#書く術 note第二章(その2) 哀・修行編 in SBクリエイティブ株式会社【小倉から、直塚さんへ(6月10日)】
直塚さんと小倉の「往復書簡」、始まります。
皆さま、お久しぶりです。
『書く術』(仮題)制作員会・編集担当の小倉 碧でございます。
前回のnoteで、直塚さんが書いてくださいましたが、書籍『書く術』(仮題)に関して、直塚さんは現在進行形で「最終課題」に取り組んでおられます。
この「最終課題」とはどういうものか。
直塚さんが『書く術』の共著者であるライターの先輩・田中泰延さんから教えを受けてきた「プロライターの心得、技術」に基づいて、「あるテーマ」について、直塚さんご自身の手で調べ、また、時には有識者の方たちに取材を行いながら、「原稿」を書いて頂く、というものです。
今現在は、「調べる段」は目途がたち、「有識者の方へ取材する段」を進めて頂いているところです。
この課題に取り組んで頂く中で、直塚さんと私で交わした実際のやり取りを「往復書簡」の形式をとってお送りして参ります。
なぜ、「往復書簡」なのか
「『書く術』のnote、ふたりの『往復書簡』形式でしばらくやりませんか?」というのは、私からの提案でした。その理由は大きく2つあります。
1.直塚さんに、普段のやり取りではお伝えしきれない思いを伝えたい。
2.私自身の「備忘録」としたい。
ということです。
直塚さん、いつも本当にありがとうございます。
1について。
まず、直塚さんに、感謝の気持ちを伝えたいです。
約1年前の夏。
この『書く術』プロジェクトに参加しようと思い立ってくださったこと。
課題の作文「私と北条政子」を書いて、ご応募くださったこと。
そして、今日この日まで、大学院の研究課題に取り組まれているご多忙の日々の中、貴重な時間を割いて『書く術』プロジェクトに加わり、色々な取り組みを進めてくださっていること。
本当に、ありがとうございます。
直塚さんとこれまで何度もお話しし、やり取りを重ねてきました。
そのたびに感じるのは、
「本を作らせて頂いているだけではない、本当に貴重な経験をさせて頂いているなぁ」
ということです。
依頼文、取材準備、実際の取材、原稿執筆、その他のやり取りなど、いつも懸命に取り組み、どんどん成長なさっている直塚さんから、私自身、学ばせて頂くところが本当にたくさんあるんです。
このプロジェクトで私がすべき「仕事」は、
「直塚さんと田中さんとのやり取りを一冊の本にする。そして多くの方の手にとっていただけるように知恵を絞る」
ことで、それはとても大事なことです。出版社の書籍編集者ですからね。
しかし、それ以上に「人生の貴重な瞬間に立ち会わせて頂いているなぁ」という思いが強いです。
だから直塚さんにはまず、感謝の気持ちをお伝えしたいです。
ありがとうございます。
結婚式で、両親に向けて書いた手紙が読まれることが多いのは、
手紙という形式をとることで、普段伝えづらい率直な気持ちを「書き言葉に託す」ことがしやすくなるからでしょう。
「往復書簡」の形式とすることで、もしかしたら、同じような効果があるかもしれません。
このnoteを「備忘録」とさせていただきたいです。
次に、2の「私自身の『備忘録』にしたい」について。
直塚さん、ある日私が発した一言を覚えていてくださって、
「覇気がすごい」とおっしゃいました。
辞書によれば、「覇気」はこんな意味だそうです。
もしかしたら、直塚さんは「ここに書ききれなかった色々な思い」を、受け取ってくださったのかもしれません。
直接お会いした直塚さんは、思った通りのナイスガイ
ちなみに、直塚さんとは、先月5月27日、ひろのぶと株式会社の株主総会が行われた日にリアルでは(なんと!)はじめてお会いしました。
このところ、実家の家族よりも頻繁に連絡を取り合っているので、初対面という感じは全然なかったのですが。
直接お会いした直塚さんは、思っていた通りの方でした。
たとえば、直塚さんはこんな方です。
・親しみやすいお人柄
・とても優しい
・真面目で、一生懸命
・知性的
・思慮深い
・爽やか
・声がいい
つまり、滅茶苦茶ナイスガイということです。
今取り組んでいただいている「最終課題」で、何件も取材をしていただき、
取材時にはインタビュアーをつとめて頂きました。
私も毎回その場に同席して、取材の様子を拝見させて頂きました。
直塚さんのすごいところは、どんな方の取材でも、「いい感じの雰囲気」にしてしまうところだと感じています。
これまで同席させていただいた全ての取材で、この目で目の当たりにしましたから、絶対に間違いありません。
これは、経験を重ねればできるようになるかというと、そうではないと思います。
本当にすごいことです。
「会う」前段階で失敗すると、人間関係の玄関口に立てない
このように、お会いすれば、直塚さんが超ナイスガイであることは十二分に伝わると思います。
しかし、誰かにお会いするためには、「その前段階」が必ず存在します。
「前段階」で「不用意な一言」を発すれば、その先に進むことができないのです。人間関係の玄関口に立つことすらできないということです。
今、直塚さんに取り組んでいただいている『書く術』の「最終課題」では、取材させていただきたい方へ送る「依頼文」や「企画書」。加えて、取材をお引き受けいただける、となった場合は、取材日の前日までに相手の方へお送りする「質問リスト」を、ご自身の手で書いて頂いています。
それらを拝読する私。
全体としては、とてもよい形でまとめて頂いていると感じます。
しかし読めば読むほど、なぜか細かい部分がどんどん気になってきます。
