髑髏城の七人 season花
世間の流行りは、ファスト動画に、Tik Tok。誰もが有益な情報をコスパよく集めている。だとすれば、高いチケットを手に入れて3時間も座り続ける演劇を見ている人は、絶滅危惧種なのだろうか。ならば、2017年の「劇団☆新感線」の舞台を映像に閉じ込めた「髑髏城の七人 season花」を愛を持って紹介したい。これは「ゲキxシネ」という、舞台を収録した映画の話である。
織田信長という漫画や映画やゲームで馴染みのキャラクターを、本人を登場させないで荒唐無稽な歴史活劇に仕上げる手腕は、座付作家の中島かずきの真骨頂だ。主催いのうえひでのりが、展開の早い外連味いっぱいの演出を行う「いのうえ歌舞伎」の人気の演目だ。小栗旬、山本耕史、成河、りょう、青木崇高、清野菜名、近藤芳正。それに劇団の看板俳優の古田新太と連なるキャストは壮観だが、何年も前に書かれて再演を繰り返す演目が、あて書きされたかのように役者にハマって見える。清野菜名もまだブレイク前だ。
この物語は、ルーザーたちの愛をめぐる戦いでもある。捨之介は、大切なものを失うことを恐れ、新しい道に踏み出せないでいる。蘭兵衞は、新しい愛を探すため、自分を偽りながらも先へ進もうとする。天魔王は、亡くした者への嫉妬に縛られ、もう一度昔の関係の復活を望む。時代に蹂躙された他の者たちも、家族を失い、家を失い、生きる目的を失い、喪失感に溺れている。日本が豊富秀吉に統一されようとする時代の狭間で、七人の持たざる者たちは、変わりゆく世界に決着をつけるために足掻く。それぞれの交錯する想いはぶつかりあい、運命を切り開くため集結する。
この演目には、一つ特殊な事情がある。巨大スクリーンとステージが360度回転する客席を取り囲む アジア初の劇場「ステージアラウンド東京」のこけら落とし作品だ。劇場のシステムも演出方法も、日本人として初の体験だ。
客席が回転する劇場は、舞台特有の暗転が無い。場面転換ごとに左右に配置された巨大なスクリーンが中央で閉じ、客席がゆっくりと回転する。役者は映像が映し出されたスクリーンの前にぐるっと取り囲んだ花道を疾走し、再びスクリーンが開くと、次の場面が始まる。シームレスな演出が可能で、役者は舞台上に立ち続けることができる。若いキャストは、ひたすら走り回ることになったらしい。
この舞台は、豊洲のアラウンドシアターでしか上演できないことから、ライブビューイングという形で、全国の映画館への中継も行った。14000円のプラチナチケットの舞台を、20台のカメラで2回撮影した映像から選りすぐられた映像は、コスパが高い。「髑髏城の七人」の他のseasonでは、ミュージカル調、原点回帰、キャラクターの変更など様々なヴァージョンがあるので、その中からお気に入りに出会えるかもしれない。映画館用とブルーレイ用に製作された「ゲキxシネ」のヴァージョンを見るには、再上映を待つしかないが、ライブビューイングを元に再編集されたヴァージョンはNETFLIXやアマゾンプライムでも視聴可能だ。「ゲキxシネ」ほどシネマティックな編集ではないが、劇場の構造も分かりやすく、入門編としてお勧めだ。
http://www.vi-shinkansen.co.jp/UserArticle/Detail/474
生の舞台の魅力は、劇場が持つ独特の雰囲気にある。固唾を飲んで幕が上がるのを待つ高揚感。役者の台詞に観客が飲み込まれる一体感。その瞬間にしか生まれない一期一会の時間の共有。客席に向かってのコール&レスポンスは、物語の役柄と現実の演者の境界線を取り払う。そうした舞台ならではの演出は、劇場でしか味わえない。それゆえ、舞台の映像化には無理があると反対する意見もある。ライブだからこそ生まれるフレッシュなパッションは、映像に閉じ込めることは出来ない。記録に残さず記憶に残すのが舞台の役者の力だ。劇場で役者と観客が共有する一体感を汚されるかのようにカメラが入ることを嫌う。
だが、優れたパフォーマンスを披露しても、広がりには限界がある。2000人収容の一つの劇場で数週間公演するよりも、全国の500人収容の映画館で公開し、数万人が視聴するテレビで放送し、字幕をつけて世界に向けて配信した方が、深く遠くまでその舞台の価値が届く。素材さえ良ければ、セミドキュメンタリーとして加工された映画になっても、その価値が薄まることはない。記録することで、未来へと残し、他の言語圏にも日本の文化として広めるチャンスができる。海外の映画祭でも、新しい表現手段を用いた映像として認められ始めている。
劇団☆新感線の舞台は、作り込まれた美術や小道具、印象的な照明に煌びやかな衣裳、華麗な踊りと殺陣、オリジナルの楽曲とマイクパフォーマンスなどで支えられている。台詞には振りがつき、見得を切れば拍子木が響く。全ては役者をかっこよく見せるためだが、笑いを入れることをも忘れない。泣いて笑って楽しんで、観ている者の感情を振り回す。サービス精神旺盛に、役者も台詞も前のめり気味に、入れ替わり立ち替わりバカをやる。昼休み時間の中学生が繰り返すようなギャグでも、ベテランの大人たちが体を張って演じ切る。歌舞伎のように五七調の台詞を、スポットライトを浴びながら見得を切る。芝居を通した裏メッセージが伝わらなくても、現実を忘れて楽しむことも芸能の役目だ。見終わった後に語るべき言葉が見つからなくても、抜けた充実感が土産になる。
歴史を知っていれば物語に散りばめられた符号を楽しめるが、初見の人でも置いてきぼりにしないのは、演劇特有の台詞回しを使って人物紹介や状況説明が出来るからだ。世界背景や史実を知らなくても、「大きな嘘」に包まれることを楽しむという意味では、NHKの大河ドラマにも近い。書物に残された歴史が語るのは事の結果だけで、人の想像し得る架空の物語は歴史の闇に隠されていただけの伝承の真実かもしれない。異世界ものよりは、if歴史の方が信憑性も高く、学び直しのきっかけになるだろう。
生きていれば、格好悪いことも情けないこともある。理不尽な現実や伝わらない想いもある。それも含めて自分の人生なら、熱く生きろと、主人公に背中を押して欲しい。そんな時は、ショートで ファニーなコンテンツばかり浴びるのではなく、ディープでエモーショナルな物語に浸る休日を過ごしてみてはどうだろう。この髑髏城への登城が、戻れない沼への一歩になるかも知れない。運命の「好き」に出会うために、もっと深く潜ろう。
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