【小節】哀しみの魔法 序章⑥ ある冬の日
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𖤣𖥧ブルンフェルの苦手なもの
2人の出会いから約50年
その日、麓の集落やステファノーチス達が住む森一帯には、その年初めての雪が降った。
薄らと地面を白く染めあげる雪は、朝日によって次第に溶け落ち葉を湿らせていく。
勝手口のドアが開き、身をちぢこませて白い息を吐きながら小走りで外に出てきたのはブルンフェルだった。
「さむいさむいさむい…。」
ブツブツと呟きながら、家の脇に干してある薪をいくつか小脇に抱えて戻っていく。
小さな暖炉に2つほど放り投げると、風魔法で火力を少々強めた。
かじかんだ両手をさすっては火に当て、冷えきった身体を徐々に温めていった。
残りの薪は薬屋の鍋釜の方へ。
傍らでは、ステファノーチスが乾燥した薬草をすり鉢にかけているところだ。
「ちょっと、そんな薄着で外に出たら風邪ひくじゃない。」
「へへ。」
外気温との急な寒暖差のせいで、にへらと笑ったブルンフェルの鼻からは鼻水が垂れた。
なにせ部屋着に上着を羽織っているだけである。
ブルンフェルは、改めて着替えをするのに2階へあがっていく。
50年経っても、まだあどけなさが残る少年のままであった。
ステファノーチスが粉末状にした薬草を鍋に入れようとしたその時…
「うわあぁぁぁぁあああ!!!!!」
叫び声を上げたのは、2階のブルンフェルだった。
心配になったステファノーチスは、すぐさま2階へと駆け上がる。
「なに!?」
ステファノーチスがドア枠に手をかけて部屋の中を見渡すと、シャツは前が開きっぱなしで部屋着のズボンも中途半端に下がったブルンフェルが、壁際に張り付きがに股で一点を見つめている。
「アレ…アレが出た……!」
ベッドの下の隙間を指さし、大層怯えた様子。
恐る恐るその方向へ近付くステファノーチス。
すると、隙間からモソモソとこちらへ進んで来る何かが。
「なーんだ、トキムシじゃない。」
ステファノーチスが「トキムシ」と呼んだそれは、海洋に生息すると言われている、無数の触手をもつ軟体生物にそっくりであった。
ただ、虫と呼ばれるだけあってそこそこの速度で動き回り、小石程の大きさにしてノミのように高く跳ぶ。
特に家の中で生活する分には、ハエなどを捕食する益虫と呼ばれる類にあたるのだが、その予測不能な動きと奇怪な見た目が苦手らしく、ブルンフェルの腕には気温とは全く関係なく鳥肌が立っていた。
「無理。ほんっとに無理。」
「1匹いるともう少し出てくるのよねぇ。暖かさにつられて入っちゃったのかしら…。」
「無ー理ー!やーだー!!」
「はいはい。かと言って、わたしもあんまり触りたくはないのだけれど…。」
足で踏み潰すかなどと考えるステファノーチスだったが、これが子持ちの場合、腹が割れて小さなトキムシが大拡散するのである。
少しだけ考えステファノーチスは1階へと降りて行った。
「え、ちょっと!?」
ブルンフェルは間抜けな声を上げて、がに股のままにじにじと近付いてくるトキムシから目を離さないようにドアの方へ少しずつ進む。
ドアをそっと閉めてから中途半端な部屋着を整え、ステファノーチスに続くように下に降りた。
「乾燥しててもいけると思うんだけど…。あ、これで鼻と口を覆って。」
清潔なふきんをブルンフェルに渡すと、自身も鼻と口を覆うようにキュッと首の後ろで結んだ。
薬用の鍋で湯を沸騰させ、先程まですり潰していた薬草とは別のものをその中へひと掴み入れた。
たちまち、部屋中にスッキリとした鼻に通る香りが漂う。
「うっ…すごい臭い…。」
「本当は人間の家用なんだけれど、これが1番効くと思うの。」
鍋をそのまま2階へと運び、トキムシがいた部屋の真ん中へ。
小さな丸い何かを鍋に入れ蓋をすると、そのままドアを閉め、さらに隙間に目張りをした。
「はい、では今日は以後立ち入り禁止です。」
「え……え!?僕こんな格好だけど!?」
部屋の中では、蒸気があがるようなシューという音がしている。
どうやら最後に入れた丸い物は、蒸気石という液体を気体に変換する魔道具だったようだ。
