青白い世界の僕ら。
先日、眼精疲労からくる頭痛が究極の苦痛をもたらすようになったので、カッとなっていわゆるPC眼鏡を買いに走った。
その後の快適な生活は言わずもがなである。
さて、ブルーライトをカットする割合が高まれば高まるだけ、レンズ自体は黄みを帯びてくる。
上質の琥珀の薄切りより、少しだけ緑味に振れたレンズは、かけた瞬間に少し違和感を覚えるものの、すぐに気にならなくなる程度にはささやかに眼球を護ってくれる。
そしてその眼鏡を外す時、いまだにこの世界の青白さに慣れない。
もともとiPhoneもiMacも、画面は限りなく色温度暖かく設定しているから、時折それがオフになった時にも毎度毎度思うのだけれども。
手元の小さな、あるいは目の前の一定の面積の色味だけが変わるのと、視界と呼ばれる認識の八割を手伝っているらしい面積の色味が変わるのはだいぶ違いがあって、なんとなくいつも白色蛍光灯の下の白い机、あるいは壁紙を探してしまう。
一番色の変化が顕著なので。
こんなに青白い世界に生きているのなら、水族館の水槽みたいだ、と思う。
あれはもっと青いけれど、くらげの軟体を透かした青色とか、ちょっと近いような気がする。
思えば地球の七割は海で、空を見上げれば大体は青で、それを踏まえれば確かにこの世の中の青白さにはなんとなく説明がつく気がする。
海も場所によって色は違うし、空は時間や天気で色は違うし、ブルーライトの青さとはまた違うけれども。
ただ毎回、PC眼鏡を外す時のあの青色が目に刺さる世界は、好きだなあと思う。
目で見ているもの全てが何にも正しくないことを、その可能性を秘めていると、色で語っている気がして。
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