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ものを持ちたくないのは、捨てられるのが怖いからかもしれない。

基本的に、ものは持たない方である、と思っている。
あくまで自認の話なので、他者視点については不要な部分の考えである。

そのわりに軽率にものを買って、定位置が決まらないまま床に積んだりしているのだけれど。主に本ですが。
時折、持てるものの八割くらいを捨ててしまいたくなる。

押入れの奥の方で、引っ越してきてから一度も動かしていないものとか、ある。買ってきて一度も開けないまましまいっぱなしのものとか、ある。

お皿とか器とか、実家から持ってきたもの、わざわざチェーンのパン屋さんでポイントを貯めてもらってきた同じ形の二枚の器とか。
一揃いでよかったんだけど、どうしても三つセットでしか売っていなかった長さの違う菜箸とか。

レシートの類は、家計簿につけた次の瞬間に捨てる。捨てたい。財布の中には要らない。財布の中以外にも、要らない。

実家で小学生の頃からお世話になっている、デロンギのオイルヒーター。
まだデジタルに完全移行する前に買った、複合機はこの前ありがとうした。

タンスの中で、就職してから一度も履いていないだろう、足首までのストッキング。母から譲られたお高い冬用コート、黒、厚手の、これも一度も袖を通していない。それが求められる場所に、求められていないから。

祖父の法事の時にきたきりの喪服一揃い。
合わせるべき鞄は、確か押入れにあって、でも母が別の用事で使うからといって実家においてきたかもしれない。
所在不明。これも確認しておきたい。
生まれたあとの人間に訪れる絶対は死ぬことだけなので、これは捨てない。ただ、サイズが変わっていると思う。

本棚。目当ての記事だけ読んだ雑誌の数々。
どうしても手元に置いておきたい、厳選した漫画のラインナップ。
越してきてから出会ったあたらしい世界たち。前から好きだった作家の新作。このあたりはもう、絶対に手放さない。魂がこの世から離れるまで。

ものが多い。物理的に持っているものが多い。

捨てる皿、特に小皿の類はもう決めてある。あとは何が捨てられるだろう。
オーブントースターは、コンセントとの位置関係が合わなくて、一度も使っていないから、これも。

参道家特有かもしれない習慣、ものを捨てることを「ありがとうする」と言う時が今まさに訪れていることを感じる。
たくさんありがとうするときが来ている。体感として。

まあこのあと、越して来てからずっと寸足らずだったカーテンを買ったりするんですけど。
持てる容量を超えないように、捨ててから買いたい。とかいって、この前カメラレンズを立て続けに買いましたけど、捨てるものとのカテゴリが違うので良いかなと。自分に甘く。

いい加減、足の部分が抜けるようになった折りたたみ式の室内物干しもなんとかしたい。
この辺を一つのブランドで統一すると、いいんだろうな。

昔はもらって来たプリントも、パンフレットも、全部何でもかんでも捨てられなくて、学習机の一番深い引き出しが全部いらない紙類で埋まっていたことすらある。
そこから見てみれば、本当に手元に置いておくものを厳選するための審査基準が研ぎ澄まされたとも言える。

もしくは、もう何にも、物理的に持っていて、失うのが極端に怖くなったとも言える。
部屋を片付けたい。呼吸をしていたい。洗濯機、新しくしたい。

ものを求める時、どこかそこからは違うところを、あえて目をそらして見つめていない。気づいていないふりをしている。
もっと別のことをいなければとわかっていながら、それに立ち向かう何かが決定的に足りなくて、それは自信とかそう言う類のもので、単なる逃避なんだけれども。

狭いところが好きなのは、手の届く範囲に全部欲しいからかもしれない。
見つめていたい世界のいろいろな情報は、もう正解を覚えるのじゃなくてどこにその正解が置いてあるか(できれば最新の情報で)を覚えてしまって、記憶からは全然抜け落ちてしまった。
私はもう、「宗谷」の総トン数も言えない。ぐぐれば出てくるし、あの本のあのページの要覧に書いてあるのだけ覚えているから。昔は必死にかじりついていたのにね。

体調は悪くないと書いたけども、たぶん、もしかしたら少し夏バテになっているのかもしれない。
息をするように間食しているから自然な空腹も久しく感じていないが、それを差し置いてもたぶん、食欲がない。

考えてみれば今週末の小樽やらに向けてノンストップ労働とノンストップ海の日前後のイベントラッシュがあった。
休みがない、んだなあ。ちょっと疲れているのかもしれない。

安易に自分を切り売りしないで、程よく入力したなにかを程よく出力して、己と言う冷蔵庫を空っぽにしないようにしたい。
とりあえずそろそろ見出し画像のネタがなくなりかけています。

単焦点レンズも結局この前の外出きりだし、明日行く予定のもろもろは最初についていた18-55mmの方が勝手がいいだろう。
なんとなく、こんな悩みも楽しくなってきた。

最近は力技ポジティブでどう攻略して行くか、というところが若干脳内麻薬のような楽しさを醸し出すようになってきて、これはこれで人生どうなるのかわからないところが楽しくなってくる。

故に、落ち込んでるなと思ったら落ち込んでいることを素直に書いていくと、だんだん「ああまあどうでもいいからとにかく生きるかー眠い」とかなってくる。

明日も生きて行くと言う根拠のない自信と、いつかちゃんと終われるし終わり方を決めていると言う安心感、強い。

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