アップロックOGインタビュー 〜Papo(Frank Rojas) Vol.4〜 「EP.22」
【WORLD IS YOURZ 挨拶】
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1. 始めに
本日は、アップロックOGのインタビュー翻訳記事を公開いたします。前回に引き続き第4弾は、Worldwideアップロック集団のボスpapo(Frank Rojas)のインタビューの続編になります。インタビュー元は記事最後のリンクURLにてご覧いただけます。
2. インタビュー内容
※インタビュー感を出すため文章をQ&Aの形式で記載させていただきます。
Q.:インタビュアー(Tiny Love)
A.:インタビュイーpapo(Frank Rojas)
2.1.アップロックは多様性に満ちた踊り
A.
色んなステップをできるだけ開発しました。例えば、15歳くらいの時の話なんですけど、私とEnochでFred Astaireに行ったんですよ。初めて行った時はダンサーのFred Astaireと本当に会えるのかもって思ってたんですけど、生憎そのスタジオの名前がFred Astaireだっただけでした。
その時に経営者から踊るのを見せてくれないかと聞かれたので、披露したら自分たちの技術にすごい驚かれたんですよ。すると、彼はスタジオのインストラクター8人を呼んで、もうもう一度僕らに踊るように指示したんですよ。
そして、その8人からもすごい高評価を受けて、その内の女性インストラクターは「見てきた踊りの中で一番凄かった」って言ってくれたんです。タップダンスの動きや色んな踊りの要素が含まれている上に、ターンが多いことから彼女は僕らのことをフィギュアスケーターって呼んだりもしてました。
タップダンスのフットワークにフィギュアのターンを僕らはやっていたらしいんです。それにジャズ、マンボ、アフリカンフォークダンスとか、既存のダンスを全て組み合わせたものでした。
その上でロッキン特有のアプローチや形式を加えたのがロックになるんです。なので、完全にマンボのステップをしていたとしても、アプローチやフォーマット等によって、マンボではなくその踊りはロッキンになるんですよ。
だからロッキンの動きにはターン、フットワーク、ドロップなどすごく多様性があるんです。当時のドロップは現代の一度下で停止するようなドロップばっかりじゃ無かったんですよ。
もっとエネルギッシュで、ドロップしたらすぐに跳ね上がる動きでした。ターンにも色んなバリエーションがあって、当時の方が意外と自由度が高かった気もします。
Q. (...)それはどこだったんですか
A.
310 and a Half はWestchesterとProspect 付近で、多分ブロンクスで一番有名なクラブでした。当時はディスコって呼んでたんでブロンクスで一番有名なディスコっていう方が正確なんですかね。
そこは歴史のあるディスコで、ずいぶん長い間経営されてましたね。私が行き始めた頃にはもう長年経営されてる名店って認識されてました。なので私の前の世代のDDとかも結構行ってたみたいです。
Mike Tomic とかに聞くとDDは歴史上で一番上手いダンサーだって言い切るくらいのレベルだったんです。彼もブロンクス出身ですね。BonesとLuckyも有名なブロンクス出身のロッカーです。
ブロンクススタイルのロッキンを彼らがしていたから上手かったっていう訳ではないんですけどね。例えばDDのパートナーのLouieはDDの師匠みたいな存在でもあったんですよ。Louieはブルックリン出身でしたので、DDのスタイルは完全なブロンクススタイルではなかったんです。ブロンクスは情報が一番集まる拠点だったんだと思います。
アンジーはクイーンズ出身の有名な女性のロッカーですね。未だにクイーンズにいるみたいです。マンハッタンに住むロッカーはブッシュウィック、ブロンクス、クイーンズ出身とか意識せず、ただロッキンしてましたね。
ブロンクス出身のロッカーは「ブロンクスロッカー」ではなくてただの「ブロンクス出身のロッカー」っていう認識だったんです。だから真のブロンクススタイルとかは存在しないと自分は思ってます。
ブロンクス出身であることにはプライドを持ってますけどね。ブロンクスにはやばいダンサーがいましたけど、ブルクリンとかにもいっぱいいました。マンハッタンでは色んな場所から集まったダンサーが情報を共有していたので、生まれ育った場所が関係なくなるほど、スタイルが混合していったんです。
でもマンハッタンに通って情報収集してきたダンサーが地元に戻って自分の作り出したスタイルなんだと嘘をついたりするダンサーも結構いましたね。実際マンハッタンによく行ってたのは一部のダンサーだけだったんで。でもマンハッタンに行くかどうかは自分次第だったんですよ、上手い下手関係なしで。
2.2. 現代のロッカーへアップロックアドバイス
Q.
