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映画『サタデー・フィクション』      プロダクションノート           樋口裕子(翻訳家)

11/3(金)全国公開の映画『サタデー・フィクション』につきまして、翻訳家樋口裕子さんよりプロダクションノートを執筆していただきました。

 二〇一七年の十二月、中国のSNS上に「婁燁〔ロウ・イエ〕の新作『人間の条件』がコン・リー主演で間もなくクランクイン」という情報が出た。だが撮影に入ったのは、この『サタデー・フィクション』(原題:蘭心大劇院)だった。ただ、その情報の元をたどれば、フランスの作家アンドレ・マルローの名作『人間の条件』をロウ・イエ監督がその年の二月に、ベルリン国際映画祭の共同制作企画マーケットに出したことによるので、混同したのも無理はない。
 戦後フランスの文化相を務めたマルローは一九二〇年代にアジアにやって来て広東の革命を題材にした『征服者』を書いているが、『人間の条件』は一九二七年に起きた上海の労働者の武装蜂起から始まり、それを蒋介石が秘密結社の連中を使って破壊工作をさせ大量の死者を出したクーデター(四・一二事件)までの激動の上海を背景にした小説であり、ロウ・イエが企画したのはまさにこの小説の映画化だった。つまり虹影〔ホン・イン〕の小説『上海之死』(上海の死)を原作にして『サタデー・フィクション』を撮ることは、次に上海で撮る大作『人間の条件』の前哨戦という位置づけだったと言える。
 ところが準備を進める中で、ロウ・イエは『上海之死』が『人間の条件』と切り離した特別な映画になりそうだと大いに意欲が沸いてきたらしい。撮影前に上海で会った時、プロデューサー兼脚本の馬英力〔マー・インリー〕が、「『サタデー・フィクション』は『人間の条件』を撮るウォーミングアップのつもりで企画した」と言うと、そばにいたロウ・イエが「いや違うよ。特別な映画だ」と即座に否定していた。
 それにはいくつかの必然的な要素が考えられる。

 ロケーション――上海の街とモノクロ映像
 ロウ・イエが上海を撮るのは長編デビュー作『デッド・エンド 最後の恋人』に始まり、『ふたりの人魚』『パープル・バタフライ』に次いで『サタデー・フィクション』が四作目である。
 ロウ・イエは上海で生まれ育った。両親はともに著名な舞台俳優で、二人とも上海戯劇学院演劇科の教師でもあり、父親の婁際成〔ロウ・ジーチョン〕氏は八〇年代に上海青年話劇団の団長を務めてもいた。マーク・チャオが演じる演出家兼俳優のタン・ナーのように、「蘭心大戯院」(蘭心劇場)をこの劇団の本拠地にしていたから、父母が出入りする蘭心は監督にとって幼い頃から慣れ親しんだロケーションということだ。そして蘭心劇場のほかにも、上海には築九〇年ほどのクラシックホテルや当時の建築物が保存され残っている。建物には時代の傷や感情や匂いが染みついていると、ドキュメンタリー風に撮るのが好きな監督は、一九四一年の上海を作り物の映画村ではなく本物の場所で撮れる、とそれだけでワクワクしたのではないだろうか。そして、実在の建物を使うというロケーションの決断は、かねてから切望していたモノクロ映像へのチャレンジをこの作品でやってみようという考えと自然につながっていったようだ。またタイミングのよいことに、大規模改修工事に入る前の蘭心を撮影に借りることができ、キャセイ・ホテル(和平飯店)とアスター・ハウス・ホテル(元浦江飯店)も使用可能、メインスタッフとメインキャストの宿泊には、蘭心劇場の前にあるキャセイ・マンション(錦江飯店)も確保するという豪華かさだった。こうして、ロウ・イエは望みどおりの贅沢な撮影環境を上海で整えることができた。

