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芸術は考える力を身に付ける


コロナで街中のマスクが普通になった。カナダでマスク姿を目にしても違和感なくなったし、自分がマスクを着けていても他者から怪訝そうな目で見られなくなったのは、本当に、、、いや、これって、、本当に、本当に!!!凄いことなのである。

マスクひとつ取り上げてもここでは個性豊なマスクがあり、私的にはグイネス・パルトローのお店グープで販売されている細いブルーのストライプ柄の大きなリボンを結ぶタイプのマスクが欲しいと密かに思っている。

オリビア・パレルモのマスクの付け方もお洒落なのでぜひ見習いたい。マスクの上からスカーフで覆うので、洋服のコーディネイトに合わせてオリジナルなスタイルが完成する。これにはスカーフの枚数がないと厳しいが、何にでも合う色と柄を用意すれば結構お洒落にいけるのではないだろうか?と。

がしかし、やはり海外ではマスク=ダサいというイメージなのだろうか?この状況下でマスクは必須になったのだが、医療用(工事現場用も含む)のマスクを身に付けている人は実に少数派だ。

「たかがマスク」と医療用マスクをつける日本人、「されどマスク」と思考を凝らすのがここにいる人達であり、この違いはまさにここにあるのだ!と感じたのが上の記事なのだ。

何も考えずに、スーツを着ている。「私は、周りとおんなじで目立たないようにしています。人畜無害なので、安全ですよー」というメッセージを発しているのだろう。無意識だろうけど、そう言うことだ。「無個性で、他から目立たず、普通のことをして、つつがない人間ですー。どうぞよろしく」と。

日本では人と違ったことをすると変わった人扱いなので、結局、上の引用のようなことになってしまう。日本の教育システムがそのような人を作り出すシステムなのだから仕方のないことだと思う。制服を着て中学や高校へ通い、就活は紺色スーツが定番なのだから。

ご親切にも私のいた学校は服装検査というものがあり、それに3回違反したら親への報告だ。お洒落に感けてる暇があるなら勉学を励むようにとの配慮だろうが、それは逆効果であった。なんとか抜き打ち検査にひっかからない程度に違反しようと皆が必死で、やりたいようにさせていればそんな事を考える時間は勉強に当てられていたのである。

逆にここでは目立ってナンボだ。生まれた時から耳にピアスを開け、幼稚園の頃からクレイジーヘアDayという日があり、変な髪型を競い合う。ポイントはどれだけ変か?であって、お洒落を競い合う日ではない。人と違うことを考えさせられることが学校の日常に設けられているのである。他にもハロウィン、パジャマDay、いろいろある。

面倒臭いと思う親は適当に色付きスプレーをかけて終わりにするが、気合の入った親は自分の子供の髪型をSNSにアップしてお褒めの言葉をいただく。自我が目覚めると子供は自分で髪型をググって、必要な物を百均でねだり、親へ協力を乞う。そのあたりからして違うのだから、個性が際立って当然と思うのは私だけではないだろう。

だが、そうやって育つこちらの子は高校生にもなるとやりたい放題なわけだが、実は日本人より地味で質素で、日本側から見るとダサいとも言えるような格好が一般的だ。ごく当たり前な高校生らしいお洒落しかしていないのだ。もちろん地域による差はあるが、映画に出てくるようなイケてる子はごく一部のセレブだろう。

それこそ、大学進学を考えている子は高校生にもなると勉強が大変になり、やることいっぱいで、お金もないので、親が買ってくれる範囲でお洒落を頑張るしかない(からそうなる)のだ。バイトもするが、大学への資金として基本的には使わない。つまり、自分で考えているのだ。自由にさせた方が、考える力は身に付く。自由を与えて選択させているのだ。

拘束すると人は自由を求め、自由を与えると人は自分で選択する事を学ぶ。

こちらの親は常に子供に選択をさせている。「何がしたいの?」「本当はどうしたいの?」「それで良いと思う?」そして、悪い結果が出たら「なぜ、それをしようと思ったの?」「どうしてこうなったか考えてみよう」と問い掛けることが多い。

人と合わせる事が心地良いなら、そうさせる。常に本人がどうしたいか?を優先させるのがこちらの方針である。

日本人は何でも人任せで、周りに合わせようとし、個性を潰すことを自ら選択している。考えて、自分が信じる方向を選ぶ力が不足している。政府が旅行へ行けと言えば行ってしまい、最終的には政府が守ってくれると信じているおめでたい人達、それが私たち日本人だ。

考えもせず、結果が悪い事態となったら責任も他人に押し付ける。政府が悪い、コロナが悪い、いろいろだ。「大丈夫か?日本⁉︎」と心配になる。選択する訓練を受けながら育つこちらの子供と比べても仕方ないが、今からでも考える力をつけることは可能だ。

下は考える力をググった結果だが、大人になってからでもその力を養うことは意識をすれば可能である。

読書をしたり、新聞を読む ...
物事をよく見て「気づく力」を身につける ...
常に疑問を持つ ...
疑問から適切な答え(解決策・対処法など)を出す ...
自分自身を客観的に見つめる ...
人間観察を怠らない ...
複数の作業を同時に進行してみる ...
ストレスを蓄積させない

考える力を育むこれらの項目をほとんど網羅しているのがピアノだ。これからは楽器のお稽古、ピアノのお稽古、言い換えれば芸術力がこれからの困難な時代を生き抜く力となってくれるに違いない。





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