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【小説】哀しみの魔法 序章② ステファノーチスと妹のお話


前回のお話はこちら↓↓↓



𖤣𖥧物忘れに効く薬

アゼリアーナが帰ってから数日のこと、ステファノーチスはいつものように店を開け、仕事をしながら妹に会いに行くため旅の支度をしていた。
集落の人々が薬を求めて店に来ると、彼女の様子を見て珍しいこともあったもんだと口々に言う。
うちの野菜持っていくかい?
何か足りないものは?
そうやって、必ずステファノーチスの力になってくれようとする。

「こちらの事は気にしなくて大丈夫だからね。」
「ほんの1ヶ月くらい、我慢すりゃなんとでもなるさ!」
「あんまり我慢するのは良くないのだけれど…、用事が済んだらすぐに帰ってきますから。」
「いやいやいや!せっかく家族と会うんだろう?ゆっくりしてきなさいよ。」

ステファノーチスからは、少しだけ苦味のある笑みがこぼれた。

「王都に帰るのは何年ぶりなんだい?」
「ん〜、多分50か60かしら……」

人間からしたら驚愕の数字だろう。
何せ5,60年ときたら、人間1人の寿命を超す年月なのだから。

他愛のない話に花を咲かせていると、ドアベルが鳴り新しいお客が扉から顔を覗かせた。
集落では見慣れない風貌。背が子どもほどに低く、耳はステファノーチスと同じく尖っていた。

「あ、あの、こ、ここは薬屋さんであってますか。」
「はい、薬屋ですよ。中へどうぞ。」
「よ、よかった。しし、失礼します。」

丁寧に扉を閉めて3人が話しているカウンターの近くへ。
引っ込み思案なのかぎこちない様子。

「どんな薬がご入用ですか?」
「えと…」

肩からかけているバッグの中をゴソゴソすると、1枚の紙切れをステファノーチスに差し出した。
どうやら、近くまで来た魔族商隊のお使いのようだ。
紙切れには必要な薬がずらっと書かれていた。
小さな魔族は、人間から向けられる視線にモジモジとしている。

「あ、あと、物忘れに効く薬があるって聞きました。それだけお会計別で作って頂けたり…」
「もちろん、大丈夫ですよ。ただ、全てこれからご用意しますので出来上がるのは明日の夕方頃になりますね。この後もまだ近くにいらっしゃいますか?」
「は、はい、麓の集落に少しお邪魔して休憩するつもりなので。」
「わかりました。では、麓までお届けに上がりますね。」
「わぁ!いいんですか!と、とても助かります…。」

ホッとしたのか、不安げな顔からふにゃりと笑みがこぼれた。
居合わせた集落の2人は、その小さな魔族に絡み始める。
どこから来たんだい?
何を売っているんだ?
根掘り葉掘り質問攻めにあう魔族。
ステファノーチスには、心なしか目が回っているように見えた。

「じゃあステフ、村に戻ってこの人の商隊を覗いてくるよ。」
「またな。」
「では、お薬よろしくお願いします。」

3人を見送ってカウンターに戻る。
よし、と気合いを入れて作業に取り掛かった。

紙切れに書いてあった内容はこうだ。

◎酔い止め ×5
◎痛み止め(主に頭痛) ×10
◎傷軟膏(大きめの瓶に) ×1
◎身体が暖かくなる薬 ×5
◎熱を覚ます薬 ×3
◎脚が軽くなる薬 ×5
◎すぐ眠れる薬 ×3
◎目が覚める薬 ×5
◎口がよく回るようになる薬 ×2
◎魔力消費が少なくなる薬 ×2
◎魔力回復の薬(中程度の) ×5
◎身体強化の薬 ×5

「ありがたい…。」

商隊との取引は通貨である事の方が多い。
普段は物々交換をしている分、旅の道中に路銀を稼がねばと考えていた所だったのだ。
これだけの注文があれば、王都まで3食しっかり食べ、行って帰ってきてもお釣りが帰ってくる程である。

紙切れを柱の1番見やすい場所に鋲で貼り付け、その横に「物忘れ×3」という新しい紙をくっつけた。
そして、名前を書こうとして聞いておくのを忘れたとふと思い出す。
名前の代わりに簡単な似顔絵を描いておいたステファノーチスだった。