 原作小説――『上海之死』と『上海』
 上海に租界ができて欧米人や日本人など様々な人間が、魔都、冒険者のパラダイスと呼ばれたこの大都会に流入してくる中で、国内外の諜報機関の謀略、秘密結社や抗日組織のテロ活動も多発していた。そうした一九三〇年代の混沌とした上海を舞台に、すでにロウ・イエは『パープル・バタフライ』(’03)を撮り、抗日活動家と日本の諜報組織の激しい戦いと恋人たちの愛と悲劇を描いている。
 一方、『上海之死』の独自性は、コン・リーが演じるスター女優が実は香港で訓練された凄腕のスパイで、催眠術で日本海軍の将校から世界大戦の流れを変えるかもしれない機密情報を盗みだすミッションを帯びているという設定にあった。また、ホテルが主な舞台であることも独特で、ユー・ジンは上海で定宿にしていたホテルに戻り、数日後にそこで命を落とす。実在のホテルを舞台にした「ホテル小説」(作者によれば、中国語で書かれた初のグランド・ホテル形式)だという点で、実に上海らしい物語だ。
 『サタデー・フィクション』のストーリーは初期の脚本では、ほぼ『上海之死』をなぞっていたが、脚本を練っていく中で、ロウ・イエはマー・インリーとともに、小説に大きな変更を加えていった。小説では、ユー・ジンは日本の憲兵隊に追われてホテルの窓から身を投げて絶命し、その葬列を蘭心劇場から出す場面に始まり、ユー・ジンが上海の船着き場に到着した日に時間が戻っていく。
 脚本では、特務を引き連れてホテルの捜索に来た古谷三郎とユー・ジンは室内で撃ち合いとなり、二人とも斃れるという結末になっていたが、コン・リーとオダギリジョーのキャスティングが決定した頃から脚本がさらに大きく変わっていき、現在のような形になった。原作には古谷三郎の妻・美代子は存在せず古谷は上海駐在の海軍将校で、ユー・ジンになかば色仕掛けの催眠術をかけられて簡単に機密を漏らしてしまうのだが、ロウ・イエは美代子を失った古谷の悲劇を設定してコン・リーとの催眠術シーンに説得力をもたせ、はかない愛の雰囲気さえ感じさせる。中島歩が演じる梶原もあとで書き加えられたのだが、徹底的に冷酷な特務工作員を演じてほしいと監督は最初の面談で述べていた。また、海軍が奇襲する場所を示す隠語も最初は「カブキ」であったが、これは日本の制作チームの要望で「ヤマザクラ」に変えることになった。インテリジェンスの専門家である日大の小谷教授に相談し、それらしいイメージの言葉に変えたのだった。催眠術も今回ロウ・イエが特別に興味を持っていて、どこからか催眠術の先生という人を探してきて、メインキャストが集合した会議の席で、マーク・チャオを実験台にして催眠術をかけてもらっていた。
 さて、もう一つの原作小説・横光利一の『上海』は、蘭心劇場で演じられる舞台の演目として使われている。もっとも、タイトルは『上海』ではなくて『礼拝六小説』となっている。「礼拝六」は土曜日のことなので、『礼拝六小説』はつまり「サタデー・フィクション」という意味だ。『礼拝六』とは映画の時代設定より十年以上前に発行されていた文芸雑誌の名で、週末の土曜日に気楽に読める才子佳人のラブロマンスなどが主で、この雑誌に拠った作家たちを「礼拝六派」と呼び、日本の新感覚派に影響を受けた中国新感覚派の作家も寄稿することがあった。少しややこしくなるが、演出家タン・ナーの友人で脚本家(実は南京政府側のスパイ)の莫之因〔モー・ジーイン〕が書いた劇作が『礼拝六小説』だという設定だが、このモー・ジーインは新感覚派の作家・穆時英〔ムー・シーイン〕を意識しているらしい。(一九四〇年に暗殺された)。いずれにせよ、横光の『上海』の内容を『礼拝六小説』というタイトルで劇中劇として登場させているのだ。
