生存経済的な豊かさを持つシマ社会
コロナウィルスの猛威、出版界やマスメディアの衰退、議会制民主主義の破綻状態など鬱屈する日々が続いていたので、昼過ぎに大宜味村にドライブに向かいました。
行く先は塩屋湾岸の田港集落です。沖縄のシマ社会をイメージするために、幾度か足を運んでいます。
今回は『大宜味村ふるさと発見ガイド』という冊子を入手したので、これまで行けてなかった、国指定天然記念物『田港御嶽の植物群落』と田港御嶽の下にある『イビナ嶽』、その昔、井戸の側に寺子屋があり、ダチ坊主が住んでいたといわれる『ダチ井戸(ダチガー)』を探してみました。
ところが集落入口の広場では十数人の男性たちが何やら話し合いをしています。私たちもすっかりコロナボケをしてしまって、旧暦の確認を怠っていました。
そう今日は、旧盆後の最初の亥の日に行われる『塩屋湾のウンガミ(海神祭)』の日にあたっていたのです(帰ってからネットで調べると、今日は辛亥(かのとい)の日でした)。
今年のウンガミは中止が決定していたのですが、舟漕ぎ儀礼する男性たちが集っていたのです。
田港集落には塩屋湾岸の集落(田港、屋古、塩屋、白浜)を統べるノロがいましたので、ウンガミの祈願は田港集落から始まります。
このような祈りの日に集落に入ることは憚られましたので、集落外れの道から入って、首尾よく植物群落とイビナ嶽に出会うことができました。
ダチガーを発見することはできませんでしたが、集落からだいぶ離れたダチガーのある川の上流に行き、小さな滝を見ることができました。
沖縄のシマの宗教は制度化されていませんので、巨大な建造物はありません。生(なま)で「聖なるもの」に触れるのです。「聖なるもの」に触れるためには、制度化されていない宗教構造を視る目が必要とされます。
「精神の生態学」から見ると、塩屋湾岸は豊かな社会です。それは貨幣経済的な豊かさではなく、生存経済的な豊さです。人間が生きるための豊さに包まれている世界だということです。
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