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アップロックOGインタビュー 〜Papo(Frank Rojas) Vol.3〜 「EP.20」

【WORLD IS YOURZ 挨拶】

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 ぜひこのマガジンを通じて、アップロックの面白さが浸透していくことを願っております。


1. 始めに


 本日は、アップロックOGのインタビュー翻訳記事を公開いたします。前回に引き続き第2弾は、Worldwideアップロック集団のボスPapo(Frank Rojas)のインタビューの続編になります。インタビュー元は記事最後のリンクURLにてご覧いただけます。

2. インタビュー内容

※インタビュー感を出すため文章をQ&Aの形式で記載させていただきます。

Q.:インタビュアー(Tiny Love)
A.:インタビュイーpapo(Frank Rojas)

2.1.当時のアップロックバトルとは?(71〜76年) 「EP.18」続編


A. 
 当時のクラブは、2時の時間帯が一番アツくてみんなそれを楽しみに待ってる感じでしたね。上手い奴はその時間帯まであんまり踊っていなかった印象があります。最後に出てきた方がインパクトがあるのでね。 
  当時は、サイファーみたいな感じで円になってひとりずつ踊るのが基本でした。でも、サイファーの終盤は一番うまかったダンサー達ばっかりが踊ってみんなを魅了するっていうのが多かったですね。
 その頃一緒にクラブに行ってたHectorとJohnnyもレベルが高い方のダンサーだったんで最後の方まで待ってから踊ってましたね。その頃はLouie、Deedy、Rubberbandもよくクラブで見かけました。
 でも私が踊るのに本気になった頃は、Rubberbandも年を取っといて、クラブでもう踊ってなかったんです。知名度も上がって注目されるのに慣れてしまってたみたいで、踊ることにちょっと興味をなくしてた感じはありました。
 なのでその時代で活動してた上手いダンサーはMike Dominguezと彼のパートナーJunior、あとDannyとHector、女性ダンサーで言うとAnnaとJana、PennyとAngieですね。AngieとMike は未だに活動してますよ。是非彼らにもインタビューしてください。貴重な情報をシェアしてくれるはずなんでね。
 その後の世代が私とEnochで、おそらくそれがロッキン最後の世代でしたね。少なくとも私が当時見たロッキンの文化や踊りそのものはその世代で終わりました。
 私とEnochがクラブに行けばすぐにサイファーができました。当時二人でやっていたルーティーンは8曲以上ありましたね。なのでサイファーでは永遠と踊れました。
 あとその年にLatin symbolicsに雇われました。Latin symbolicsが結成された当初は6人で、George、Denise、Sarah、Eddieがハッスルダンサーで、Georgeの兄弟のMichaelと彼のパートナーPatはサルサでした。
 そして、僕らがロックダンサーとして招待された形でした。彼らとはツアーなどをして、コーネル大学でダンスを披露できたのもいい思い出ですね。コーネルでやった時、僕らのスタイルはすごくスピーディーだったので「バーニングエナジー」ってみんなから言われたのが印象に残ってます。
 当時のルーティーンは「Just Begun」、「I can feel it Jones」、「It’s a new day」、「Give it up and turn it loose」とかをやっていましたね。コーネルで披露した時はもっとゆっくりした「Hang on in there baby」って言う曲でやりましたね。
 でも結構それは、Latin symbolicsのみんなから反対されたんですよ。バスで後ろからあーだこーだ言われてるのが聞こえたり、本当にこの曲でやるのかって色々聞かれたりしましたね。
 でも最後まで押し切ってこの曲を使いました。そして、本番が始まってライトがつき、僕達が踊り始めてから歓声が鳴り響いたんですよ。本当に良い反響でしたね。
 当時は本当によく練習しました。動物園に行ってライオンとか虎がどう歩くかを観察してダンスに落とし込んだりもしていましたね。今の時代、ダンサー達も練習熱心ですごいワクワクします。

Q. 
 その世代のロッカーのことに詳しい人はなかなかいないんで、貴重な話が聞けて光栄です。

A. 
 はい、私は勝手に「失われた世代」って呼んでます。当時僕らはいくらうまくてもお金にする手段がなかったんで辞めざる終えなかったダンサーばっかりだったんですよ。
 ReflectionsとかLaviticus、あとBarry Gordy and Motownともプライベートパーティーの依頼で仕事をしたことあるんですけど、それでも不十分でしたね。スターになりたかったんですけど、いくらうまくても無理でしたね。
 それに気付いてから、あとパートナーが彼女に踊るのをやめさせられてから、私は学校に行くことを決心してダンスから徐々に遠ざかって行きましたね。会計を習いにビジネススクールに入ったんですよ。
 それからWilly Astradaに組まないかと言われて、ロッキンはもう廃れてたんで躊躇はしたんですけどパートナーになったんですよ。でもそれからルーティーンとかをショーで披露したりしたんですけど、やっぱり何か前とは違う物足りなさがあっったんです。大会もなかったですし。
 なのでそれからまたビジネススクールに戻りましたね。Enochは彼女との生活に専念して、Mike Dominquezはゴールデングローブをもらうほどのプロボクサーになったんです。Dannyは教育委員会に入って給料のいい仕事がもらえたみたいで。
 その前は毎日クラブに行って日中は爆睡するって言う生活からみんな同時に離れていったんです。音楽そのものが変わっていったのもすごく大きな分岐点でしたね。


