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宮古島に呼ばれて、気付けば半年。

COVID-19という目に見えない小さな生き物に、我々人間がここまで翻弄され、これまた人生に多大な影響を受けるなんて誰が想像したでしょう。この世界は何が起こるか分からなくて、だからおもしろい。

飛行機を降り、ベトナムから日本に生活の拠点を移してから早1年という月日が経とうとしているので、何とも言いようのないこの時間経過と人生の変化と、更には複雑な今の心境を忘れないように文字に残しておこうと思う。次に進むためにも一旦整理。

あれは2020年初旬、何だか得体も知れない"COVID-19"という単語に弊社内のメールがザワつき始めた。あっという間に中国路線が運休、その後東南アジアへのフライトも減便を始め、いよいよ我々客室乗務員のスケジュールにも”OFF”の文字が目立ち始めたのが2020年2月。「数日間、休みたい人は休んでもよかよー」との意味深な自主休職応募アナウンスがきたので、私はしめしめと思い腰痛の手術(嘘)を理由に日本への1ヶ月長期帰国をマレーシア人のマネージャーに相談した所、あっさりOKを頂いた。まさかその休暇が1年にもなるとは驚きです。

2020年3月1日、成田国際空港着陸。日本に戻ってすぐは、用事のため東京に1ヶ月Air bnb生活。(おかげさまで運転免許を失効し、宮古島で人生二度目の自動車学校に通ったのはネタ。飲酒運転じゃないよ。さようなら30万円…)2020年4月からは佐賀の実家に戻り、家事や畑仕事を手伝いながら久しぶりに家族とゆっくり生活をするも、やっぱり夏が近づくと旅に出たくなる重度トラベル中毒。久しぶりに逢いたい友達が住んでるのを良いことに、鹿児島まで下りて奄美大島から加計呂麻島、沖縄本島から渡嘉敷島に阿嘉島へとゆらゆらと漂った。2020年8月、国際ニュースを見る限りまだまだ国境も開きそうにないし、このタイミングで都会に行って就職先を探すのも違うと思っていた夏の日。ふと、あの大好きだった島を思い出した。

新卒時代、社会に揉まれて疲弊していた私はリフレッシュ休暇(という制度)と片道航空券をもぎ取っては、一人でこの島に来ていた。なぜこの離島を選んだのかは覚えてないけれど、きっと直感。バックパッカー宿に泊まり友達を作っては、一緒に海を愉しみ美味しい島酒を飲んで踊り、気付いたらその島が大好きになっていた。結婚して子育てをする時でも良いし、それが無理なら老後でも良い…いつか、いつの日かその島に住みたいと思った。

それが、ここ宮古島。


最後までご愛読頂きありがとうございます。
今日も世界中のみなさんにとって素敵な1日となりますように。

SUZY


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