”新しき世界” 映画評
潜入捜査を描いた映画には傑作が多い。「インファナル・アフェア」「フェイク」「レザボア・ドッグス」などに並んで、「新しき世界」も、この作品群に連なるだろう。監督の演出にも、過去の映画から引用されたと思われる場面も多く登場する。
フィルム・ノワールでは、男同士の信頼と裏切りが、暴力や事故によって事態が複雑化していく。問われるのは、最後に握っているのは誰の手かという、ブロマンス映画ともいえる。
主人公のジャンソンは、合併を繰り返し最大の犯罪組織となったギャング集団に、潜入捜査官として潜りこみ、幹部の右腕にまで出世した。内部情報を警察に流して、任期までもう少しのところで、会長の死去による跡目争いが始まる。この機に内部抗争を利用して、一気に組織を潰し犯罪者のいない「新しき世界」を作ろうとする警察に、彼はもうすぐ生まれる子供ために早く身を引きたいと考えながらも、渋々承知する。潜入するギャングの組織内で彼は、口数は少なく、感情を抑え、淡々と計画を進める。だが、警察はギャングの両陣営を挑発し、自分の立場を危うくするにもかかわらず、駒としてしか動かされていないことに苛立つ。計画の全貌を知らせない警察に怒るが、脅しに近い命令が繰り返され、監視されていることを知り、もはや信頼関係では繋がっていない。対して、ギャングの仲間からは信頼され、尊敬すらされている。
彼は、これまで指導を受け、今回の計画を指揮する警察官のカン課長を「父」として、一緒にのし上がってきたギャング幹部のチョンを「兄」として、二人との絆をどこまで信じていいのか、決めあぐねる。「父」は冷たく突き放しながら「子」を見守り、「兄」は、「弟」の決断を肯定し、先に進めと背中を押す。
大ヒットした韓国ノワール映画だが、暴力的な表現が売りの任侠映画におさまらない。
一つには、マイノリティの繋がりを、絆として組み込んでいるところだ。人種的マイノリティは、「ゴッドファーザー」などでも使われるように、血縁や地縁の次に、排他性を伴うマフィアの結束の強さを示す繋がりとして、海外ではよく使われる素材だ。韓国は、主要都市にチャイナタウンがない珍しい国として知られており、華僑は、韓国社会の中では、マイノリティとしての差別を受けている。長年、土地の取得や就職など法的に制限がかけられていて、韓国国籍の取得が可能になったのは1997年で、「永住権制度」の導入は2002年だ。作品の舞台となる仁川は、華僑の多い土地ゆえ、その差別も表面化しやすかった都市と考えられる。
加えて、チョンが中国から呼び寄せた殺し屋は、北朝鮮からの脱北者だ。朝鮮族と呼ばれ、粗野な野蛮人として描かれている。脱北者として中国で差別を受けてきた人間を使って、韓国で差別を受ける韓国華僑が、韓国人を殺そうとする構図は、連なる差別の闇の深さを感じさせる。二つのマイノリティは、暗黒社会でも、仮面を被って生きなければならなかったのだ。
「兄」チョンは、中国語を話せるため、上海マフィアとの取引を任されて、組織内の地位を築いた。部下の半数は地元の人間で構成し、結束の意味を込めて、部下たちには親しみを込めた中国語で話す。同郷の華僑であるジャンソンとは、若い頃からつるみ、気のおけない弟分として軽口をたたく。この兄貴分の、チョンがもう一人の主人公だ。日和見主義の幹部たちを尻目に実力でのし上がり、時に暴力も辞さないが筋は通す、任侠を重んじるタイプのギャングだ。ジャソンとは対照的に、表情がころころ変わり、とらえどころがないように見えるが、ジャンソンの心の内を理解し、その悩みを引き受けたいと考えている。ことあるごとにジャンソンのしかめっ面を笑いのネタにし、彼の喜ぶ顔が見られずにスルーされると、近くの部下に八つ当たりする。心配事は俺に任せて人生を難しく考えるなと肩を組んでくる姿は、優しさにあふれている。だが、「弟」は、マイノリティが集まった集団の中で、潜入捜査官というさらなる孤独を、誰とも共有出来ない状態でかかえている。
「親」カン課長は、警察官としての正義と責任を全うするため、策をめぐらし、揺さぶりをかけながら計画を進める。大きな正義のために小さな犠牲はつきものだと、理解はしているが、部下たちの前では弱い表情を見せることは出来ない。無理を強いる作戦に、心の限界を感じるが、自身ももう後戻りできない状況に縛られている。潜入捜査官に裏切られた過去の経験から、ジャンセンにも計画の全貌を明かせないでいる。なんとか、「息子」を危険から遠ざけたいと思うが、不器用な「親」は、上手い説明が見つからず、強い言葉で脅しをかけるはめになってしまう。悪に向けているはずの敵意が、周囲の人間を巻き込み、傷つけていることに自覚的だ。計画の上司でジャンソンの正体を共有する局長を親友と呼ぶが、その境遇の違いは明らかだ。学歴が重視される警察内で、エリート官僚と叩き上げの刑事の関係は、互いに利用するものにすぎない。
この映画には、女性は二人しか登場しない。ジャンソンの妻と、ジャンソンと警察の連絡係だ。二人ともジャンソンの身を案じているが、その想いを直接届けられないもどかしさを抱えている。苦悩を分かち合いたいが、彼の置かれている立場がそれを難しくし、見つめる視線には、思春期の少年に対する母性が見てとれる。職務に真面目であるがゆえに苦しみ、必死に解決策を探そうとしている少年を助けられるのは、自分では無いと分かっているかのように一定の距離をおいて見守る。彼女たちは、心をゆるしてくれない少年の背中を、さすってあげることしかできない。妻は、生まれてくる子供が、孤独を和らげられるのではないかと、望みをたくしている。連絡係の女は、激しい感情を受け止めることで、彼の気持ちを鎮めてあげたいと考えている。
長く仮面を被りすぎたジャンソンは、「父」と「兄」の本当の気持ちを信じられない。その迷いは、被った仮面を外そうとしても、元の顔が思い出せず、笑い方も忘れたかのようだ。ある決断を下すとき、彼は、仮面を外すことなく、その上にもう一枚の仮面を被ることを決める。彼が見据える「新しき世界」では、無垢な心を許さず、強い決意が必要だ。少年が大人になる時、儀式としての親殺しは避けられない。重ねた仮面は息苦しく、目的のためには、素顔を隠し、強く生きよと語りかける。
ギャングという特異なホモソーシャル関係が支配する世界では、信頼と裏切りが横行し、本当の味方を見つけことが困難だ。それ故、血縁や地縁、共に過ごした時間で、信頼度を測ることになる。チョンは、迫害された世界で、国家という親のいない自分たちで、兄と弟からなる「新しき世界」を目指していた。そして闘争を通して、男系社会の絆の形が、儒教思想に基づく「親と子」の絶対的な支配関係から、目的を共にする「兄と弟」の信頼しあえる仲間への関係へと変わっっていく。この映画は、そんな帰属する集団を持たない人間通しのつながりが、「新しき世界」を作れるのだという監督の願いに聞こえた。
#PS2021
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