神社仏閣参拝はサブリミナる。
神社仏閣はなんとなくその場の雰囲気が好きでわりと気軽に訪れる方なのだけど、最近は良くご縁に関してお礼に行ったりすることが多くて、それに伴う変化をふと感知したので書いてみる。
そもそも神社仏閣、神前と仏前では願いをかけるのは主ではなくて、それまでにあったこととか日々を平和に過ごせていることとかへの感謝を述べてから「今後も頑張るんでなんかよからぬものがあったらちょっとだけ力を貸してくれると嬉しいです」というスタンスでご報告がメインである。
あと、京都の神社仏閣のように極端に観光地の顔をもつ場所では純粋に仏像を眺めてその技術力を噛み締めたりもするけれど。
で、これを続けているとどうなるか。
サブリミナルである。タイトルは誤字ではない。
要するに心中でのご報告はすなわち己の脳みそから生まれて発声はされなくても脳内で一通り諳んじられるわけだから、それは要するに自分に言い聞かせているのと変わらない。
しかも神仏の前であるから、丁寧な言葉遣いになるのは当然のことで、だから自分に対して優しい言葉を投げかけていることになる。
これを続けていれば、そりゃあ日々の小さな積み重ねでなにかしら行動が変わるレベルの影響を得られるよな、と思った次第。
ちなみに個人的には神社もお寺も「ご近所さんのお家にお邪魔しに行く」くらいのスタンスで気軽に参拝に行っているので、神社やお寺を純粋に願掛けの場だとはそもそも思っていないというのもあるのだろうけども。
自分以外に向かって何かを語るとき、それは己に話しかけているのと変わりはしないから、できるだけその出力を丁寧にしておくと、たぶん最終的に自分の中の何かしらにいい方に働くんだろうな、と思っている。
思考の癖づけ、習慣とはこういうところから生まれるんだろうな、というのに気がついた話でした。
最近はフォロワーさんのあれこれとか友人のあれこれとかで豊川稲荷東京別院さんによく参拝に行っています。
たぶん「こいつまた来た…」って思われていると思いますけど、気にせずにまたお礼に行くんだろうな、と思います。
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