【妊活記録#6 流産。今まで他人事に思っていた自分を知る】
おはようございます、こんにちは、こんばんは。
前回の更新から見事に約3週間、yonakoです。
(得意なことはノリと勢い、苦手なことは計画的な行動と継続です。まんまやないか)
※コメント下さった方、フォローしてくださっている方、お返事できていないままにごめんなさい。少しだけ気持ち落ち着いたらお返事させてください。
前回の記録にも残した通り、妊娠発覚、からの流産をしました。
前回クリニックにて体外受精による妊娠が発覚し、
妊娠4週として生活をすることとなりました。
妊娠がわかってからは、
すぐにたまごクラブやお金の本などを買い、今後進むであろう未来に向けて勉強しようと取り組み始めました。
また、現在のお仕事ではリーダー職をしていること、自分で言うのもどうかと思いますがそれなりに売上を上げる社員であるという自負があったこともあり、これまで不妊治療を進めることを相談に乗ってくれた上司になるべく早く伝えようとしていました。
出産予定は9月下旬。
となると8月のお盆明けくらいから産休をいただく可能性が高いこと、しかし毎月の売上を鑑みると中途半端にいるより7月末でお休みに入り有給を使わせていただいた方が会社のためでもあり、自分のためでもあるのではないか…
などそんなことを考え、そこまで会社にもお話してしまっていました。
(めっちゃ前のめりだったな、と今思えば思うけど、それだけ私にとって今の職場での立ち位置、役割、売上ともに『それなりの責任』を持っているつもりでいて、その気持ちすらも今思えば考えすぎというか、別に会社はそこまで求めてないだろうし、勝手に自分で自分の首を絞める働き方してるよなあとしみじみ感じる機会にもなりました。妊活、妊娠での自己理解のタイミング多すぎィ。目を背けられないことがたくさんである。)
ということで
束の間のマタニティライフを1週間ほど過ごしました。
何だか熱っぽいな
いつもより眠い日が続くな
胸というか先端が朝起きた時に重いし、痛い
などなど確かにいつもと違う体の変化を感じながら過ごすことに。
体外受精の頃から続いていたエストラーナ(貼り薬)、ルテウム(膣坐薬)は継続しながら何となく感じる変化のようなものを噛み締めながら日々を過ごしました。
そんなこんなで妊娠発覚からの初めての通院日。
数値が上がっていることを確認するために採血をします。
採血のあと、結果が出るまで大体1時間を要しました。
いつも同じくらいだけどいつもよりなんか長い。
妊娠できたから大丈夫、と思いながらも、何だかモヤモヤ。
長い。
待ち時間が永遠に続くのではと思うくらいに長い。
何となくの違和感を感じながらも待つしかない状況はなかなか精神的に来るものがある。
やっと呼ばれた、と思いながらも、何だかモヤモヤした気持ちがあって
入るのが怖い。
けど入るしかないので入室。
診察室で先生から
「数値が前回より下がっていて…この場合だと化学流産になります…」
あ〜…なんか嫌な予感がしたのはこういうことか、と思えたのは全然もっと先だけど
思ったよりも冷静にお話を受け止めていた自分がいました。
化学流産は、
陽性になったあと超音波検査、血液検査の結果、胎嚢が認められず妊娠終結をして陰性となること、だそうです。
今後は現在のお薬を一度終了して、生理(いわゆるリセット)を待ち、今後の移植計画(今回やったことと同じこと)を行う、ということ。
hcgはなんと一桁まで落ちていて、もう一目で見て受け止めるしかないレベル。
説明をひとしきり聞いて帰るしかやることがないので説明を聞いて、お会計をして終了。
私はいつも通院は仕事の時間休をいただいての通院のため、
この日ももちろん通院が終わったらすぐ会社に戻らなきゃいけない
(幸か不幸かこの日はいつもより診療が早く30分くらい余裕はあった)
ひとまずコンビニに行き、カフェインを気にする必要も無くなったのでヤケクソのようにコンビニコーヒーを買い、イートインスペースにひとまず着席。
いっやーーーーーー何も考えられない。
何が悪かったと考えても調べてみても化学流産は診察の時に先生が言ったように
「妊婦側の問題ではなく染色体異常」
と出てくるし、事実そうなんだと思う。
だとしても何かできなかったのか、何が悪かったのかと考えるのが人間というものなんだと私は思う。
考えるけど考えられない。
落ち着こうと流し込む久しぶりのカフェインありのコーヒーはただただ苦い。
落ち着こうと思うこと自体が無謀だと感じた。
だってどうしようもできない。
ただ今のこの状況と、この感情であることを認める、理解することしかできなくて
なんでを重ねても答えは出なくて
そんなことを10分程ぐるぐる巡らせて
どうしようもないので仕事に行きました。
足取りは重いし、報告していた上司にも取り下げないととか、そもそも気持ちも
体調も良くない。
とはいえ行かなきゃいけない。
有難いことにその日はとんでもなく忙しくて考える暇もないくらいずっと喋り倒し、
夜も多少残業しないと終わらない状況になってしまい逆に救われた。
帰りの電車の中で一息ついた時にまた
なんで、どうしての波がやってきて、Twitterとかで同じことがあった人のツイートを見たりして
そうは思っても考えてもどうしようもないんだと受け止めるしかないことを感じながら帰路に辿りつくのでした。
この経験をして初めて思うこととして、
正直不妊治療をずっとしてきたからこそ妊娠したらそのまま順調に行ってほしい、行くだろうっていう気持ちがあったこと
妊娠、出産、子育て自体を自分ごとで捉えられていないと感じてはいたが、それ以上に流産ということが起こりうるということは更に自分ごとに考えたことがなかったこと
化学流産は流産とは言わないとかっていう文献もあるけど一度妊娠したという事実から0に戻ったのは同じことだよねってこと
(とはいえ週数進んでから流産っていうのは更に体への負担、気持ちへの影響が大きいことと思う。どっちが大変とか大変じゃないってことでなく、どの事実であれ一度訪れてくれた命が離れてしまうのは誰だって、いつだって悲しいことと思う)
赤ちゃんに限らず、子ども、大人、生きてる人それぞれの命って本当に奇跡で尊いんだということ
とか何だか色々考えさせられるというか、向き合わせてもらったことでもありました。
学ばせてくれてありがとう、逆に育ててくれてありがとう
少しでも長く生きさせてあげられなくてごめんね
仕方ないことであっても、私にとって初めての経験と気持ちをさせてくれた大事な卵ちゃんだったからこそきちんと今後向き合っていかないといけないなと思いました。
まだまだ不妊治療の道のりは続く…