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看護学生のインタビューレポートから:アクアポリス

*写真はネットから拝借しました。


アクアポリスについて

語り手:女性 60代 糸満市在住 N氏 祖母の妹

【テーマの理由】
社会学の授業で、先生が沖縄国際海洋博覧会の話をしておりこのことを名護出身の母に聞いたらアクアポリスなら「おばあの妹が詳しいはずよ」と言っていたので調べてインタビューしてみようと思ったからです。また、アクアポリスをニュースなどでも見たことのなかったので興味が沸き調べてみようと思ったからです。

【インタビュー内容】
Q 何歳の時にアクアポリスに訪れたのですか?
A 自分が20歳ぐらいのときあんたのお母さんとおばさん連れて行ったよ。お母さんのいとこもいたかな覚えてないさ。やんばるのおじいとおばあもいたかな。

Q アクアポリスの内装はどんな感じでしたか?
A 中は小さい水族館で魚が餌付けされててそれを見て楽しむことが出来たよ。アクアポリスの周りにもいろんな娯楽施設があったよ。沖縄館とか星を見るとこ何だったかねプラネタリウムみたいなやつもあったよ。アメリカ館もあったかな。遊園地もあって親戚のおじさんの奥さんがゲームセンターの店員であんたのお母さんがよくコインもらってゲームしにたくさん行ってたよ。それに、やんばるのおばあの家が近かったから、遊園地には、よく行ってたね。

Q アクアポリスは今の沖縄のように観光客が多かったですか?
A 地元の人より内地の人が多かったはずよ。アメリカ人もいたけどあの時代はいろいろあったからね。アメリカ人は今の観光地よりは少なかったかもね。天皇陛下もきてたよ。あの時初めて沖縄に来たから覚えてるよ。あの天皇陛下はいい感じの人だったさ。

Q アクアポリスが無くなったときどんな気持ちでしたか?
A なんかインパクトが無くなった感じがしたな。ボートでアクアポリスが引っ張られて内地かどっかに行ったの見て気持ち的には、寂しかったさ。ニュースでもたくさん報道されてたよ。遊園地とか娯楽施設もなくなったからアクアポリス周辺は静まりかえったよ。あそこは、元は、やんばるのおじいの土地で沖縄海洋博覧会のために土地売ったんだよ。結構多くの人が売ったらしいよ。昔はお墓もいっぱいあってさ。やんばるのお家に海洋博するために土地売ったからその賞状みたいなの飾ってあったはずよ。今度、見てみてごらん。ちゃんとあるはずよ。

Q 閉館しアクアポリスや遊園地などが無くなったあとはどうなったのですか?
A 今は、美ら海水族館になってるさ。出来たときは、世界一の水族館だったから内地の人とか外国人がたくさん来てたさ。アクアポリスとか遊園地が無くなって海洋博周辺の人は悲しがっていたから、水族館が出来てまたワイワイしてきたから良かったよ。


【考察】
当時のアクアポリスや周辺の娯楽施設は栄えており観光客なども多くいたと分かった。本土復帰記念事業として行われたので、アメリカ人がアクアポリスにはあまり訪れていなかったということに繋がるのかなと感じた。このような時代背景が読み取れた。また、沖縄国際海洋博覧会が私の曽祖父の土地だったことに驚いた。

【感想】
今回のインタビューを終えての感想として、アクアポリスは、みんなから愛される娯楽施設だったということに驚きを感じた。なぜなら、私が初めてアクアポリスを見たときなんか海に巨大な物体があることに違和感を感じたからだ。アクアポリスは、地元の人に愛されていた施設だったことから、沖縄の人は本土復帰を待ち望んでいたということもわかった。このような昔の海洋博覧会に訪れた人が身近にたくさんいたことに衝撃をうけた。もっと前から興味をしめしとけば、今は亡きやんばるに住んでいた曾祖母などに話を聞けたのにと後悔した。
また、やんばるの曽祖父の土地だったということにも衝撃をうけた。やんばるの家に次行くときは、土地を海洋博に売買した証の賞状があると聞いたのでそれを見たいと思った。国際的な事業に曽祖父も少しは関わっていたことに驚きを感じた。インタビューの時昔の話で覚えてないかなと不安に思っていたが、鮮明に覚えていて海洋博覧会やアクアポリスは相当インパクトがあった施設だったんだなと感じることもできた。普段、祖母の妹とはこんな昔の話をすることがないのでこの学習を通して貴重な体験をさせてもらったなと思った。また機会があれば、祖母の妹だけでなくいろんな人と対話してみたいと思うことができた。

*下記の記事は2000年10月24日「世界日報」

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