「疲れている」の指標を作る。
身ともに疲れているとき、あるいは疲れている状態に陥るくらいなにかしらあったとき、「本当に今自分が休むべきかどうか」の指標がないと安心できない人間である。
というのも、ようは根っこが怠け者でどこまでも隙あらば何もせずに利を得ようとするタイプなので、ある一定までの怠けは自ら積極的に潰していかねばならないのだ。
そこで元来の「こうと決めたら一直線」という気質が相まって「無駄に頑張った挙句、全部無駄になって疲労だけが残るけど疲労と認めることができない」という大変な状況に陥りがちである。
最近はさすがに観察点を細分化して日常生活の無意識の習慣レベルへ落とし込み、「昨日寝付きが悪かった」から「指先がおぼつかない」までありとあらゆる行動に変化を見出だしやばいと思ったらすぐ行動できるように整えてあるけれども。
発露の方向が方向なだけにあまり具体的なことまで説明すると、そっちにばかり目がいって、他人に説明しづらいのだけれど、つまりこういう「自分だけの疲労限界の指標」を明文化しておくと人生を生きていきやすい、という話です。
さて、話を戻してその最たる指標「自分がこう思ったりこう行動したら後先考えずに全部休め」の話である。
個人的な話になるので、あくまでこれを書いている人間がそうだ、というだけの話であるが、引かれたとしても一向に構わないのでその辺気にせずにいていただきたい。
とりあえず、疲れてくると綺麗なお姉さんにぶたれたい。
でも綺麗なお姉さんをこんな存在なんかに、その美しいだろうお手をわずらわせて時間を割いていただくわけにいかないので、ただただ「綺麗なお姉さんにぶたれたい」という気持ちを抱えたままうずくまるしかないのだ。
これを認識したら、私は休まねばならない。
そして昨日、この指標自体に変化があった。
「綺麗なお姉さんの足元にうずくまって絶対に自分にかけられないであろう心ない褒め言葉を延々とかけられたい」である。
お姉さんは自分の爪にマニキュアを塗るなり、自らの美を高めていていただきたい。そして時折、私の方は決して見ずに「かわいい」とか「髪が綺麗」とか言われたい。
自分には決して当てはまらない褒め言葉で。延々と。物理的に一切の接触なく私は疲労で寝落ちてそのまま放って置かれたい。
ちょっと自分でも引くほどこじらせているが、さてどうしたもんか。多分本当に相当疲れていた。これはまずい。
時と場合によっては病院に駆け込むレベルだ。自分でそれを認識できているからまだ良いが、そうでなかったら一大事だ。手持ちの薬を全部煽っていたかもわからん(念のため言いますが胃薬です)
故に今日は朝をゆっくりと起床し、朝食を食べた後にバニラアイスとのしりおポテトチップスという禁断の組み合わせ、をやってのけたのだ。
疲れを認識し、それを回復するためのあらゆる手段を供えるのは、生きていく上での必須項目とも言えて、それがないまま疲れだけ認識しても人生全く楽しくない。
今日も生きているし明日も生きていくしなんなら2019年1月までは生きていなければならないので、やっぱり今日も世界が優しい。
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