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父について
忘れもしない2017年7月10日、大好きな父が他界した。癌だった。2年4ヶ月の闘病生活だった。色んな治療を試した。父はひたすら、自分は治るのだと信じていた。母は神頼みのように、高い水を買ったり水晶を買ったりしていた。もうそれしかなかった。最後は脊髄への転移だった。父は生きようとしていた。でも最後はもう、家に帰りたいと言った。父は最後の1週間ほど家にいた。犬は父に寄り添っていた、何か分かっていたのかもしれない。ぼくは現実が見れなかった。父も母も姉も、ぼくに父が末期癌であることを言わなかったからだ。父はなんか病気だけど治るんだ〜って。馬鹿なぼくは知らなかったし気づかなかった。馬鹿だったんだ。ぼくは馬鹿だった。
ぼくにバイオリンを習わせてくれたのは父だ。音楽を教えてくれたのも父だ。父の影響で沢山の音楽を聴いた。父が教えてくれることは全て好きだった。助手席に乗るのも、バイクの後ろに乗るのも、アニメを一緒に見るのも。そういえば銀魂を教えてくれたのも父だった。
父、と言う呼び方に慣れていないのでここからはパパにする。許してね。
高校の登下校、パパが送ってくれて迎えに来てくれてた。自慢だった。勉強で分からないところは全部教えてくれた。変な雑学にぼくが詳しいのも、パパの影響な気がする。あと目元もパパに似てるかも、あと顔が丸くて背が低いところも。
パパは会社をしていた。なんの会社かよくわかんないけど、なんか作ったりしてた。上手くいかない時もあったみたいだけど、別にそれでくよくよするタイプではなく、前向きな人だった。よく笑う人だった、お酒が弱いのに好きだった。いつも顔が真っ赤になって寝てた。パパの白髪を抜くのも好きだった。たまに痛いと怒られた。パパと海に行くのが好きだった。山も行った。旅行も連れていってくれた。出張に行くと、お土産を買った来てくれた。
大学受験で、ぼくはバイオリンを1度やめている。ツィゴイネルワイゼンという曲が弾きたいとずっと思っていて、最後の発表会で演奏した。
パパはバイオリンを弾いているぼくのことが好きだった。パパの入院が長くなって、もう一度弾こうと決意したぼくは近畿大学のオーケストラ部に入った。
6月だった。定期公演があって、車椅子でパパはママと見に来てくれた。きっともう、本当にもう、限界な時だったと思う。そのときのパパの心情をパパ本人から聞いたことはないが、本当に嬉しそうな顔をしていたと、のちに母から聞いた。
7月10日 パパは息することをやめた。舞鶴市、自分の家で。
パパが入りやすいようにとお風呂のリフォームをしていて、皮肉にもそれはちょうどお風呂が完成したときだった。
死んでしまう人を前にすると、死んでしまうことが分かるんだなって思った。ぼくは「死なんといて」って言ってしまった。なんか分かったから。ままにダメって背中を叩かれた。「あたし頑張るから、大丈夫頑張るから」ぼくが最後にぱぱに言えたのはそれだけだった。
お通夜 お葬式 火葬して 骨になって 当たり前のように事は進んで、ぼくは何も分からないし何も乗り越えられないし何も受け入れることができないまま1ヶ月ほど経った。
ぼくはパパの部屋で引き出しをなんとなく漁っていた。スケジュール帳を見つけた。
「○○(私の本名)がバイオリンをまた弾いている、嬉しい」
「○○が楽しそうに大学に行ってるのがいちばん嬉しい」
「今日はお見舞いに来てくれた」
「○○だけが心残りだ」
「この子を置いて死ねない」
そう書かれていた。ぼくは泣いた。ぼくの人生の1番の後悔は、パパに何も出来ていない事だ。パパにはしてもらってばっかりで何もあげられなくて、挙句パパはぼくのことを心配しながら死んだ。
恨んで欲しい、幽霊にでも化けて出てきて欲しい。もう一度話したい。パパが生きてたらぼくはこんな今を過ごしてないのかなとか、パパがいたらこの話ができるのにな、とか。このマンガが面白いよとかアニメは今期はこれがオススメとか。
ぼく、パパの子供に生まれたことが、1番の誇りだよ。また来世でも、パパの子供に生まれたいと思う。
寂しい話をしてごめんなさい。これを書きながらぼくは今泣いている。