映画『サタデー・フィクション』 ロウ・イエと『サタデー・フィクション』 劉文兵(大阪大学人文学研究科 准教授)
11/3(金)全国公開の映画『サタデー・フィクション』につきまして、映画研究者劉文兵先生より寄稿をいただきました。
ロウ・イエと『サタデー・フィクション』
映画監督のキャリアを人生に例えるならば、ロウ・イエは思春期がきわめて長い監督だ。デビュー以来の30年間において、とりわけ若者の心情を、過激な暴力と性描写をもって表現しつづけ、『天安門、恋人たち』(06)、『スプリング・フィーバー』(09)など、映画史に残る数多くの名作を世に送った。
一方で、その激しい表現は、一部の作品においてうまく着地することができず、観るものに居心地悪さを抱かせることも否めない(そもそも彼を取り巻く製作環境の厳しさによるところは大きかったが)。それはまた「青春」の未熟さ、不完全さとして、一作ごとに新たな映像表現の可能性を探る監督の意気込みとともに、私たちは好意的に受け止め、次作への期待にもつながった。
『サタデー・フィクション』はどうだろう。降り注ぐ雨の中を動き回る登場人物を手持ちキャメラで追い続け、長廻しで撮られたそのモノクロ映像はロウ・イエの作家性を担保する一方で、映画の舞台となる太平洋戦争前夜の国際都市上海、原作の一つである横光利一の小説『上海』、軍事的占領下の演劇活動に携わるマドンナとその夫、恋人といった、トリュフォーの『終電車』(1980)を想起させる要素は、ロウ・イエの映像表現が作品として着地することを可能にした。
当時の上海は蒋介石が率いる重慶国民党政府や、日本の傀儡政権である南京政府、アメリカ、日本など、様々な政治的勢力が上海共同租界を舞台にスパイ合戦を繰り広げていたが、それを題材とした映画が数多く存在する。
ロウ・イエ自身もチャン・ツィイーと仲村トオルを軸に据えたスパイ映画『パーブル・バタフライ』」(03)を撮っており、濃厚なセックスシーンや、ブルーの画調、抒情的なBGM、人間同士の親密さと結びつく、ペタペタした湿っぽさが印象的だった。また、同作品のなかには、路面電車、チャイナドレス、電話交換手といったオールドシャンハイを想起させる記号や、日本軍の侵攻を記録したストックショット、中国でのナショナリズムの高揚を表したデモ隊の群衆シーンなどがふんだんに取り入れられている。
いっぽう、『サタデー・フィクション』は色彩やBGMを排し、時代風俗や背景についての説明的なシーンをあえてオフスペースに回した。上海のシンボルともいえるバンド(外灘(わいたん))は一瞬顔を出しているが、ホテルの部屋にいるヒロインの視点からなめる、数秒間の俯瞰ショットだった。また、キスシーンや、スキンシップがあったとはいえ、体の露出もなく、冷徹なまでの距離感が保たれている。
魔都と呼ばれる上海は映画の都だ。近年、映画のなかの上海は南京路のオープンセットや、きらびやかなチャイナドレスによって著しく記号化されてきた。それにたいして、ロウ・イエが『サタデー・フィクション』をつうじて構築した開放的な映画的空間は、生々しい手触りとその質感とともに、斬新な「上海」を生みだしている。ちなみに、コン・リーが扮した有名女優役のヒロインがチャイナドレス姿で登場する場面は一つもない。
コン・リーは、チャン・イーモウ監督の初期の作品において、『サタデー・フィクション』のヒロインとほぼ同時代(20世紀前半)の中国人女性を演じつづけていた。『紅いコーリャン』(1987)、『菊豆』(1990)や『紅夢』(1991)がそれにあたる。つまり、伝統のしきたりに束縛され、押しつぶされそうになる前近代的な役柄が多かったが、『サタデー・フィクション』の中では華麗な拳銃さばきを見せながら、主体的に活躍するコン・リーの姿は、私たちを興奮させずにおかない。
コン・リーにまつわるこの相反する二つのイメージは、じつは表裏一体となって『サタデー・フィクション』のなかで共存している。その前者のイメージは、ヒロインが劇中劇のなかで演じる上海の紡績工場の女工・芳秋蘭によって体現されているのだ。日本に搾取される中国の労働者たちを組織してストライキを起こそうとする中国共産党の活動家である彼女は、横光利一の小説『上海』に登場する中国人女性を引き写している。
この映画の全編をつうじてのコン・リーの姿は、カジュアルな扮装や、無造作な髪型、やつれた表情のいずれも、スーパースターという役柄の設定よりも、劇中劇の芳秋蘭のイメージそのものだ。
国際映画祭のレッドカーペットでの華やかな立ち居振る舞いや、意思の強い鋭い眼光を特徴づける近年の出演作と一線を画し、『サタデー・フィクション』のコン・リーは、ナチュラルで深みのある演技を見せている。
そして、ヒロイン像の重層性はそのまま上海のイメージの構築にも寄与し、当時の上海にまつわる国内外の複雑な歴史の位相を鮮やかに浮かび上がらせている。