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ピースボートと私 終わり
44回地球一周の船旅は、私の初めての海外旅行でもあった。
舗装が甘く、穴だらけの道路。
道に座ってお金を無心している障がい者。
追いかけてくる子ども達。
信じられない位青く綺麗な海。
満天の星空。
ミドリ亀ぐらいの大きさの昆虫。
とにかく全てが衝撃的だった。
いいとか、悪いとかじゃない。
口に合う料理も、口に合わない料理もあったし、合う人も、合わない人もいた。
素敵だなと思う事も、理解出来ない
ピースボートと私 その11
神戸から乗ってきたルームメイトは、
ドレッド頭で陽気な子
大人っぽく色気のある子
アメリカに留学しているクールな子
三者三様で、今まで出会ったことないタイプの人種だった。
最年少だった私は遠慮に遠慮して右上のベッドを使う事になった。
その夜、知恵熱を出しさらに外海の揺れの洗礼を浴びた私は、最初の寄港地の沖縄につくまで、何も食べられずベッドから降りられもしなかった。
スタートダッシュに失敗した私
ピースボートと私 その10
出航当日は母と祖母が、見送りに来てくれた。
ボランティアスタッフをはじめて、知り会った友達から餞別にCDとポロシャツをもらったりなんかもして、ギャン泣きした。
出航式と言えば紙テープ!も投げたが、切れて海に落ちた。
出航時に渡された鍵で部屋に入ると、誰もいなかった。
船室に積み込まれていた荷物を確認したところ、みんな関西の住所だったため翌日乗船してくるんだな。と理解した。
自分が使うベッドもロ
ピースボートと私 その9
ボランティアスタッフだけ頑張れば船に乗れる訳じゃない。
船賃を全額ボランティアスタッフ割引で貯められたとしても、ツアー代金や諸経費は支払わなければいけないし、ビザやパスポート取得等の事務手続きもしなければならない。
乗船直前になっても、40万円程度しか割引が貯まっていなかった私は、到底船に乗れる状態じゃなかった。
旅行会社の担当スタッフからの電話も、出なかったり、のらりくらりした受け答えをしてい
ピースボートと私 その8
ボランティアスタッフになると大抵の人が乗船を目指すクルーズを決める。
私はクリスマスに出発する南回りの44回クルーズに乗船することに決めた。
私がボランティアスタッフに登録してから船に乗るまでに、二回クルーズを見送った。
組長は43回クルーズへの乗船を決め、ルパンは44回への乗船を決めて留学へ旅立った。
旅立っていく人が入れば入ってくる人もいる。
テレビのチャンネルが2つしかない田舎の宮崎出
ピースボートと私 その7
受験に落ち、バイト面接に落ち、人間失格の烙印を押された様に感じた私は、同居の男子大学生に事の顛末を話した。
ルパンみたいな見た目の大学生と藤原組長みたいな見た目の大学生に、そんな怪しいヤツが、受かるわけないじゃん!と言われた。
17年前の日本にはシェアハウスという概念が定着してなかった。
面接最中の店長の顔を見て、この人の理解の範囲を越えたということは、鈍い私でも感じていた。だがしかし、嘘をつ
ピースボートと私 その6
3LDKのシェアハウスには既に、ボランティアスタッフの男子大学生二名と男性スタッフ、女性スタッフがそれぞれ一名の計四名が住んでいた。
中々に荒ぶった状態の部屋に布団を運び入れた両親は、「まぁ…娘を宜しく」と言い残し山口へ帰って行った。
我が両親ながら肝が据わっていると思う。
私なら躊躇する。
ピースボートセンターには本当に色んな人がいた。
大学を休学してる人、自衛隊を除隊した人、高校中退した人、
ピースボートと私 その5
夜、家に帰った私は、すぐさま母に福岡に行くことを告げた。
ちょっとは反対されたと思うが、正直覚えていない。
ただ、
お金は一円も出していただく必要ございません!
なんと言われても行きます!
この二つの啖呵をきった事だけは鮮明に覚えている。
母は私が言い出したら、何を言っても聞かない事をわかっていたのだろうと思う。
あと、人に迷惑をかけるような事はしないと言う点に於いては信頼関係を築けていると思っ
ピースボートと私 その4
博多駅の博多口から5分ほど、今は火事で消失してしまったが、全面ガラス張りでとてもオープンなピースボートセンターに着いた。
ラフな格好をした男性二人と落ち着いた感じの小柄な女性がいた。
オープンな空間であるから尚更、男性二人が何をしているかわからず、入るのをためらい、二度三度と、事務所の前を行ったり来たりした。
何度見てもやっぱり、さっぱり何をしているのか分からないから、本気で帰ろうかと思ったが、
ピースボートと私 その3
とりあえず、何の目的もないまま、免許取得とアルバイトに勤しみはじめた私に 電話が掛かってきた。
ピースボートのスタッフを名乗る人で、資料を読んだ感想を聞かれた。(後に彼が浅野忠信に似ている事を知る)
私はともかくボランティアをしたかったこと、お金がないことを伝え、すぐの参加ではなくいつかの目標にすると濁したが、電話口のスタッフは、ボランティアスタッフで旅費を貯めることは決して不可能じゃない事。絶
ピースボートと私 その2
当時の私はピースボートとは世界各地を巡りながらボランティアをすることで無料で船に乗れるもの、ライトな青年海外協力隊的なもの。と理解していた。
時間と体力はあるが、お金も、資格も、夢もなく、生きている意味もわからない人間が誰かの役に立てて、世界を見てまわれるなんて、なんて都合のよい。とウキウキしながら資料の到着を待った。
とりあえず、車の免許ぐらいとっておくかと教習所にも通いはじめた。
数日後
ピースボートと私 その1
大学受験に失敗した18歳の春。
この先どうやって生きていこうと思っていた。
今思えば、進路希望提出の時から、疾に思考停止していた。
やりたくない事はわかっていても、やりたい事、向いてる事はわからなかった。
100%進学するクラスメイトに合わせて進学希望にしたものの、特に大学で勉強したい事はなかった。
比較的、恵まれた家庭だったので、受験対策にしっかり塾には行かせてもらったが、全く勉強に身が入ら