2.2.当時のDJのプレーとブロックパーティー(71〜76年)

Q. 
 そうですね、音楽についても聞いていきたいです。DJが当時どんなプレーをしてたか、フルソングをかけてたか、曲のミックスをしてたかとか。ブロックパーティーがあったかどうかとかも。

A.  
 ブロックパーティーはずっとありましたよ。8歳の子供とかでもブロックパーティーを開催できてましたよ。道を封鎖してバスケコートと音楽を持ってきて。ロッキンが存在する前からブロックパーティーとかダンスは人気でした。
 ロッキンも既存のダンスが進化しただけのスタイルなんで。僕の家族全員がダンサーだったんですよ。おばさんとかも家に友達呼んで全員でパーティーして踊ってましたし。
 DJの話に戻りますけど、R Feet、Spike、Cebeza、Jellybeanがいましたね。Jellybeanは今でも活動してますね。

Q.
 はい、彼の音楽はドープでロッキンソングの影響があるのもわかります。

A. 
 多分今でもロッキンミュージックを誰よりも持ってると思いますよ。Jellybeanは僕と学校で一緒に踊ったりもしてました。でもDJもしてたんで僕らのレベルに追いつけなかったんですよ。でもそれからDJに専念し、成功したんでそれでよかったんだと思います。
 当時のDJのプレーはシンプルで、ミックスとか特にせず一曲丸々流してました。一曲一曲流れるように綺麗に繋げるっていう感じでしたね。
 クラブの初めから11時位まで普通のダンスミュージックを流すのが主流でした。そのあとにロッキンソングを立て続けに流して、僕らの出番が来るって言う感じでした。
 Cynthia RoseとNicoleが1週間のストリートスタイルダンスについてのセミナーを開いた時の話なんですけど、その時私とDanny Rodriguezもプレゼンターとして参加したんですよ。
 そのセミナーでDannyは、クラブでロッキンミュージックがかかるまでみんな女の子をナンパして、ロッキンソングがかかったら急に女の子に興味をなくして踊りまくるっていうのを毎回繰り返してたって話してました。
 それでロッキンソングは10から15曲位をフルで流すのが普通でした。とにかくそれくらいハイパワーでエネルギッシュなダンススタイルだったんですよ。踊らないと気が済まないような曲ばっかりでしたからね。
 そういう曲が流れる時にこそサイファーができてましたね。当時のバーンとかも含めてロッキンは相手をディスる踊りって感じはなかったんですよ。アグレッシブなアプローチで踊るダンサーを見かけることはありましたけど、それがスタンダードではなかったんです。
 そういうダンサーは周りから結構軽蔑されてた感じもありましたからね。ディスってばかりいるといつか痛い目にあって、そういうスタイルを止めるっていうパターンが多かったですね。

2.3.当時のアップロックの形

Q. 
 女性ともロッキンすることはあったんですか。

A. 
 ありましたよ、特に競争心が強い女の子が多かったし、実際うまかったんでね。でも、そういう時も大体はパートナーを含めて2対2でバトルするのが多かったです。

Q. 
 バトル後の握手はしたりもしたんですか。

A. 
 いや、みんな元々仲間なんでそういうのはなかったですよ。お互い友達ですし、リスペクトしあってましたね。なので相手を侮辱したり蔑むことは中々無かったんです。
 Dannyは、踊るのをやめてから私のロッキンを見に来たりもしてくれたんです。でも彼がいない間にバーンのスタイルがすごく攻撃的に変化して、Dannyが久しぶりにロッキンを見に来た時めちゃくちゃびっくりしてました。
 僕らが当時踊ってた時は「パフォーマンス」っていう感じだったんですよ。いい服を着て、みんなの前でパフォーマンスをして、周りをエンターテインする感覚でやってました。
 エンターテインメントから相手とのコミュニケーションに目的が変化していったのは本当に大きかったと思います。とにかく15曲ほどロッキンソングを流してからは普通のダンスミュージックに戻るのが普通でした。
 ハッスルも同時期に流行ってたんで女の子とハッスルダンスもみんなしてましたね。最後の方はゆっくりしたダンスミュージックが流れて、女の子とツーステップという踊りをするんです。
 それで一緒に踊ってる女の子に気に入られると500っていうダンスができて、それがすごいセクシーな踊りだったんですよ。そのあとその子を持ち帰るっていうのも多かったですね。

Q.
 King Uprockがたまに500の話をしてますね。

A. 
 いや、本当楽しかったんですよ。

Q. 
 もっと今のジャムでもそういうのがあったら楽しいんですけどね。女の子も少ないしみんな大会のことしか考えてないんで面白くないんですよね。

A. 
 当時のダンサーはモテるためにしか踊ってなかったんでね笑

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