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采配紛失!関ヶ原の戦いでどうする家康ー不吉な兆し

序章: 不吉な兆し

慶長五年(1600年)。日本列島を二分する戦乱が頂点を迎えようとしていた。

関ヶ原の地には、朝靄が漂い、霧が戦場を包み込むように広がっていた。東軍、西軍、それぞれの旗が風に翻る中、徳川家康は己の軍勢を前に立ち、静かに戦場の空気を味わっていた。これまで幾多の戦いを乗り越えてきた彼の眼差しには、一分の隙も見られなかった。

家康はふと、自らの右手を見た。いつもであれば、そこには采配が握られているはずだった。しかし、その掌は空を切っていた。

『采配が…ない……』
家康は眉をひそめ、心の奥底に不吉な予感が広がっていくのを感じた。

采配(さいはい)は単なる指揮具ではない。戦場における指揮官の象徴であり、己の運命をも象徴する存在である。

その采配が今、どこにも見当たらない。

「どうする……このままでは……」
家康の胸中に、かつての戦場での記憶が鮮やかに蘇る。

三方ヶ原の敗走──あの屈辱を味わった日も、彼の手には采配があった。
長篠の戦いでの大勝利、そして本能寺の変での激動の日々──いずれの時も、采配は彼と共にあり、彼を支え続けてきた。

だが、今その采配が忽然と姿を消した。

家康は冷静であろうと努めた。だが、その内心で渦巻く不安は、いつしか焦燥へと変わっていた。戦場の指揮官として、どんな時も揺るぎない姿勢を示すことが重要だ。

しかし、采配が失われたことは、まさに運命を揺るがす不吉の兆しだった。

家康のそばに控えていた本多正信は、その異変にすぐさま気づいた。
「殿、どうされたのか……」

正信は長年にわたって家康に仕え、彼の心の動きを誰よりも理解していた。家康が何を考え、何を恐れているのかを見抜くことができる数少ない人物である。正信は家康の手が空であることを確認すると、鋭い感覚で事態の重大さを察知した。

「采配が無いとは!……このままでは士気に影響が出る。いや、それ以上に、家康公ご自身が動揺されることが問題だ。」

正信は瞬時に心を決めた。新たな采配を手配しなければならない。しかし、戦場においてそれがどれほど難しいことか、正信には十分理解していた。彼はわずかに顔をしかめ、考えを巡らせた。

「……このままでは、家康公の威厳が失われるかもしれない……」

思い出されるのは、美濃の里、御手洗の地に住む紙漉き職人の話であった。美濃の紙は質の高さで知られ、取り分けその一族の漉く紙は天下逸品と称されていた。

家康公の采配にふさわしい紙をととのえることができるとすれば、その職人しかいない!

「急ぎ、美濃へ使者を送れ!」

正信は家臣たちに向けて命じた。戦場から美濃の地まで、急いで駆けるべきだと。今こそ、その紙漉き職人の技が必要とされている。

家康はまだ、采配が失われたことによる動揺を表に出していなかったが、内心では焦りが募っていた。戦場が刻一刻と動き出す中で、彼の心は次第に重くなっていく。

采配は、家康の戦場での勝利を約束するものであり、彼の手に戻るその瞬間を待ち望んでいた。

戦場は静寂に包まれているが、その背後では新たな物語が動き始めようとしていた。家康の手元に再び采配が戻るその時が、関ヶ原の戦局を決する瞬間となるかもしれない。そして、

この運命の一端を握るのは、誰もが知らぬ、美濃の地に生きる紙漉き職人だった。

つづく


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