本当にこのインタビューができてよかったです。当時のニューヨークのロックシーンが正確にどんな感じだったか知っている人たちは少ないと思うので。
A.
はい。やっぱりいくら歴史を辿っても一人のダンサーが作り出したカルチャーでは絶対にないんですよ。僕の前の世代もありますし、Poor、Bones、Luckyには会うこともできなかったんです。
本当に多くのダンサーがともに確立したダンススタイルなんだと思ってます。前の世代の踊りの凄さは聞いた話でしかわからないんですけど、ブロードウェーのステージみたいだったとか聞きますね。
Mike Dominguezに関しては実際僕も踊りを直接見ることができたんですけど、彼はいつも身体中に電撃が走ってるような激しいインパクトのある踊りをしてましたね。
あとマイケルジャクソンがやってたみたいに、彼の頭を弾く動きとか本当に衝撃的でした。Dannyのドロップもすごいインパクトがあって、あんな広いディスコの中で彼のドロップは床全体を振動させてすごく激しかったんです。
彼のパートナーのHectorとかEnochも似たように真っ直ぐで力強いドロップをしてました。その時代は自分にとってロッキンのピークだったんじゃないかと思ってます。
今のダンサーと彼らは比べ物にならないですね。もう少しみんな独創的に踊るようになればまた似たような踊りができる人が出てくるのかもしれないですけどね。
もっとロッキンっていう枠にとらわれずダンスをするっていう感覚で踊るようになれば可能なんじゃないですかね。
君とかRob Nastyはそれに近いことをしていると思いますよ。WarriorとかSmoothも本当におもしろい動きを作り出していってると思います。Angieに彼らの動画を送ると彼女も僕ら世代の踊りと似ていることに驚いてましたね。
もう少し色んなダンススタイルや、色んな時代の踊りを理解すればみんなうまくなるんじゃないですかね。やっぱり僕の世代のダンサーの多くが急にロックシーンから手を引いたせいかなとも思っています。
その時代のロッキンの情報を次の世代に残せなかった責任が僕らにはあるのかもしれないです。なので現代のロッキンが間違っているとは思わないんです、目の前にある情報を頼りにして上手くなるしかないんでね。
Q.
そうですね。こうやってインタビュー動画などを共有してロッカーの情報力をあげるのに僕も力を入れています。
A.
はい、実際少しずつ変化も見えてきるんでね、僕も楽しみにしてます。
Q.
とにかく色んな人に興味を持って欲しいですね。色んな世代のロッカーが集まるパーティーみたいなのも開けたらいいですね。
A.
はい、僕のクルーも決してみんなが上手かった訳じゃないんですけど、とにかく楽しむことには必死だったんですよ。Dannyにはみんな下手だとか動きが固いだとかバカにしたりしてたんですけど、彼はクルーで1番のイケメンでクラブでは1番いい体験をしてたんじゃないですかね。
とにかく練習からパーティーまで全力で彼は楽しんでましたね。ステップを習うのは誰でもできるんですけど、ファンクとグルーヴを習得するのは本当に困難なんですよ。
ハウスとかの場合もっとシビアで、ファンクとグルーヴがないとファンクじゃないって言われますからね。ロッキンはファンクなしでもできますけど。ハウスは僕も本当に好きなんで、時間があればめちゃくちゃやりたいですね。全力でやれないならあんまりやりたくないんでね。
2.3. メッセージ
Q.
ロッキンの踊る感覚も結構習得に時間かかりますよね。何か最後に言いたいことはありますか。若いロッカーたちにも何かメッセージがあれば。
A.
自分の目の前にある情報だけで満足しないように、自分でいろいろ研究してディグってください。それだけは自分も未だにやっていますね。
Nichlas brothersを動画で何度も見たり、Gregory Hinesを研究して自分の踊りにに落とし込んだり、とにかく手の届く範囲の情報だけで満足しないことです。あと、ロッキンを楽しむことです。
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