「ハッカをね、いま蒸気にして充満させているから。トキムシはもちろん他の虫もこれでさよならね。私達も流石にあの部屋のあの濃度に入ったらさよならだから。」
「ファニーって結構危ない橋渡るよね…。」
少し目をそらすステファノーチス。
何せ彼女は、薬用の鍋で普通の料理をすることがある。
こう見えてズボラで大雑把な面があるのだ。
「じ、実家でもやってたから大丈夫よ。それにしても、流石にその格好はよろしくないわよね…。トランクから私の予備の服を出してくるわね。」
「外出れない…。今のうちに狩りでもしてこようと思ってたのに…。」
「動物たちの冬眠までもう少し時間があるわ。今日はゆっくりしてなさい。」
「でも!集落の人たち、今年は不猟だって…!」
「彼らは彼らで助け合ってどうにかするものよ。力になってあげたくなるのはわかるけれど、過干渉も良くないわ。」
「へい…。」
少し口を尖らせるブルンフェル。
差し出された羊毛の羽織りものと、いまのステファノーチスには少し小さいスカートを着させられ、この日訪れた客人たちに格好を突っ込まれては、なんとも言えない苦い表情をするのであった。
𖤣𖥧廻り始める運命の歯車
トキムシ事件からほんのひと月。
幾度目かの白銀の季節がやってきた。
辺りはしんと静まり、厚く積もった雪をぎゅっぎゅっと踏みしめる2人分の足音だけが聞こえる。
ブルンフェルは背負籠を背に意気揚々と
ステファノーチスはその後ろを見守るように歩いている。
寒空の下、食料調達の為に2人は集落近くを散策していた。
空気の透き通るよく晴れた何でもない日。
この時まではそう思っていた。
突然、ステファノーチスがブルンフェルの背負籠を掴んで制止する。
さらに、開こうとした口を塞ぎその場でしゃがませた。
背負籠を肩から下ろさせ、その場に置いてゆっくりと音を立てないように後退る。
ブルンフェルはまだ、ステファノーチスの視線の先に何が居るのか分かっていないようだった。
木陰に隠れてひと呼吸。
「熊よ。」
小声でそう伝えると、背負籠の向こう側にブルンフェルの瞳もその姿を捉えた。
「冬眠してるはずじゃ?」
「起きてしまうのもたまにいるのよ。こんな時に限って鈴を忘れていたわ…。」
熊は背負籠に近付き、中のものを物色し始めた。
その様子を、なるべく刺激しないよう息を殺しながら眺め、このままやり過ごそうというのがステファノーチスの考えだ。
熊は背負籠の中の萎れた果実をムチャムチャと食べ、気が済んだのかゆっくりと来た道を帰っていく。
ホッと胸を撫で下ろすステファノーチス。
このまま、帰りましょう。
そう切り出そうとしたその時。
目の前に居たはずのブルンフェルが、いつの間に熊の方へ走り出していた。
急いでその後を追うステファノーチス。
だが、日頃から山を駆け回り体力の有り余るブルンフェルはどんどん先へと行ってしまう。
───そうだ。
今年は不猟だと心配していた。
きっとアレを仕留めれば、みんな喜ぶと思っているんだろう。
あの子は進んで困ってる人の助けになろうとする。
でも今この状況で仕留めるには、グローブを外して魔法を行使するしかない。
そしてこの極寒の中、かじかんだ手でそう易々と外せるだろうか。
きっと…ひとたまりも無い。───
頭の中をグルグルと最悪の状況が思い浮かぶステファノーチス。
両手の指にしているまじないの指輪を、一つ一つ力任せに外しながらブルンフェルを追う。
指の所々で皮が剥けて血が滲んでいるが、構っている暇などない。
雪でもたつく脚を何とか前に前に進め、ブルンフェルの姿が見えた時には、既に熊と対峙していた。
熊は、自身が感じた恐怖を攻撃に替える生きものだ。
人型の生きものが追ってくるということは、間違いなく殺されると予想し先手を打って来るだろう。
彼らの間にまだ距離はあるが、ブルンフェルは熊の上げた咆哮にすっかり腰を抜かしてへたりこんでいた。
───間に合って。
ステファノーチスは、息を切らしながら熊とブルンフェルの間に入り、指輪のない両手を広げ熊を睨んだ。
すると、雪の厚く積もる地中から大きな魔法の樹がそびえ立ち、2人の盾となった。
熊は突然の事に驚き、その巨体を転がしながら反対の方向へと逃げていく。
