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『天安門、恋人たち』と2024年に出会い直すこと/宇野維正(映画ジャーナリスト)

5/31(金)公開。映画『天安門、恋人たち』について、映画ジャーナリスト 宇野維正様より寄稿をいただきました。

『天安門、恋人たち』と2024年に出会い直すこと
 
 2024年に『天安門、恋人たち』を日本で観ること、あるいは観直すことから、一体どのような意味が立ち上がってくるのか? そのようなテーマを設定して本稿に取り掛かろうとした途端、あらゆる角度から光が乱反射して、その光線の一つ一つを追っているうちに目眩のような感覚に陥らずにはいられない。改めて、ロウ・イエが自国で公開されることは当面ないであろう(その状況は18年経った現在も変わらない)ことを覚悟した上で、2006年(日本初公開は2008年)に映画史の海原に解き放ったこの作品の持つ耐久性に感嘆するしかないが、それは「優れたアーティストならではの先見性」というのとは少し違う話かもしれない。

 『天安門、恋人たち』が描いているのは1987年から2001年までの14年間。学生側の視点から1989年の六四天安門事件の様子がスクリーンに映し出されるのは作品のちょうど中盤で、それを挟むかたちで前半ではそれまでの2年間が、後半ではそれからの12年間が描かれる。作品のエピローグでは2003年の出来事まで記されているので、ロウ・イエがこの作品を撮った時点ではほぼ「現在」までをクロノジカルに追った作品になっているわけだが、そこから18年が経過した現在、中国、そして世界は大きく変わった。

 ある意味、その18年で最も変わらなかった国は日本とも言えるのかもしれないが、そうだとしても、それ以外の国や地域の政治体制や社会環境や経済力が大きく変わったことで、相対的な日本のポジションも変わった。例えば、2008年に『天安門、恋人たち』を観た時、日本に住む観客の中には、劇中の1980年代後半の中国の若者たちに、そこからさらに20年ほど遡った全共闘時代の若者たちを重ねる人も少なくなかった。ロウ・イエがリアルに描いた1980年代後半の北京の学生たちを取り巻くカルチャーや流行歌に代表される風俗が、我々が遠い昔に通り過ぎていったような「どこか懐かしく」て「野暮ったい」ものに映っていたことも、そうした気分を助長させた。しかし、そこから現在までの日本のカルチャーと中国のカルチャーそれぞれの変化のスピードに、中国が現在進行形でも規制や検問の問題を抱えていることをふまえても、圧倒的な差があることは誰もが認めざるを得ないだろう。GDP(1989年は日本2位で中国8位、2023年は日本4位で中国2位)の逆転について触れるまでもなく、もはやいかなる側面においても日本は中国の「先」にいる国ではなくなった。

 自分は1970年代生まれで、つまり『天安門、恋人たち』の登場人物たちとちょうど同世代としてこの半世紀余りを生きてきたことになるが、現在から振り返っても間違いなく「1989年」はこの半世紀において世界的に「最も重要な年」だった。しかし、1991年のソビエト連邦崩壊へとダイレクトに繋がることとなった1989年11月に起きたベルリンの壁崩壊や、悲劇的な帰結に到ったもののその大きな予兆の一つでもあった6月の六四天安門事件に象徴される「1989年」が持つ世界史的な意味合いも、ヨーロッパ各国における移民問題や経済格差の深刻化とそれが国内の政治体制に及ぼしつつある影響や、超のつく中央集権国家であるが故に成し遂げられた中国の急激な経済成長によって、35年後の現在においては大きく変わってきていると言わざるを得ない。

 2019年から2020年にかけての香港民主化デモの顛末も証明してしまったように、六四天安門事件の中国政府側の視点からの「成果」はもはや不安定なものではなく、第二次世界大戦後にアメリカを中心とする欧米社会が絶対的な正義として掲げてきた民主主義は、BRICSの時代、あるいはグローバルサウスの時代において、少なくともかつてのように経済発展と切り離せないものではなくなった。むしろ、世界の覇権争いにおいては、中国よりもアメリカの方が政治的に孤立する局面さえ目立つようになっている。
 
 そういう意味では、『天安門、恋人たち』で色濃く描かれた中国の特定の世代が抱える無力感は、ロウ・イエが意図していた以上に予言的であったとも言えるし、表現の自由を追い求めてきた映画作家の一人としては悪夢的な未来を迎えてしまったとも言えるだろう。もっとも、『天安門、恋人たち』の軸足は、そのような政治的な背景ではなく、どんなに時代や社会の変化に翻弄されても決して変わることがない個としての人間の性、そしてそれが宿命的にもたらす孤独にあった。そして、それは我々が通り過ぎていった過去というよりも、むしろ未来を暗示しているのではないか。六四天安門事件から35年、作品の完成から18年の年月を経て、世界的に「1989年」以来と言っても決して大げさではないこの激動の時代に、初めて日本の観客は「他人事」としてではなく「自分事」として、この作品と出会い直すことができるのかもしれない。


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