あくる日。
いつものお客を迎えながらも、商隊からの注文品を着々と作っていくステファノーチス。
最後に残ったのは、あの小さな魔族から頼まれた『物忘れに効く薬』。

庭から香草を数種類とカラカラの芽と言われる植物、それから勿忘草を摘んで籠に入れる。
香草とカラカラの芽は一緒に刻んで小鍋でひと煮立ち。
その間に勿忘草は花だけ綺麗に取って置いておく。
茹で汁を少々と、火の通ったもの達を布巾で搾って瓶の中へ。
更に、木の実を極限にまで細かく砕いた粉をサッとひとふり入れ、細い棒でかき混ぜる。
ほんの少し白濁したその液体の中へ、まじないをかけながら勿忘草を入れていくと、夏のよく晴れた空のような透き通った青に変わった。
コルクと皮と紐を使い丁寧に蓋をすれば出来上がりだ。

たくさんの注文品と合わせて、いつものトランクに詰める。
予告通りもうすぐ夕暮れ。
火の始末を確認し店の看板を片付けると、ステファノーチスは麓の集落へと向かって足早に歩きだした。

集落に着くと、商隊が露店の片付けを始めており、昨日の魔族がステファノーチスの方へ駆け寄ってくる。

「ありがとうございます!」
「こちらこそ。中身の確認を頂いても?」
「はい!親方の所にご案内しますね。そこでお代もお支払いしますので。」

案内されたのは、ひと一人が入れそうな小さな天幕。
身体をかがめて魔族の後に続くと、外から見た何倍もの空間がそこには広がっていた。
魔道具。
物そのものが魔力をおびている道具の事だ。
実はステファノーチスのトランクや、ひとりでに歩く椅子もこの類の魔道具で、トランクに関しては入れようと思えば小さな家くらいは入れられる。

2人は商品の管理をしている数人を横目に、1番奥にいる親方と呼ばれる人の所へ。

「親方、今いいですか?薬屋さんがいらっしゃいました。」
「おう。」

何やら帳簿の管理をしている途中だったようだ。
キリのいい所で書き終えると、立ち上がってステファノーチスに視線を送る。

「あれ、ステファノーチス。」

はて誰だったか、と小首を傾げるステファノーチス。
背が高く筋骨隆々で熊など大型動物の毛皮が似合いそうな、まさに旅する商人を絵に書いたような大男。
しかし彼女は全く覚えがないようだ。

「あぁ申し訳ない。商売柄記憶力に魔力を振っているんだが、君と会ったのはまだ王都でご両親がご健在だった頃だよ。よく世話になってね。」
「そうでしたか、覚えていて下さりありがとうございます。」
「いやいや、こちらこそ薬をありがとう。私はカルディオ。この商隊の代表だ。ロン、あの机をここに。」

どうやら、あの小さな魔族の名前はロンと言うらしい。
恐らく愛称だろう。
指示された通り、重そうな木製の机を顔を真っ赤にしながら2人の近くに運んで来る。

「こちらにお願いできるかな。」
「はい、それでは…」

ステファノーチスはトランクから次々と薬を出し、何が何個あるか、薬に関する諸注意などを丁寧に説明していく。
物忘れに効く薬に手が伸びかけて、ステファノーチスはロンと目が合いそのまま手を引っ込めた。

「ご依頼頂いていたお薬は以上でお間違いないですか?」
「うん、間違いない。お代はいくらになるかな。」
「2050ルトです。」
「うむ、ちと安くないか?3500ルトくらい出せるが…」

ステファノーチスが少し目を見開いた。

「いえ、ここら辺は薬草が育つのにとても適しているので、こういった基本的なお薬であればあまり材料に困らないんです。」
「まぁなぁ、確かに…。でも、こんなに早く作って貰えたんだから、せめてものお礼に2500受け取ってくれ。」

小さな皮袋をずいっと差し出すカルディオ。
それを両手で受け取ると、その重さにステファノーチスの手が少し沈んだ。

「あ、ありがとうございます。」
「色々な町を巡っているが、ここら辺に来た時はまた立ち寄らせてもらおう。」
「ぜひ、ご贔屓に。」

ステファノーチス達は取引きを終え、天幕の外に出る。
カルディオは仕事へと戻って行き、そこに残ったのはロンと呼ばれた魔族。

「ロンさん、でよろしいでしょうか。」
「あ、失礼しました。名乗ってませんでしたね。私はエリスロンと言います。」
「エリスロンさん。改めまして、こちらがご依頼頂いていた物忘れに効く薬です。」

