人が髪の毛を染める理由

こんにちウーです。私は今自立支援のグループワークを受けています。このグループワークの内容は遊びみたいなもので、側から見たら馬鹿らしいものなのだが、そもそも学校や企業という組織も馬鹿らしいものなのだから、特に変わりはないと思う。問題は時間の流れが遅いことだ。彼等はあまりに互いを尊重し過ぎるがあまりに、何かを決定することに欠けており、主張自体を押し通す事をしないのだ。それは優しさでもあり、甘えとも言えるけれど、ここはいわばひぐらしの鳴く頃のにの雛見沢のように社会で傷を追った人達が避難した小さな村みたいなもので、そこは尊重しなくてはならないのです。しかし、社会の過剰なスピードに合わせて利益を上げるには、お互いの意見や意思を尊重していては、呑まれて共倒れするだけだし、そういう意味ではパワハラは永遠に無くなることはないと思う。
ここであえて、社会人と非社会人、健常者と非健常者をあえて分けるとするなら、職員は前者で後者は私達な訳ですが、その二つの境界にあるものは何なんだろうと、考えてました。彼等には大抵家庭があって、多分私達には無いとか、そういう事は社会的な地位の結果としてあるだけかもしれない。私が一番の直感で感じたのは、彼等は髪の毛を染めていた事だ。私達が移動する時に、オーラが明らかに暗かった。職員が髪の毛を染めていたのは、健常者と非健常者、正常と狂気が、簡単に入れ替わることへの恐怖と対策なのではないかと思いました。私が社会復帰にすることは、多分髪の毛を染める程度の事で、あっさり変わってしまうんじゃないでしょうか。

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