【学科】明日館→土浦亀城自邸→日土小学校
前回からの続きです.
DOCOMOMO(通称/ドコモモ)という国際組織をご存知でしょうか.世界各国からその国の近代建築(1920年~1970年に竣工された名作建築)を選出し,記録や保存活動を推進しています.選りすぐりの名作建築が選出されるため,当然,選出された建築作品は一級建築士試験に出題されやすい.今後も保存・再生系の問題として出題され続けるでしょう.詳しくはコチラ.
※携帯キャリアのDOCOMO(ドコモ)とは全く関係ありません.
1999年に最初の20選が選出されました.日本全国の中で最初の20選です.その中に前回,ご紹介した八幡浜市立日土小学校(以下,日土小学校)も選ばれていました.小学校建築で選出されたのは,日土小学校のみです.そして,保存・再生も完了しているため,一級建築士「学科」試験問題としていつ出題されてもおかしくありません.
また,この20選にも物語があります.それは日土小学校の設計者である松村正恒(まつむら まさつね)さんの師匠である土浦亀城(つちうら かめき)さんの自邸も選出されている点です.土浦亀城自邸は,一級建築士「学科」本試験問題としても出題されています.コチラ.
松村さんは,大学卒業後,いわゆる太平洋戦争(1941年〜1945年)の直前まで,土浦亀城さんの設計事務所で働きます.当時の土浦さんは,売れっ子のスター建築家でした.一級建築士「学科」試験おいて,保存・再生系の建築作品として度々,出題されている自由学園 明日館(じゆうがくえんみょうにちかん)をフランク・ロイド・ライトともに設計した遠藤 新さんに誘われて,土浦さんは,渡米し,フランク・ロイド・ライトの元で学びます.
その後,日本に戻ってきた土浦さんは,スター建築家の道を突っ走ります.そんな土浦さんの設計事務所で松村さんは設計を学びます.だから,フランク・ロイド・ライトの孫弟子とも言えます.ただし,あまりに設計業務が多忙で,一つの建物の設計に集中できないことに嫌気がさして太平洋戦争直前に退所されます.一つの建物にじっくり向き合いながら,丁寧に設計したかったのではないでしょうか.
太平洋戦争で終戦を迎えた日本は,貧乏のドン底状態でした.明日食べる建物にも事欠く時代です.松村さんも食べていくため,生まれ故郷の隣町にある八幡浜市役所へ就職します.そこで,日土小学校などの名作を設計していく訳ですが,日土小学校に示されたモダニズム建築のデザイン力(木造とスチールのハイブリッド構造や,横長連続窓,カーテンウォールなど)は,土浦さんの設計事務所で学んだものであると考えます.
以上,日土小学校に関連して,土浦亀城自邸や,自由学園明日館も知っておいていただければ幸いです.このようにストーリーで理解しておくと,キーワードの丸暗記よりも,格段に記憶に定着できますので.