息が上がりなかなか言葉が出てこない。
「ファニー…。」
先に口を開いたのはブルンフェルだった。
震えるような声。
「ブルンフェル、怪我は……」
そう言いかけたステファノーチスは天を仰ぎ、背中から雪に埋もれ小さく呻き声を上げている。
「ファニー!?」
駆け寄るブルンフェル。
指輪のない傷だらけ指を見て、思わずその手に触れた。
刹那、先程まで2人の盾となっていた大樹が、ガラスを割ったかのような破裂音と共に砕け、そのまま浮遊していた。
破片には、鏡のように何かが映し出されている。
桃色の髪の人と再会を喜んでいる姿
燃えるような赤い髪の人と談笑する姿
薬を売ってお代をもらう姿
ステファノーチスが人々との過ごした時間。
彼女の記憶だった。
「あ……。」
村人がステファノーチスに銀髪の赤ん坊を託した姿
赤ん坊を見守る優しいステファノーチスの姿
───僕だ。
ブルンフェルはすぐに気付いた。
大事そうに赤ん坊を抱く彼女のその姿に、少しだけ瞳が揺れた。
そしてもうひとつ。
ブルンフェルはその破片に目を奪われた。
知らない部屋
うちには無い少し立派な浴槽
やつれた顔をしたステファノーチス
掃除をしているようだが、その動きは鈍い
やがて浴槽にもたれ掛かり動かなくなって
"何か"を呟いた
すると、彼女の指から
身体中から伸び出る植物にどんどん飲み込まれていく
「なんだ…これ……は…。」
急に激しい頭痛に襲われるブルンフェル。
頭を押さえながらも破片にまた視線を送ると、記憶の向こうのステファノーチスがこちらに語りかけてくる。
(たす…けて…、フ……ル……。)
恐怖ともなんとも言えない感情に、ブルンフェルの心臓がキュッとなった。
その時、ブルンフェルの身体に冷たい何かが触れた。
ステファノーチスの手だった。
「ゆ…びわ…を…。」
絞り出すような声。
はっとしたブルンフェルは、ステファノーチスの服のポケットを片っ端から裏返す。
スカートの右のポケットにまとめて入っていた沢山の指輪を、擦り傷が滲みないように恐る恐る付けていく。
「ファニー…ごめん、ごめんなさい。」
指輪をはめ終えて、あまり力の入っていない氷のように冷たい彼女の両手を、ブルンフェルは自分の首元に押し当てて温める。
大樹から砕けた破片は、いつの間にか光の粒となって消えてしまった。
「帰ろう…。」
無言で頷くステファノーチス。
ブルンフェルの肩を借りながらゆっくりと歩を進め、やっとの事で家に着いた時には日が暮れてしばらくした頃だった。
その後魔力回復の薬を飲ませても、ステファノーチスの体調は回復することなく、ずっと床に伏している。
彼女が起き上がれるようになったのは、次の初夏の事だった。
𖤣𖥧ステファノーチスの過去
ステファノーチスは起き上がれるようになったものの、しばらくは常にぼーっとしており、あまり頭が回っていない様子だった。
その間店の切り盛りはブルンフェルが進め、村人たちもステファノーチスを心配していつもより頻繁に足を運ぶようになった。
「僕が作ったものだから、もし何か変な事があったら使い続けないですぐに知らせてね。」
「大丈夫だと思うよ?」
「念の為!」
「わかったわかった。あ、お代はこれでいいかな。お見舞いも含めてね。」
村人がカウンターに差し出したのは、干し肉とじゃがいも、採れたての山菜だった。
それも籠に沢山。
「え、こんなに…」
「いろいろ大変だろう?麓まで出て来る事もまだ出来ないだろうからさ。ステフが元気になったら、また畑を手伝っておくれよ。」
「う…ありがとう…。」
薬を受け取った村人は、ポンポンとブルンフェルの肩を叩いて店を後にした。
ブルンフェルはふぅと深い溜め息をつく。
正直なところ、村人が訪れる度にどんな薬を頼んでくるのか、自分一人で対処出来る薬なのか、内心緊張ではち切れそうになっていた。
幸いな事に難しい注文をしてくるお客はおらず、何とか対応出来ているといった様子だ。
薬を作るのに使った小瓶や匙を洗っていると、2階から階段の軋む音が聞こえてきた。
ステファノーチスが降りてきたのだ。
「ファニー?寝てて!」
「ちょっと…外に…」
「なんで!」
「多分、外の方が…効率が…」
彼女は部屋着にストールを肩からかけただけの状態である。
