雪を想う
(この文章は2016年に書いたものです)
一昨日、大雪が降りました!
数日前の春の様な陽気がウソだったように朝眼を覚ましたら一面の銀世界。
私はそれを見て小躍り!
「長靴用意して新雪にサクサク足跡つけながら出かけるぞ~♪」と朝からときめいてました。
一方で、雪にめっぽう弱い首都圏…
その日は交通機関が完全麻痺状態…
朝の地下鉄は他の運転見合わせの路線から乗り換えてきた人やらダイヤの乱れやらで大混雑…
でも、毎度毎度思うのですが、日本人はエライ!雪だろーが嵐だろーが地震の翌日だろーが、頑張って早起きしてでも出勤するものね。
自分も含め!(笑)
結局、雪はすぐ雨に変わり…
雪溶け翌朝の残雪による路面の凍結の方が、結構厄介なんですよね~。
朝の通勤通学時の老若男女たちが、足もとを気にかけながらソロ~リソロ~リ、うっかりスッテーンといかないように恐る恐る歩幅を縮めて歩く姿がなんとも可笑しい光景で。
そうそう、付け入る隙のない程全身カッコよくきめたビジネスマン風の男性が、ヒヤッとしながら歩幅を縮めヨチヨチ歩きする姿がなんともカッコ悪くって!
その急変ぶりが可笑しく、思わず和んじゃいました(^ ^)
普段みられない完璧が崩れさる瞬間(笑)
そういう時、一瞬のカッコ悪さの中に素の姿を垣間見れて、何故だかぐっとその人に近づけた様で嬉しくなっちゃいます(笑)
そんな姿があちらこちらで露呈してしまう雪の日。
だから、私は雪の日はやたらニヤニヤしながら歩いてます( ̄▽ ̄)
首都圏の降雪は非常事みたいなものだからでしょうけど、雪って普段は見えないものをその真っ白さで浮き上がらせるみたいにハッキリみせてくれるようなマジカルな作用があるのかもしれませんね~。
私は小さい頃、北海道に住んでいたので雪には多少は慣れていますが、都心と北海道では雪の質が全く違います。
都心の水分量が多いベチャ雪とは違って北海道はサラサラしてます。降雪が突発的ってわけでもないし、数ヶ月間降り積もった雪が溶けず、雪の中の日々が続きますし。だから、寒さ対策としての家の構造も、服装も、生活様式も全然違いました。
思えば生まれて以降、私が「雪」をハッキリ認識した瞬間は、8歳の時だったかもしれません。
小2の春休み。
父と次女の姉と私とマルチーズのチャッピー、3人と一匹でトラックで引っ越しをした時のこと。
夜明け前、飛行機で別々に移動する母と長女の姉が見送る中、父が運転するトラックの助手席に乗り込んで、住み慣れた団地を後に北海道に向けて出発しました。
トラックはフェリーに乗るため八戸に向けて東北道をまっしぐら、丸一日かけて走り続けて、真夜中に八戸到着。
大揺れのカーフェリーの船中で一晩すごし、ウトウト眠りにおちている間に海を越え、北海道に渡っていました。ようやく苫小牧に辿り着いてフェリーを降りると、朝一の北海道は一面に広がる銀世界。
その時の驚きと感動は未だに忘れられません!
こんなに雪深い世界は生まれて初めてでしたから。朝日に照らされたモコモコの真っ白な雪がキラキラキラキラ光っていて、眩しくって、外は気持ちが良いくらい空気が凜と澄んでて、雪は冷たく粉みたいにサラサラして。
こんな綺麗な世界が存在してるんだなぁと。
春とはいえ、北海道は雪解け前でしたからね。目の前の別世界に「これからここで暮らすんだ!」とワクワクしたものです。
そんな風に雪と出会ったせいかどうかわかりませんが、私は雪が”理屈抜きに”大好きなのです。
出会い方のインパクトがあったからかもしれませんし、もしかしたら無意識に、父の故郷だからかもしれません。
雪は綺麗だけれど怖いものでもありました。激しく吹雪いた時や降り止まずいつまでも積もる時などは命の危険さえ感じるくらい、雪はいとも簡単に世界を真っ白に埋め尽くしました。
一方で、あたたかくもありました。
北海道の冬のお家の中はとてもポカポカです。家のストーブを途切れることなくずっと焚き続けているからでしょう。寒さが厳しいので夜も火を切らさないのです。
周りを雪に閉じ込められることで、一層、暖をとり暖め合おうとするかのようで、どのお家に行ってもストーブに灯された火の温もりがホントに心地よかった。
雪深く自然に囲まれた北海道での暮らし。一番のびのびしていたかもしれないなぁ。
子ども時代の自分にとってはまるで夢の世界のように楽しかったですが、一方で、親にとっては厳しい現実だったようです。
そんな北海道での暮らしはまさに夢のように短く、再び本州へと引っ越してしまいましたが。
それにしても雪。
もうそろそろ溶けて、またいつものような日々に戻ってしまうなぁ。
それでもきっと、懲りずにまた雪が降るのを待ち望んでしまう私でしょう。
ベチャ雪でもどうやら雪は嫌いになれそうにありませんね。
( ´ ー ` )