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這いずり回る思考について。

タイピングがそれなりに速い。速い上に正確である。それなりに。
手書きよりもキーボードを叩く方が好きだ。スマホの画面に指を滑らすか連続で叩きまくるより、キーボードのキーを叩く方が好きだ。

他の手法の全てに対しての評価を揺るがす意図ではない。
結論を言おう、「早く結果が出て欲しい」からだ。

昔からすぐに結果がはっきりしないといやだった。そのくせ何でも自分でできると思っている謎の全能感を持っていて、できないと言う事実を認めるのが非常にいやだった。

今でも健康診断の結果を二週間近く待たないとならないとか、よくわからない。献血だとすぐ出るだろ、結果、くらいに思っている。
もちろん大人なので採取された血液やその他の数値がまとめられ分析され印刷され丁寧に封をされ送り先の住所を記され綺麗に綺麗に配達されるまでのプロセスに必要な時間なのだと言うことはわかる。

翻って、タイピングである。
素敵である。この仕組みを考えた全ての関係者に、日夜気づいた時は感謝を述べているくらいには、タイピングが好きだ。

指を動かした先から自分の思っている言葉が思考とほぼ同じ速度で画面上に現れ、よほど専門用語が散りばめられた面倒くさい文章などでなければあっという間に己の言いたかったことが脳みそから直接取り出したかのように完成する。
それゆえに誤字脱字も多いのだけれど、それはそれとして。

ただしこれは頭の中で思っていることがきちんと明文化されているときに限る話だし勢いで書くだけ書こうとすると「はーーーーーーーーーなにもう、好きーーーーーーーーー」のレベルになるからそれはそれで考えものだが。

昔から頭の中は常にものを考えているような気がする。
眠る前など、ずっと頭の中で物語を想像してこねくり回してはゆったりと打ち寄せる眠気の波を跳ね返すように考えることにしがみついている。
これは比喩でもなんでもなく、その時の己の感覚としては脳みその真ん中らへんに力強い手があってそこに一本つかむことのできるちょうど良い太さの棒をしっかりとつかんでいるイメージがある。

ちなみに横向き。体は眠っているので縦か横かの判別が難しいが確実に横向き。体育館にあった、謎の棒のあれに近い。
何も考えずぼうっとしていることもできる。できるし、たまにはしたいし、好きだ。

ただどうしてもそうでない時は、少なくとも何かしらを摂取していたい。音楽でもいい、映像でもいい、本でもいい、なんでもいい、頭を動かしていたい。

そうではないと己の虚無と向き合うしかないからだ。
心臓は一億回鼓動するとその役割を終えるらしい。
だから鼓動の速いネズミは短命で、そうではない象などは長寿なのだと何かで聞いた。

真偽は定かでないが、それが脳みその回転数によって定められていなくて本当に良かったと思う。もしそうであったら、言いたいことの何割かも言えずに、何も書かぬうちに、描かぬうちに、何に出会うこともなく満足もせずに死んでいたと思う。

そんなに大それことを考えているわけではない。

眠る前になぞる物語は定型がもうあって、登場人物をその都度取っ替え引っ替えして楽しんでいるし、内容と言えばもうこれは己の劣等感の塊をどうにかしようとするような話ばっかりで、とても人には聞かせられない。
原稿中はちゃんと原稿のことを考えているので、その中で生まれた話が推しの募金を潤すのだからこれはこれで必死。

考えることを手放す、という練習をたまにしている。特に眠る前のこの物語を延々と続ける習慣はそんなに良くないと思っている。眠れないので。
呼吸に集中してみる、などたまにやっている。歩き回って疲れた時は考える間も無く眠っている。

そんな風にして今日も楽しく生きていて、眠る前にはちょっとだけ苦労しています。


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