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ラグリマ-F.タレガ-
F.タレガ
Francisco Tárreg
1862年よりジュリアン・アルカス (Julian Arcas) の下でギターの習得を開始する。当時のヨーロッパにおいてギターは格式の低い楽器と見なされていたため、父親はタレガにピアノも同時に習わせた。
1869年、タレガは著名な楽器職人であるアントニオ・デ・トーレスの製作したギターを手にする機会を得た。それは従来のものに比べて音量が大きく、またよく響くという特徴を持っていた。
1874年、タレガはマドリード音楽院に入学し、音楽理論や和声、ピアノ演奏などを学んだ。1877年から音楽教師として、またギタリストとして生計を立てるようになり、「ギターのサラサーテ」として評判になった。私生活では1881年に (María Josepha Rizo) と結婚し、1885年バルセロナに移り住んだ。
それから数年間でタレガは複数のギター曲を発表し、その中にはメンデルスゾーンやゴットシャルク、タールベルクらのピアノ曲を編曲したものも含まれていた。当時タレガはアルベニスやグラナドスといったスペイン人作曲家と交流し、彼らの作品をギター曲へと編曲した。その他にもベートーヴェンのピアノソナタ第4番、第13番(悲愴)および第14番(月光)、またショパンによる複数のプレリュードがタレガによってギター曲にアレンジされた。
1885年から1903年にかけてスペイン全土で演奏を行った後、タレガは1903年イタリアへ移住した。しかし名声の絶頂にあった1906年に右半身麻痺となったが、1909年の死の直前まで公演をやめることはなかった。
タレガはエミリオ・プジョルやマリア・リタ・ブロンディ (Maria Rita Brondi) などの後進を育て、20世紀ギター史に大きな影響を及ぼした。
引用
ラグリマ
クラシックギター曲として非常に人気の高いタレガの名曲。
「ラグリマ(Lágrima)」とはスペイン語で「涙」という意味です。
タレガの娘コンチータの死を悼むため書かれ、涙がつたう様子が八分音符で表現されています。
雑談
ここまでF.タレガのラグリマについて語ってきました。というのも、自分もライブで演奏したからなんですね。自分の場合はロックバンドなのでエレキギターを使ってやらせていただいたのですが、クラシックギターに情熱を燃やしている方には少し不本意かもしれません。セッティング時間などの諸事情によりこのようなスタイルとなっています、ご了承ください。ラグリマは楽譜だけ見るとシンプルに見えますが、表現に深みがあり弾きこなすのが難しい曲の一つだと思います。再度動画を見てみるとここはもう少し繊細に弾きたかったなど反省点が見受けられます。それも込みで今後の課題ということで真摯に受け止めていきましょう。では最後に動画のリンクをはって終わります。