをお願いします。
船で1番辛かったのは孤立したときかな。派遣で一人で船に乗った時とかに、派遣だから自分以外の乗員はみんな同じ会社で仲がよくて、孤立するんですよね。何作っても「いやぁ」って言って(乗組員が)自分でカップ麺作って食べたり…なんせ会話がなかった。「おはようございます」と「ありがとうございました」しか言わない期間が一ヶ月くらいあって、めちゃくちゃ病みましたね。そこで思いました、怒られることってすげぇいいんだって。1番ダメなのって相手にされないことで、なによりも1番辛いんだなって。怒られなかった、相手にされなくなった一ヶ月間が大きくて「もうダメかもしれん」ってトラウマになっちゃって…働き始めて3年になるし、お金もちょっと貯まったし…。
そんな頃、ちょうどレストラン大和(だいわ、町内の飲食店)さんから「ちょっと(うちにくるの)どうだ?」って話があって、いいタイミングなのかもなぁって。
ーー辛い時期もあって転機が訪れた訳ですね
次の船に乗って決めようって思って乗ったけど、乗った瞬間から「あぁ(浦幌で)やりてぇなぁ」と思ってて…ただ最後の船はめちゃくちゃ楽しかったんだよね(笑)毎日飲み会で先輩とかがおごってくれたりとか、今まで乗った中で1番楽しくって。でも、高校卒業する時から「絶対地元で店を出す」って決めてたっていうのもあって、最終的に3年間で船を降り、大和さんでお世話になることにして、うら亭(うらほろ亭、レストランURATIE の前身)で働くことになりました。
~修行の日々、まさかの…~
--お店での仕事はどうでしたか?
すごい楽しかった!船って調理する時に火を使え無くて、イメージ的にはストーブの上で鉄板みたいなものがあって、電気で調理してたから。最初「火で料理するんだ!」ってなって(笑)油も船には無いから、フライヤーとかも改めて1から教えてもらったり、スマホで店長が作ってるところ撮影したりしてました。店長とかはもう量らないで感覚で入れてるから、動画で「あっ、これくらいいれてる!」ってのを家帰って自分で確認して。
--お店の仕事が逆に新鮮だったんですね(笑)ほかに当時のエピソードはありますか?
後はひたすらメモを取りました。今バイトとかで来てる人たちにも言うんだけど、とにかくメモをとれと。当時からメモして、家帰って復習して次の日来るっていうのをずっとやってました。それで仕事覚えていって、そしたら1ヶ月で店長から「お前やってみろ」って言われて、一人で店回すことになって「まじかよ」って…で、やったら大泉洋(タレントの大泉洋さん)が取材に来たんだから(笑)「面白いから撮ってもいいですか?」ってなって撮影になった。(注:2017年7月にHTBで放送された「ハナタレナックス」の撮影で、偶然、大泉洋さんが来店した)
ーー初めてお店を任された日に、あの大泉洋さんが!まさにミラクルっ
そっからまたしばらく店長の料理を見て、覚えて、っていったときに、店長から「俺もう辞めるからお前が店をやれよ」って言われて…正直「え、やめんの?まだがんばれよ」って思いました(笑笑)
うらほろ亭を引き継いで味を守るって選択肢もあったんだけど、店長から「お前は一人でやってみろ。お前には人脈がある。色んな若い友達とか知り合いとかいっぱいいるんだから絶対助けてくれる、絶対やれよ。」と言われて「はい、やります」ってなって。
~URATIE 開店秘話~
ーーそれで2019年9月に現在の「レストランURATIE 」を開店…トントン拍子にも思えますが?
でも本当はまだ早いと思ったんだよね。正直、もう一軒違うとこ行って学んでからと思ってた。
ーーではなぜこのタイミングで自分のお店を開くことに?
1番の動機はトコムロラボ!先にカフェやって食事出してたし(そのお仲間の)モリケン(森健太さん)や小松(小松輝さん)とかが浦幌出身でもないのに、地域おこし協力隊で浦幌に来て、自分で会社作って、浦幌でやってる。それなのに地元の俺がやんねーとダメでしょ!ってなって。あいつらでもできるなら俺も絶対できる!って思ってそういういう気持ちでやりました。
ーーURATIE 開店のきっかけに、浦幌への熱い思いがあったとは驚きです!
~「うら亭」と「URATIE」~
で、それから今の店(URATIE)だけど、最初の方、ま、今もだけど、まあ休みなんてないよねもう、休みの日に買い出し行くから。そんなだったけど最初はすごく批判されたんだよね「味が違う」って。当時はよくへこんでたんだ。けど、よくよく考えたら「違う店じゃん!」って(笑笑)
--開き直ったんですね!
最初ほんとへこんだけど、お客さんのターゲットを途中から変えたんだよね。「俺はこれから若い人のための店を作ろう!」と思って。通り客と、あと若い人ターゲットにして…そっからは充実感。夜遅くまで飲んでても、話すの好きだし、何時まででも付き合うし。っていうのが、俺のこの店のあり方なんかなぁと思って。
この場所でライブやったのもそうだし、他の人がやらない、新しいことをどんどんやっていこうって。で、オリンピックがあるからプロジェクターを買ったり、ここに来たら「二次会でスナック行くの遠い」ってなるから、一次会も二次会もここでやればいいってカラオケつけたけど、オリンピックも飲み会も(コロナで)全部なくなっちゃって「おぅ、そうなの!?」って(笑)
ーーご自身のスタイルを見つけて舵を切った…矢先のコロナ禍。もどかしいですね。
色んなイベントも考えてたんだけど、全部おじゃんになって、今、お手上げ状態だよね。まぁでも落ち着いたらどんどんイベントやってこうかなって感じだよね。
…あと、実は、早く店のイメージがスパカツから離れてってほしいんだよね。スパカツはどうしても浦幌の味になっちゃってるから「俺の味を、違う料理も食べて欲しい!」って。だから取材とか結構ネットとかので来て、そのときも「スパカツは自信あります」とか一言も言ってないんだけどね(笑)
ーー……!?(一同びっくり)
新しく「チーミー」とか出してやってるけど、メニューも今後どんどん増やす予定でいるし。
だけど、今なかなかそれも発信できない、自粛だから難しいよね。だからほんとは緊急事態宣言を出してもらったほうがありがたいんだ、むしろ。それだったら何も言わずに閉められるから。今の状況だと店開けててもそんなに出歩いてる人もいないし…でも電気代暖房代とかかかっちゃうし…。でも、それでももういいやってなったよね、人が来ればあけるし、周りに何を言われようがやるし、夜遅くまで(笑)
ーー流れに身を任せながら、荒波に立ち向かう。そんな、おおらかで芯の強い佐藤さんのお話しに発信隊一同、すっかり聞き入っていました。
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