 一九三一年に満州事変が勃発して以降、翌年に第一次上海事変、三七年に盧溝橋事件、同年に第二次上海事変が勃発して日中は全面戦争に突入する。「孤島」となった租界を除いて上海も日本軍の支配下に入ったのだが、横光利一の『上海』が描くのは少し前の一九二五年五月三〇日に起きた五・三十事件を題材にしている。それは上海にある日本の紡績会社で日本人の監督者が女子工員を殴ったことに端を発してストライキが起こり、労働者のデモ隊の暴動となったため工部局(租界政府)の警察が発砲し、多数の死傷者を出した事件だった。
 浮遊するように上海にやって来たニヒリストの日本人・参木〔さんき〕は紡績工場に監視員の職を得て、そこで働いている美しい女子工員・芳秋蘭〔ほう・しゅうらん〕(実は中国共産党の闘士)を暴動の騒乱の中で助けたことから知り合い、美しく毅然とした彼女に強く惹かれていくが、二人はまた騒乱の中で離れていく……。蘭心劇場で演じられる場面(原作にはない)は、参木と秋蘭が労働者や様々な階層の人が集う造船所のドックにある酒場で話すシーンから始まっている。工場の労働争議を計画する秋蘭とそれを武力で排除しようとする組織の手先が登場する。「ここは危険よ。早く逃げて」「君に何があろうと待っている」というような秋蘭と参木のセリフは、横光の小説そのものではなく、緊迫した雰囲気と危うい恋情を映画の現実に沿って脚色したもので、タン・ナーとユー・ジン、参木と秋蘭という二組のカップルのセリフが映画の現実と劇の虚構をシームレスに行ったり来たりするので、観客はかなり混乱させられるだろう(字幕の“ ”内は劇中のセリフを意味するが、どちらなのか不明な場合もある)。冒頭の舞台稽古は、上海に着いたユー・ジンがバイ・ユンシャンにしつこく食い下がられて蘭心に連れていった日の舞台稽古であり、時間が戻っている。また、男が階段でユー・ジンに刺される場面、それは記憶なのか幻想なのか、とにかく現実の時間軸からずれたカットを入れることで、監督は観客に何かを告げようとしているように見える。その企みに身を委ねればいいのだ。
 ロウ・イエはなぜ、横光利一の『上海』を劇中劇にはめ込んだのだろうか。
 『上海』が単行本になった時に横光はこう書いている。「この作の風景の中に出て来る事件は、近代の東洋史のうちでヨーロッパと東洋の最初の新しい戦いである五三十事件であるが、外国関係を中心としたこののっぴきならぬ大渦を深く描くということは、描くこと自体の困難の他に、発表するそのことが困難である。(中略)私はこの作を書こうとした動機は優れた芸術品を書きたいと思ったというよりも、むしろ自分の住む惨めな東洋を一度知ってみたいと思う」気持ちからだったというのだ。
 時代の渦に吞み込まれてなすすべもなく悲劇の淵に堕ちていく、そういう人間を見つめて撮ってきたロウ・イエにすれば、横光利一と想いは重なるような気がする。マルローの『人間の条件』を今撮れないのであれば、劇中劇の形でも『上海』は入れておきたい、そう考えたのではないだろうか。
                    