瓶を夕暮れの光に透かすと、青の中にゆらゆらと勿忘草の花が泳いでいる。わぁと目をキラキラさせてエリスロンは見惚れていた。

「ありがとうございます!すごく綺麗…」
「ほかのお薬を飲んだ直後や身体強化の魔法を使っている時に飲むと、効力が無くなるので気を付けてくださいね。」
「わかりました!私は親方ほど記憶に魔力を振れないので、本当に助かります!」

満足そうに笑いながら、大事に大事に肩掛けカバンの中に薬をしまった。

「あ、そういえば、ステファノーチスさんってフリチルさんのお姉さんですか?」

エリスロンの口から聞き覚えのあり過ぎる名前が飛び出し、ステファノーチスはまたしても目を見開いた。

「実は、この薬をおすすめしてくださったのがフリチルさんでして。なかなか珍しいお薬だったのと、魔力の乏しい自分には必要だなと思いまして、覚え書きを残しておいたんです。」
「あぁ、そうだったんですね。物忘れに効く薬は私の十八番なんです。あと、フリチルは私の妹で合ってます。」
「そうでしたか!フリチルさんにお会いしたのはもう何十年も前のことですが、その時は本当に良くして頂きました。こちらはだいぶ王都から離れてますが、おふたりはよくお会いに?」
「もう5,60年は会っていないのですが、ちょうど王都に戻る支度をしていたところなんです。」
「え!あ!そうなんですね!ちょっと待っててもらえますか!」

聞くや否や、エリスロンはカルディオの所へすっ飛んで行き、ステファノーチスは2日後、王都までの道のりの半分までカルディオ率いる商隊の荷馬車で送って貰えることになった。

こうしてステファノーチスは幸運に幸運が重なり、10日程かかる距離をたったの5日で移動出来たのであった。




𖤣𖥧ステファノーチスの妹 フリチル


幾つもの山を越え、街と街の間に広がる大地をステファノーチスはトランク片手に歩いている。
昨夜、少し奮発して夕食に食べた香辛料の効いた鶏料理を頭の中で思い出し、少しだけ幸せな気持ちになりながら一本道を行く。


王都はもうすぐそこである。



ステファノーチスの妹、フリチル。

桃色の髪の毛や立ち居振る舞いがとても女性らしく、魔術にも長けており世渡りも上手い。王都にある彼女たちの実家を改装し、針子として巷で人気の服屋を営んでいる。
機能性重視の質素な服か、はたまた利便性のないデザイン重視の服か。
フリチルは、そのどちらも均衡の取れた『可愛くて動きやすい服』を作っているという。


まっ白な土壁に赤い三角屋根、二階建てで屋根裏とバルコニーが付いている。
その店はステファノーチスが住んでいた頃の、連なる周りの家と同じような素朴で年季の入った雰囲気は跡形もなく、そこだけ全く違う空間のように感じるほど。
ステファノーチスがぼうっと1階部分を眺めていると、視界の端、2階のバルコニーで何やら動くものの気配が。
するとこちらの視線に気付いたのか、その目と目が合う。

「お姉ちゃん!!!!!」

フリチルは足元に僅かに見える植物に水をやりをしていたのか、手に持っていたジョウロは無残にもぶちまけられ、それに構うことなくバルコニーの柵を乗り越えようとしている。
いや、乗り越えた。
するとポケットから出した杖で、まるで傘を開くような仕草をすると、フリルのついた可愛らしいサンパラソルが現れた。
バルコニーからゆっくりと地面に降下、そのままステファノーチスの前に着地し、パラソルを投げ捨て抱きついた。




「げ、元気そうで良かったわ、フリチル。」
「おかえりなさい。中々会いに行けなくてごめんね。」

妹のフリチルは姉の事が大好きである。


家の中に案内されて、しばらくは近況を報告し合った。
集落は変わりないこと。
ファッションは目まぐるしく形を変えること。
久しぶりに友人に会ったこと。
変なおじさんに絡まれたこと。
商隊に会ったこと。
フリチルには新しい彼氏が出来たこと。

