【西洋建築史】サン・ピエトロ大聖堂の広場(ヴァチカン)
前回からの続きです.
◆平成6年に出題されたサン・ピエトロ寺院(大聖堂)
平成6年の一級建築士試験には,次の知識が問われました.
【解説】
ルネサンス建築とは,古代ギリシャ・ローマ建築という古典建築を模範とし,空間を幾何学的・合理的に構成する建築様式である.54秒の解説動画(YouTube)は↓
サン・ピエトロ寺院の大ドームは,ミケランジェロの設計にるルネサンス建築で,その平面形状は正しい円で,安定的で調和のとれた美しいデザインとなっている.60秒の解説動画(YouTube)は↓
なお,ドームはルネサンス建築だが,その他の部分は,ベルニーニよって,バロック様式でデザインされているため,サン・ピエトロ寺院(大聖堂)は,ルネサンス建築であり,バロック建築でもある.
特に,サン・ピエトロ寺院の正面にある楕円形の広場は,ベルニーニの設計により,オベリスク(神殿などに建てらられた記念碑(モニュメント))を中心に,2つの西円を内包する楕円平面で広場が構成され,それを両手で包み込むかのように,ドリス式オーダーの列柱回廊(コロネード)が配されている.60秒の解説動画(YouTube)は↓
【解答】◯(ルネサンス建築であり,バロック建築でもある)
◆昭和63年に出題されたサン・ピエトロ大聖堂
昭和63年の一級建築士試験には,次の知識が問われました.
【解説】
ロマネスクやゴシックの時代,キリスト教コミュニティがすべての価値観を決めていた.教皇(最高位の聖職者)の権威は,皇帝よりも高まり,教皇に「文句あるなら皇帝と言えどもキリスト教を破門にしちゃうよ」と脅されると,皇帝ですら,ブルってしまって何も言えなかった.そうやって,キリスト教の権威が高まると,調子に乗った聖職者たちが富や権力をむさぼるようになった.そんなキリスト教コミュニティの腐敗ぶりを一掃し,権威を取り戻そうと「キリスト教の聖地エルサレムをイスラム教勢力が取り戻すための十字軍」を組織し,派遣するものの,聖地奪還に失敗し,そこから加速的にキリスト教コミュニティの権威は弱まっていった.
そんな中,キリスト教コミュニティの威信を取り戻すためのデザインが総本山となるサン・ピエトロ大聖堂の建築に
求められるようになる.それは,ルネサンスのような安定・調和のデザインではなく,躍動的で,見る者の心を揺さぶったり,感覚的な刺激を与えられるデザインが求められた.そうやって登場するのがバロック建築である.
ルネサンス建築では,正円や幾何学的デザインが好まれたが,バロック建築では,楕円や曲面が好まれるようになる.ルネサンスの構造的合理性からバロックの装飾的演出性へとデザインの様式は移り変わっていった.
パリのノートル・ダム大聖堂は,ゴシック建築であるため,ルネサンス建築(大ドーム部分)であり,バロック建築(その他の部分)でもあるサン・ピエトロ大聖堂よりも古い.したがって,問題文の記述は誤り.
【解答】✗
上記の解説動画(60秒YouTube)は↓
【参考となるYou Tube動画】時間のない方は視聴不要
以上
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