#はじめてのインターネット

もう26年も前になるのか…

あの頃使っていたパソコンはコンパック社製の486DX搭載のパソコンだった。Windows95発売にあわせるように準備を進めて5MBメモリーに50,000円払って増強したり拡張スロットにSoundBluster社製のモデムたしか20,000円ぐらいしたっけ。なけなしのポケットマネーを全部つぎ込んだ20代前半の秋だった。

すでにそのパソコンもIBMのDr.大崎が提唱したDOS/Vで鳴り物入りで登場した多言語対応マシンにOSをWindows3.1を載せて、その上でJustsystemのスイートみたいなアプリを突っ込んでプリンターは横河ヒューレット・パッカード社製で12インチのバカでかいブラウン管モニターでガリガリ使っていたっけ。朝日パソコンという雑誌もあって、みんな「アサパソ」と呼び愛読していた。これが日本のIT黎明期を支えたんだね。そうそう今じゃレトロ感満載だけど、その頃「ワイアード」が創刊されてアメリカ発ぶっ飛んでとんがったインターネット文化を打ち込まれていたっけ。それを読みながら、いつ日本でもインターネットが使えるようになるんだと今か今かと待っていたんだ。

そしてWindows95のリリース!それにあわせてインターネット接続もサポートとなりゃ繋がなわい訳にはいかないでしょうよ僕は!

で着々と準備を進め、大阪恵美須町のソフマップに買いに走ったんですよ。すっ飛んで脇目も振らずまっすぐ帰りましたよ。そして寝食忘れてOSのインストールです。そして新しいデバイス「モデム」をすったもんだしながら認識させて、プロバイダーは「msn」マイクロソフト社がそれに合わせて立ち上げたアクセスポイントにつないで…

ピーコンピーコン、ゴー、ガー、ピ~、プツン(無音)

画面を見ると「接続中」

これで繋がったのかな?えっとインターネットブラウザーってのがあるんだよな。それはこれこれネットスケープナビゲーターちゅうやつや。ワイアードで習ったしアサパソにも書いてあった。

そしてもう誰も見たことのないもはや都市伝説のあのインターネットプロバイダー「MSN」のロゴが青色下線付文字の羅列に彩られながらじんわり表示されて行きました。

いやびっくりです!革命ですよ!だって国際電話とかFAXがとんでもない高額な時代に、こう接続しておけば一瞬で世界の裏側にメッセージを送ったり届いたりするんですから。(2000年入ってしばらくまで電子メールの迷子や紛失はよくありましたけどね。今も稀にはあるんだよ。)

これで思いました。当時は手話ボランティアはじめて2年目だったけど、これが常時接続になってカメラがついて、パソコンの処理速度も上がって、無線通信も発達すれば、携帯電話にパソコンやそれらすべてが搭載されて、そうなったらもはや電話機能はほんの一部になって、もはや電話しなくなって、相手の顔を見ながら手話でお話できるようになる。

そうなるとテレビの役割はなくなって、新聞の役割がなくなって、21世紀になってしばらくすると電話会社がなくなり新聞がなくなりテレビが無くなって全部インターネットベースのやりとりになって、そうなったらインターネットという言葉も「ネット」に訳されて、「テレビを観る」は死後になって「ネット見る」になるなと。

だからネットの会社が大きくなってテレビの会社と一緒になるべきだし、その電波に乗せてインターネットアクセスと連携して番組作ることになるはずだから楽しいし、そうしましょう!

そんな論文を書きました。それを神戸のパイナップルカンパニーってかいしゃがめちゃくちゃ面白そうだったので、論文を送ったのが1998年末。圓尾社長の目にとまって即採用!それからしばらくしてその会社の看板社員になりました。受付のスーパー美人の藤井さんを思い出した。そのへんのエセ美人秘書とは格が違う。そうそう丸山さんっもいたっけ。

(え?澤田さん?いたいた^^; あなたは絶対忘れないよ。佐久間さんも思い出したぞ。それからキャミーの彼女は誰だったかな)

そしてこの会社を2001年にホリエモン率いるオン・ザ・エッジが最初の株式等価交換として買収し、その後、ライブドアも同じように吸収してライブドア社になりました。

そしてLINEを買収しそれが今のLINEをより面白くするコアになりました。そのあたりは谷口くんに聞いてね。

これをきに神戸ファッションマートはインキュベーションにより力をいれるようになったんだよね?パイナップルの株をわたしておいたもんね。

初めてがいっぱいあるから他にも今なら言える色々書こうかな。

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