補遺
 『南京路〔ナンキン・ロード〕に花吹雪』について
 漫画家・森川久美が一九八二年からコミック誌に連載した作品。昭和初期、魔都・上海に繰り広げられるアクション・ロマン。ロウ・イエに白泉社文庫三巻にまとまっているこの作品を日本の制作チームが送ったところ、上海の街と人間の憂い、容赦ないアクションが大変参考になったと喜ばれた。そして、脚本の冒頭に森川久美の作中の言葉が引用され、作者への謝辞があった。
 ――上海は半分ぐらい取り壊された舞台と同じで、過去の事情を知らない人々がここで楽しく生きている。だが、いつかはこの芝居の舞台もついには消えてしまうだろう。――森川久美

『サタデー・フィクション』上海の主なロケ地など

1 キャセイ・ホテル(華懋飯店)

 一九二九年竣工、サッスーン・ハウス(当時の上海の不動産王サッスーン財閥の本拠地)。現和平飯店(ピース・ホテル)、三角屋根が特徴的なオールド・シャンハイを代表するホテル。八〇年代には1階バーの往年のジャズバンドが有名だった。映画でユー・ジンが宿泊するのはこのホテル。仁記路側の入り口とロビーを使ってロケが行われた。ニイ・ザーレンが射殺され、古谷が負傷する緊迫のシーンはこの入り口の外。

 2 パーク・ホテル(国際飯店)

 一九三三竣工、地上二二階、地下二階で、一九六〇年代まで極東随一の高さを誇った。小説『上海之死』はこのホテルが舞台。ユー・ジンはここに宿泊し、最期を遂げる。
 一九四〇年、女優・李香蘭(山口淑子)はこのホテルのコーヒーラウンジで、恋人と噂されていた台湾出身の映画人で新感覚派の作家でもある劉吶鴎を待っていた。だが、ちょうどその頃、劉は李香蘭に会うために別の場所のレストランを出たところで射殺された。

3 アスター・ハウス・ホテル(礼査飯店)

 イギリス人リチャード・アスターが創業した上海初の西洋風ホテル。アインシュタインやチャプリンも投宿した。「孤島」時代には、日中和平工作の諜報機関も置かれている。八〇年代はバックパッカーに人気の宿・浦江飯店だった。現在はホテルを廃業し、中国証券博物館に。廊下で囲まれた特徴的なパティオがあり、映画やテレビのロケによく使われる。『サタデー・フィクション』で古谷三郎が宿泊する部屋と廊下はここで撮影された。

4 蘭心大戯院(三代目)

 イギリス人が創業した西洋式劇場。初代と二代目は別の場所にあったが、一九三一年、現在地に再建された。上海の話劇の殿堂であり、古典劇、コンサートなど幅広い芸術の舞台となった。『サタデー・フィクション』の「蘭心劇場」は実際にこの劇場を使って撮影されている。その後大規模改修のため休業していたが、二〇二二年九月にリニューアル・オープン。撮影終盤頃、監督は「シーン0」を思いつき、全キャスト、スタッフが四方の道を自由に歩いてきて挨拶を交わしながら劇場に入っていくドキュメンタリー風の映像を撮り、改修前の蘭心の外側も記録した。

5 キャセイ・マンション(華懋公寓)

 錦江飯店北楼。八〇年代半ばまでは上海を代表する最高級ホテルとして、各国の首脳級が宿泊。日中国交回復にあたって訪中した田中角栄首相も錦江飯店の中楼に宿泊した。監督、プロデューサーはじめ、『サタデー・フィクション』のメインスタッフとキャストが宿泊した。

6 「七十六号」特工総部。

 現静安職業学校。当時、ジェスフィールド路七六号の地番だったので、「七十六号」と呼ばれる。南京側政府の秘密警察として、日本の特務機関の支援を受けて一九三九年に創設。いったん連行されれば生きて出る者はないと恐れられ、ユー・ジンの前夫ニイ・ザーレンはここに監禁されていた。
重慶側の美人スパイ鄭蘋茹〔テン・ピンルー〕が七十六号の幹部・丁黙邨〔ディン・モーツン〕に接近して愛人となり、暗殺しようとした事件をモデルに、張愛玲〔チャン・アイリン〕が小説『色、戒』を書き、アン・リーが『ラスト、コーション』で映画化している。

7 上海自然科学研究所

 一九三一年に竣工、フランス租界西南端に位置する。日中の科学者が共同研究をする目的で創設された自然科学の研究機関。現在は複数の自然科学系の研究所に。本館は東京帝国大学図書館そっくりの大学ゴシック様式で、緑豊かで広大な敷地を持つ。『サタデー・フィクション』のクランクインのセレモニーはこの前庭で行われ、東京から上海に来た古谷が梶原のエスコートで訪れる海軍の諜報機関がここにあるという設定で、その日に廊下と階段、中庭のシーンが撮影された。


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