「彼!?」
「そうなの!」
「その、お相手の方は同じ…」
「もちろんよ、正真正銘同じ魔族のひと!」
「よかった…、前の時は頭が本当にどうにかなりそうだったんだから…」

妹の前の彼は、魔力を持たないごく普通の人間だった。
もちろん、普通の人間と魔族が結ばれるケースも無くはないが、寿命の長さや文化の違いから上手くいかなくなる事が多い。
ステファノーチスは椅子に少し沈んで胸を撫で下ろす。

「お姉ちゃん、私その人で決めようと思ってるの。」
「あなたがそれで良いなら良いじゃない?」
「それもそうだけどそうじゃなくて!お姉ちゃんはどうするの?この先ずっと1人であの森にいるの??」

「そうね…。」

ステファノーチスにとっては、考えても仕方の無い事だ。
集落には、ステファノーチスを必要としている人々が沢山いる。
かといって、その周辺に魔族はいない。
また、都会に出て相手を探すような事も、彼女にとってはこの上なく億劫な事だった。
なぜなら、今の暮らしにとても満足しているから。

「幸せになりなさい。」
「お姉ちゃん………。」
「貴女が幸せなら、わたしも幸せよ。それに、これから結婚するあなたの前で言うことではないけれど、結婚だけがすべてじゃないわ。」
「あのね?私には博識なお姉ちゃんに、困っちゃうほど頭のいい年下の旦那さんがいる事がみえたんだけどなぁ。」
「年下!?ありえないったら!!」

胸の前でぎゅっと両手を握りキラキラした目で姉を見つめる妹。
フリチルはよく断片的な未来視をする。近い未来もあれば遠い未来もあって、その正確な時間は定かでなくとも、大筋はズレずに言い当てるのだ。
それがいい事ばかりなら良いのだが、悪い事の未来視は特に激しい姉妹喧嘩の火種になった。
今回のはステファノーチスもにわかには信じ難いがそう悪いとも言いきれない未来。
せめても頭の片隅に置いておく事にした。


そろそろ夕飯時だろうか、窓の外から美味しそうな匂いがして来て、妹が小さい頃はよく母が大きな鍋に野菜たっぷりのスープを作ったとステファノーチスは思い出す。
そして両親が他界した後は、その代わりを担ったことも。

ステファノーチスにとって、幼いフリチルの親代わりをするのは当たり前の事だと思っていたが、それでも苦しい事が多かった。
家族で住んでいたこの街は、人間より魔族が多く暮らしており、雇われの薬屋をやっていたが、そもそも病気になったらこの街にはちゃんとした医者がいる。
身体の不調は医者たちが魔法で治してしまう事が多く、薬を必要とする人が少ない割に薬屋を営む魔族が多かった。
当然儲からない。
生活は苦しい。
だからそれを補うために、その店以外に働く場所をいくつも持っていた。
それでも妹の反抗期はやってくる。
今ではこんなに仲良く見えるが、当時は身も心も最悪な状況で、毎日が妹との戦いだったとステファノーチスは思い巡らせた。

だから、当たり前の人生を歩み圧倒的に優れている妹に少し苦手意識を感じているのだろうか。
中々実家には帰りたくないという彼女の心境は、実際に帰ってみてもやはり変わらなかった。

「そろそろ行くわ。」
「泊まって行かないの?!」
「戻っていないと、薬の予約もあるし。」
「え〜、移動魔法手伝うから泊まって行ってよ〜。おーねーがーいー。」
「ごめんね、畑の様子も気になるのよ。」

フリチルはぷうと頬を膨らませているが、それを見たステファノーチスは困ったように笑うしか無かった。
こんなに真っ直ぐ人に甘えることなんて、一生かかっても出来ない。
ステファノーチスはそう思った。

「結婚式、楽しみにしてるからね。」

──────きっと何かに付けて行かない。

「招待状送るね!」

──────次会うのはあの子に子供が生まれたらかな。

そんな事を考えながら、来た道を戻っていく。
空は晴れて、たくさんの星がキラキラと輝いていた。






𖤣𖥧魔女と弟子の出会い


木々の色は目まぐるしく変わり、紅葉、落葉を終え、しんしんと雪が降り積もる。
森の針葉樹はその重さに耐えきれずに、白銀の新雪を振り落とした。

ステファノーチスがフリチルの元から帰ってきて数ヶ月。
吐く息は白く、外は見渡す限りの銀世界。
昨夜から降り続いた雪は止み、陽の光は一面の白に反射して辺りをより一層輝かせている。

