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ソニーを早期退職してよかったと思える日が来るとは…


事業部解散。携わってきた事業が役目を終えるということだった。それでも、膨大なハードウエアの生産は続けていた。市場予測から、近いうちに市場が縮小するであろうとの判断からだった。
諦めの気持ちがあったが、何かやり残した感じもあった。

退職してから、元ソニーの広報メンバーと会う機会があった。
「ソニー製品使っていないんだ」、
「愛社精神がない」と言われた。
早速、スマホをXperiaに変えた。もう何年も前のことだ。
特に、会社を怨んでいる訳ではなかった。ただ何となくという気分からだけだった。

移籍組だった。元は競合会社にいて、事業合併に合わせて移籍した。移籍直後は高揚感があった。
1+1=2
よりスケールのある事業に期待もあったが、少しすると1+1は2にならないことがはっきりしてきた。そうなると、軋轢とは言わないでも、社風、文化の違いを感じるようになった。仕事の進め方の違いや非協力的な態度が気になるようになってくる。

何か非効率さを感じながらも、うまく立ち回り、それなりの結果は残してきた。蹴落とされては這い上がり、結果を出すことで、認めてはもらった。
仲間がひとり、またひとりと消えていく中で、新たな環境にそれなりに適合はしていたのかもしれない。ただ元の会社のように思うような結果を出せずにいると感じ続けた。焦燥感をいつも抱き続け、「焦るな、急がば回れ」と自分を諭していた。

事業が終わりを迎えた。事業環境の変化のせいにすることもできたし、事業経営の問題といえることもできた。でも、そんな気持ちはあまり起きなかった。それより大したことができなかったとの思いのほうが強かったかもしれない。

職場の仲間と会社を起こした。テスラに刺激されたという気がないが、「サスティナビリティ」をビジョンの中核においた。抱えていたモヤモヤを発散させ、やりきたいと思いがあった。
その思いが強過ぎたのかもしれない。仲間との間ですれ違うことが多くなった。それがどこかで焦りに変わり、空回りを始めた。精神的にかなり病んだ。もう限界だった。会社を止めることにした。

そんなときであっても、不思議に自分がいた会社のことは気になっていた。
早期退職したときにちょうど社長が変わった。どんな人物かを知ることはなかった。テレビ事業が復活し、ソニー復活との報道も増えたがどこかで疑心暗鬼に見ていた。ニュース報道を見ては変わりつつあるのかと思いつつも、まだ素直にソニーが変わったとは確信できていなかった。

今年のCESでEVを発表した。驚きだった。何が起きたのだろうと思って調べはじめた。バイオ系の新素材を開発して、アパレルとの関わりもでき始めていることを知った。ソニーは変わったんだと確信して、ブログを書いた。

ありがたかった。自分で会社を起こしても、まだ不完全燃焼なまま、やり残したことだらけだという未練を残していた。「なぜソニーは変わったのか」、「なぜ、それまで出来なかったEVや新素材の開発ができるようになったのか」、それを調べることで「気づき」があった。

今までであれば、こうした開発は潰されていた。
それを目の当たりにしてきた。
「自分もそれに加担してきたのではないか」との思いが襲ってきた。
「協力するふりをしていただけだったのではないか」と…
「共感」「共創」と口では言いながら、嫌っていた「協力しない」との姿勢を自分自身も身につけていることに気づいた。うまくいくはずがない。

今、うまく言葉で表現できないが、今までに学んできたことが、頭の中で、音を発ててシナプス結合し始めている。そのことを、noteの中で書いていきたいと強く思っている。

ありがたいと正直そう思った。なぜだかよくわからないが、早期退職してよかったと素直にそう思えた。

ソニーは、パーパス、「存在意義」を明らかにする会社に変わっていた。

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アップサイクル・サーキュラ@shigehiko saito
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