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「私の経歴書」長い自己紹介

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挫折や試練の連続だったと思う会社生活。 人はこんな時に挫折して、それをどうしてを乗り越えていくのだろうか。 振り返ってみれば、人との出会いで救われることがあるのかもしれない。 そ…
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2020年4月の記事一覧

「私の経歴書 13」強要もせずに、でき上った多様性あるチームの強さを感じるとき

「私の経歴書 13」強要もせずに、でき上った多様性あるチームの強さを感じるとき

シンガポールに異動してから、マレーシアの工場にひと月に一度定期的に訪問するようになった。シンガポールの購買部門の日本人Managerがはじめたことが、それに同行するようになった。はじめはシンガポールに駐在する日本人2名で工場を訪問、工場側の日本人との情報交換を行っていたが、回を重ねるごとに、現地スタッフも参加するようになり、重要な定例ミーティングになった。

マレーシアの駐在員事務所も人数が増えて

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「私の経歴書 12」現地スタッフの情熱に刺激されていたという気づき

「私の経歴書 12」現地スタッフの情熱に刺激されていたという気づき

事業環境の変化によって、仕事内容は変わる。入社以来仕事内容もいくぶん変わったが、気づけば、それ以上にオフィスの場所が変わっている。川崎の工場から始まり、これまでに6回もオフィスの場所が変わっていた。シンガポールに来ても、その例外ではないらしい。
1年も経たないうちにオフィスの場所が変わることになった。サンテック国際会議展示場にあったオフィスが商業地オーチャード通りのニーアンシティに変わることになっ

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「私の経歴書 11」出会いが感情を鼓舞するとき

「私の経歴書 11」出会いが感情を鼓舞するとき

課長試験は何とか通ったが、その試験のさなかにも、気にかけていなければならない仕事がいくつかあった。そのひとつが、中国での新機種生産だった。
中国深圳では、もう、その新機種の生産が始まっていた。新機種に使われる部品の一部を香港経由でマレーシアのオフィスが手配、マレーシア、シンガポールで集め発送していた。マレーシアの生産を続けながら、追加になった仕事だ。
中国で部品生産ができるようになれば、少しはマレ

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「私の経歴書 10」緊張し過ぎたプレゼン、だめだと思って学べることもある

「私の経歴書 10」緊張し過ぎたプレゼン、だめだと思って学べることもある

シンガポールに異動してよかったと思えることがある。今まで全く関係のなかった上長が課長試験のことを気にかけてくれた。何か相談したり、報告することもなかったのだが、その上長の方から、課長試験に向けて日本で開催される研修に積極的に参加したほうが良いとか、日本に行く場合は遠慮なくビジネスクラスを使っていくように声をかけてくれた。気持ちが落ちつかず、そうした声掛けをその時は聞き流していた。
それでも無意識下

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「私の経歴書 9」始まった課長試験と現地スタッフとの二人三脚。チームでの仕事

「私の経歴書 9」始まった課長試験と現地スタッフとの二人三脚。チームでの仕事

新規に採用することになったスタッフと雇用契約を結ぶことになった。その中の「Job Description」で、仕事内容を明確にして契約の一部となる。面接に協力してくれた現地スタッフに相談すると、一文加えたほうが良いという。列挙した仕事内容の他にも上長から言われたことに従い仕事するような内容を追加した。
その後もスタッフを増やしていくことになるが、新規に採用する人たちは必ずこの一文について質問してく

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「私の経歴書 8」近づく課長試験、採用面接、忍びよる中国の影

「私の経歴書 8」近づく課長試験、採用面接、忍びよる中国の影

勤めていた電機会社はフランスの大手電機メーカとアライアンスを結んでいた。その関係もあって、新機種をその会社の中国深圳工場で生産することになった。理由は特許回避があったようだ。立上げ当初は部品の一部をマレーシアから送ることになった。輸送費もかさむことより、ゆくゆくは中国現地で調達するとの方針であった。日本から託された宿題、「安定的な部品供給体制」にはどうやらそのことも含まれているようだった。

シン

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