ステファノーチスはいつものように薬屋を開け、これからの来客のために店の前に降り積もった雪をスコップではねていた。
すると、集落の方から中年の女性が息を切らし走ってくる。

「ステ……こ、っゲホッゲホッ」

只事ではない様子の女性に駆け寄ってみると、その腕の中に何か塊を抱えていた。




「落ち着いて、息を整えて?」

まず吐いて、吸って─────
女性に深呼吸させていると、塊から呻き声のようなものが聞こえてきた。包みを少し解くと、銀色の髪と宝石のように透き通った青い目をした赤ん坊が顔を覗かせた。

「髪の色が私たちとは違うから、きっとステフと同じじゃないかって思ってね?こんなに小さいのに…………」




女性が隣町に出掛ける際に、集落の入口に置き去りになっていたこの赤ん坊を見つけたという。

「なんてこと……」
「どうしたらいいものか、私たちと同じなのか分からなくて」
「概ね一緒よ、だけどこの子赤ん坊にしては元気があまりないわ。乳の出る方は村にいるかしら?」
「え、えぇ。あたしの娘が」
「一緒に行かせて。この子に分けて頂きたいの。」

2人は大急ぎで集落に向かった。

「しかし、ここいらで捨て子とはめずらしいわねぇ。こどもなんて居れば居るだけ助かるってのに。」

乳をあげながら先程の女性の娘が呟く。

「ごめんなさいね、急に押し掛けてしまって…」
「いいのいいの!赤ん坊なんて1人も2人も同じことさ。いつも世話になってるんだから、こんな時くらい頼ってよ。ね?」
「ありがとう。」

ステファノーチスは、乳を飲み終わりぐっすりと寝入った赤ん坊を抱き上げた。
するとたちまち辺りには黄金の光の粒が満ちて、ステファノーチスに集まっていく。
居合わせた集落の人々はその光景に感嘆の声をあげる。

────尊き命よ。我を一時の贄とし生きよ。

自身の額と赤ん坊の額を合わせて小さく唱えると、光はそっと赤ん坊の中に消えていった。

「今のは魔法かい?」
「えぇ。私たちは体内の魔力が消えてしまうと、体力の消耗が激しくなって直ぐに死んでしまうの。」
「なんとまぁ……」
「お腹が空くのも大変なことだけれど……。魔力の方はほんの少しだけれど私の有り合わせを分けてあげたから、しばらくは大丈夫。」

住人たちは安堵した。

「ねぇ、この子私に任せてくれないかしら?魔力のことも心配だし。」
「ステフがそう言うならもちろんさ。」
「でもあんた、大丈夫かい?冷や汗がすごいよ。」

そう、ステファノーチスはいつの間にやら大きく肩で息をしていた。
顔には汗が滲み、心なしか苦しそうだ。

「大丈夫よ。久しぶりにちょっと大きな魔法を使ったから…きっと身体が訛っていたのね。」
「赤ん坊の前にステフが倒れたら大変だよ。みんな、男どもを呼んできな。山まで送るよ。」

ヤギの世話をしている旦那。
雪かきをしている旦那。
裏庭で仕事をサボっていた旦那など数名が集められ、山までの細かった雪道を広げてもらい、馬に繋がれたソリでその日ステファノーチスは家に帰された。
集落に帰っていく人々を確認し、常備していた魔力回復の薬に手を伸ばす。
ひと息に飲み干すと、少し青白くなっていた顔に血色が戻ってきた。

「あなたには早いところ回復してもらわないとね。」

そう言いながら赤ん坊の頬を人差し指で優しくつつくと、目を閉じたまま彼女の指をくわえてきた。

「あら、意外といい調子ね。」

大きめの籠に柔らかい布を何重にも敷き、即席のゆりかごを作る。
暖炉の横で赤ん坊をその中に寝かせて、ちいさな命のたてる寝息に誘われるかのように、ステファノーチスもその横で少し眠りについたのだった。




この赤ん坊に出会った事で、彼女の平坦で穏やかな生活が崩れ去ることなど、今は知る由もなかった。



次回:哀しみの魔法 序章③ 
ステファノーチスと弟子のブルンフェル

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