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私の歴史。1998年インターネットの可能性に魅了され・・
「ベランダから環境を考える。upsoil」を運営するアップソイルカンパニー株式会社 取締役社長の中原ひとみです。ウェブデザインTomorrowArchとしてWeb制作業を営みながら、今年2023年5月にアップソイルカンパニー株式会社として起業しました。なぜ起業したの?なぜWebから土のリサイクル?と聞かれることが多々あり、自分のことを整理する意味も含めて「私の歴史」を何回かに分けて書いてみます。
今から23年前、ミレニアムイヤーの2000年。
25歳の私は、医療事務の仕事を辞めてWebデザイナーになると決めた。
インターネットの可能性に魅了されたからだ。
私が社会に出た、20歳の時(1995年)インターネットはまだ市民権を得ていなかった。
日本のインターネットの歴史をかい摘むと、
1995年、初めてのWindowsが日本語版で発売
1997年、国際インターネット電話サービス提供の自由化
1999年、2ちゃんねる開設
2000年、Googleが日本語での検索サービス開始
フレッツADSLの本格提供開始
無料プロバイダ「ライブドア」がインターネット接続サービス開始
スマホに至っては、
2008年にiPhone 3が発売、2010年にやっとAndroidが発売、今から13年前のことだ。
私が20歳の1995年は思い出せないほどに不便な時代だった。
携帯電話の普及でさえ10%程度の凄まじくアナログな時代だった。
話は戻り、
1998年、Windows98の発売で日本中が沸いていた。
私はパソコンを病院の職場で使っていたが、自宅にも欲しくなりダイアルアップ接続のインターネット回線を契約し、自分のパソコンWindows98を買った。*Windows98は、Windows 95を改良したもので、個人消費者向けに設計された最初のWindowsと言われた。
「ピポパポパピピポピポ、ピ-ガガガ」と音のするダイアルアップ接続のインターネット回線を引き、パソコンを繋いだ私は、海外の雑貨をネットショップで買うことにハマっていた。海外旅行へは何度が行っていたが頻繁に行けるものではない、ネットショップなら海外旅行に行かなくてもおしゃれな雑貨が気軽に買える。
毎日、パチパチとパソコンを触っていると、誰でもネットショップが作れることを知り、そして誰でもホームページを作ることができることを知った。私は自分でもホームページを作ってみたいと思うようになり、HTML、CSS、Flash、Adobe PhotoshopやIllustratorを独学で触るようになっていった。そしてハイスペックのパソコンが欲しくて自作したりもしていた。
そして2000年になると、インターネットは一気に広がり、パーソナルコンピューターが一家に一台へと普及が始まっていった。
一部の企業が資本の力で独占する経済社会とは違い、インターネットの新しい世界は平等だった。
サーバー、ドメインは数千円で借りられる。そして誰でもホームページを作って公開できる。
何よりも、誰が作ったホームページも、はじめは大海原に浮かぶ無人島とお同じ平等な位置にある、一等地なんでものは無い。
被リンクを受けたり、掲示板に書き込んだり、ポータルサイトやYahoo!カテゴリに登録したりしながらアクセスを増やしていく。
このプロセスは平等だった。
このインターネットの平等さ、一発逆転の可能性に魅了され、ホームページを作る仕事をしたい!という想いが膨らんでいった。