これは、私自身がこれまでこうした「書き言葉」で色々な失敗をしてきたからだと思います。
過去に自分が思わず発してしまった、
ありとあらゆる「余計な一言」が、
脳裏を、行ったり来たりします。
苦々しい記憶がよみがえってきます。
胃液がこみあげてくる感じがします。
「書き言葉」でたくさん、しくじってきました。
「依頼文」「企画書」「質問状」「メール」。
本を作る仕事をする中で、私自身も、「最終課題」に取り組む直塚さんと同じく、これらを書いて、日々どなたかに送っています。
おそらく業務の半分以上をこれらが占めていると思います。
今まで色々な方に向けてこれらを書いてきましたが、
「不用意な一言」を交えてしまって、
相手の方のご気分を害してしまったこと、たくさんあります。
仕事だけではありません。日常生活も同様です。本当に恥ずかしいです。
どこかで偶然同じ場所に居合わせた、などの例外的な状況を除いて、
現代においては、「はじめまして」のご挨拶は、
95%以上の確率で「テキストメッセージ」、書き言葉です。
メッセージを送る側が、たとえば直塚さんのように超ナイスガイであったとしても、「書かれた文章」がまずければ、それより先には進みません。
「書かれた言葉によって全人格が評価される」ということです。
とても恐ろしいことだと思います。
言わ(書か)なきゃよかった、余計な一言
「言わなきゃよかった、余計な一言」。
我が身を振り返って、心当たり、すごくたくさんあります。
発した瞬間、ハッと「今、余計なこと言ったな」と気づくこともあれば、発して少し時間が経ってから「あの時言ったあの言葉、余計だったな」と思うこともありますし、言葉を受けた相手の方から「その言い方はおかしい」と、ご指摘を受けることもあります。
スルーは、「問答無用のサヨウナラ」
こういう時に、叱ってくださる方はとてもありがたいです。
ご指摘頂いた際、謝罪をすることができます。
場合によっては、発言内容を訂正したり、発した瞬間にはうまく言葉にすることができなかった「ほんとうの真意」を伝えることもできるでしょう。
謝ったり、真意を伝えたりしたからといって、許していただけるかどうかはわかりません。一度発した言葉の訂正や真意の説明は、見方によっては「言い訳」にも映るからです。
しかし、ともかく、その方と問答することはできる。
でも、「その一言で気分を害し、もう関わりたくないと感じた人」が選ぶのは、多く場合、「スルー」です。「無視」です。
「無視」というのは、
「問答無用のサヨウナラ」
ということでしょう。
書き方次第で、ご縁は切れもするし、繋がりもする
「ああ、この方とは、このやり取りを最後に、もう今後お会いすることはないんだろうな」
という予感が、ふと脳裏をよぎることがあります。
そしてこの予感は大体、的中します。
「ご縁が切れる」。とてもつらいことです。
「時間が解決してくれない」ことの代表格ではないか、と個人的には感じています。
どれだけ時間が経っても、
「その方とはご縁が切れた。もう二度とお会いすることはない」というつらい現実が目の前に横たわっている。ただ、それだけ。
不用意な一言は発し(書い)たら最後、取り返しがつきません。
書き言葉は、送る前に「校正」することができる
しかし、「『話し言葉』と違って、『書き言葉』は、相手の方に送る前に『校正』することができる」。
これはつい先日、『書く術』の定例会でブックライターの福島結実子さんがおっしゃっていたことですが、お伺いしていて、まさにおっしゃる通りだなと感じました。
さて、ここまで不用意な一言でご縁が切れることもある、という怖い話をしてきましたが、
逆のパターンも、同じくらいたくさんあります。
ここぞ、という時に全力で「書い」て、相手の方にお送りしたことが突破口となって、新しいご縁が生まれることもあるんです。
これまで私は、「言葉」でたくさん失敗をしてきました。
しかし、どうにかそこから学んで、今後の人生では同じような失敗を二度と繰り返すまい、と思っています。
このnoteを折に触れて見返して、「書き言葉」を通じたコミュニケーションをもっと良い形でできる人になりたい。私自身、学んでいる途中なのです。
二度と繰り返したくありません。だから本気で全部出しします。
なので、この「往復書簡」で、私は「率直に全部出し」、をモットーにしたいと思っています。そうでなければ、「備忘録」にはなりませんから。
もしかすると、直塚さんが読まれたときに、驚かせてしまうようなストレートな表現も出てくるかもしれません。
これは、私自身が読み返したときに、
「ああ、これはまずい。絶対に気を付けなければ…」
と思うように、という狙いがあります。
また、それはきっと私が
「ぜひともお伝えしたい」
と思っている部分でもあると思います。
『書く術』は、直塚さんと田中さんというお二人の著者が執筆なさる本です。
ですから、編集者である私が、差し出がましく、本文中で紙幅を割いてあれこれお二人に対して何かを言う、みたいなことは、できる限り控えたいと思っていました。
しかし、直塚さんが今取り組んでくださっている「誰かにお会いするために準備をすること」「実際にお会いしてお話を伺うこと」は、私自身もずっと試行錯誤してきたところでもあります。
何事にも真摯に、一生懸命取り組んでくださってきた直塚さんに対して、何かお返しできることがないかと思っていました。
これからこのnoteで書いていく色々なことの中で、1つでもご参考にしていただけるところがあれば、とてもうれしいです。
私も精一杯取り組みます。よろしくお願いします。
小倉 碧