ブルンフェルは、急いでもう1枚厚手の羽織ものを用意して彼女の肩にかけ、軽く身体を支えながら一緒に外へと出た。
扉の前、ちょっとした階段に一緒に座る。
ステファノーチスは目を閉じて、自然の音に耳を澄ませている。
鳥のさえずり
木々のざわめき
通り抜ける風の音
ブルンフェルもそれらを一緒に感じていた。
「ここは、魔力が自然に生まれる森なの。」
ステファノーチスは続ける。
「ここの他にも、深い森というのは天然の魔力で溢れている事が多くてね、その中にいるだけで、体内にも魔力が溢れてくるものなのよ。」
ブルンフェルは黙ってその話を聞いている。
「特にここは天然の魔力がとても強くて、療養に向いていると言われているの。王都からしたら、とてつもなく僻地だから足が丈夫じゃないと誰も来ないけれど。」
「療養…ファニーは病気だったの…?」
「病気…みたいなものかしらね。もっと早くに伝えるべきだったわ。」
ステファノーチスは、自身の過去についてこう語った。
王都の実家で暮らしていた頃。
錬成子の妹が産まれ、程なくして魔力の枯渇により両親が他界した。
まだ幼い妹を養う為、成人したばかりのステファノーチスは自身の薬屋と幾つもの仕事を掛け持ちしながら生計を立てていた。
しかし、王都に暮らしている人々のほとんどが魔族である。
定住地から離れない魔族は、薬などという即効性のないものは使用せず、医者に診てもらい魔法で直接治してしまうことがほとんどであった。
さらに、薬が必要な旅人や人間の人口に対して薬屋を営む家が多く、老舗にそれらが集中した。
ステファノーチスの薬屋は儲からない。
掛け持ちの仕事は増えていく。
妹は成長していく度、わがままが増え反抗期にもぶち当たった。
挙句の果てに、夢見の力で不吉な予言までして的中させる。
「本当はね、薬の技術を活かして王立研究所で働きたかったの。でも、試験の前日に妹から落ちるって言われて、本当に落ちちゃった。」
「………。」
「それでね、もういいやって思ってしまったの。」
完全に参ってしまったのだ。
試験の結果が出ても落胆している暇はないはずだった。
家に帰って家事をして
ふと浴槽の掃除をしている時に
つい呟いてしまった。
────もう、〇にたい
本心ではなかった。
軽口を叩くような、ほんの一瞬の気の迷いだった。
しかし、言葉というものは時として詠唱に近く
その願いを叶えようとステファノーチスの魔力は暴走した。
植物に飲み込まれる最中彼女は気を失い、次に目が覚めた時は病院のベッドだったという。
暴走と枯渇を一度に起こしたステファノーチスは、医療用の魔力を注がれることで何とか命をつなぎ止めていた。
「魔力が暴走した時に神経がやられちゃってね、元々少ない魔力がもっと少なくなっちゃって。私の身体の中で、作られる魔力も貯まることなくどんどん外に出て行っちゃうみたいなの。」
「じゃあ…指輪は…」
「あなたと同じ、魔力が外に出ないようにする為の道具。つけている理由は違うけれど。」
ブルンフェルは元々持っている魔力の量が多く、指からこぼれ出てしまうそれらが勿体ないと、留めるためのグローブをステファノーチスが常に付けさせている。
ステファノーチスが暴走と枯渇に対してうるさく慎重なのは、彼女にとってそれらが身近にあった出来事だったからだ。
「わたしが中級以上の魔法を教えられないのも、これが理由の一つよ。」
「じゃあ、ファニーはこの森から一生出られないの?」
「そういう訳では無いわ。大きな魔法さえ使わなければ、指輪のおかげで体内の魔力を維持出来るもの。」
「……ごめんなさい。」
ついこの間の出来事を思い出す。
ステファノーチスは、明らかに中級以上の魔法を駆使していた。
「あの熊が、あそこでこちらに気づいてしまえば同じ事よ。大丈夫、あなたが生きてここにいるだけで、それでいいの。」
ブルンフェルの肩を抱き寄せ、頭と頭を擦り寄せる。
「ねぇファニー。僕もね、言わなきゃ行けない事があるんだ。」
「なぁに?」
「ぼく、多分ファニーの記憶を見てしまったんだと思う。」
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