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『急性骨髄性白血病』と診断されるまで
はじめまして。”ぽこ”と申します。
私は数年前、「急性骨髄性白血病」を患いました。
闘病生活は想像を絶するものでした。
ただその中にも様々な出会いがあったり、家族の絆を再確認したり等、つらいことだけではありませんでした。
幸いなことに命がつながり、今こうして生きて執筆ができています。
本当にありがたいことです。
同じ病気で苦しんでいる人や、大切な人が同じ病気になった方の少しでもお役に立てたらいいなと思います。
それではまず、私が「骨髄性白血病」という病気が発覚した時のことをお話したいと思います。
~病気発覚~
あれは丁度、娘が小学校3年生になったばかりの春の事でした。
私は、毎年仲の良いママ友と半日ドッグに行っていました。
その年も例年同様に半日ドッグを受けて帰路についた時…
旦那から一本の電話がかかってきました。
「おい、病院から血液検査に異常があったって連絡が来たぞ!!!直ぐ折り返し本人から連絡が欲しいって…」
慌ててすぐに病院に折り返し連絡を入れました。
「はい。○○病院です。」
『先ほど半日ドッグで伺ったぽこと申します。先ほど家に連絡があったみたいで、折り返し連絡しました。』
「あ!ぽこさん、先ほどの血液検査で異常がありまして、、、正確にお伝えすると白血球の値に異常がみられました…」
白血球…?!
あ、、、これは白血病だ、、、
もう死ぬんだ、、、
こう思ったのを今でも鮮明に覚えています。
というのも当時、本田美奈子さんが白血病で亡くなられた頃で。
私は彼女のドキュメンタリー番組を見ていたんです。
その番組で白血病のことに触れられていたので「白血球」ときいて白血病だと直ぐに分かりました。
私は電話口で看護師さんに問い詰めました。
『私、白血病なんですか?!?!』
「それはなんとも…確定したわけではないので…」
その後、直ぐに病院へ行き、血液内科のある病院への紹介状を書いてもらいました。
家に帰ると旦那が何とも言えないような硬い表情で待っていました。
「どうやったん?」
『私、白血病や…うわああああああああああああああああ』
『もう娘ちゃんに会われへん!まだ小学校3年生やのにどうやってあの子は生きていけば?なんで私なん?!?!』
そう言って号泣したのをはっきり覚えています。
ただ私の旦那は穏やかで優しいというようなタイプではなかったので、号泣している私にこう言いました。
「しっかりしろ!!!!!!まだ死ぬって決まったわけちゃうやろ?!娘のためにも病気治さなあかんやろ?!まだ治療もしてないのに諦めるな!!!」
と。
この旦那の言葉で私は目が覚めました。
そうや…娘ちゃんのことを思うなら病気ちゃんと治さな…
娘ちゃんにはまだ母親が必要や。あの子の成長をみたい!まだ死にたくない!!!!
そう思いました。
ー翌日ー
紹介状を片手に血液内科のある病院へ。
早速、血液検査とマルク(骨髄液を採取して検査する血液検査)をすることに。
検査結果を待っている間、食事が喉を通らずコーヒーしか口にできませんでした。
ただ、この時はまだ心のどこかで白血病じゃないと思っている自分もいました。
今思い返すと、そう信じたかっただけなのかも知れませんが…
どれくらいの時間が過ぎたのかは正直、正確には覚えていません。
おそらく検査後3~4時間は経過していたのではないでしょうか。
「ぽこさーん」
私の名前が呼ばれ、母と診察室へ。
そこではっきりとお医者様の口から告げられました。
「間違いなく、急性骨髄性白血病です。」
あ、やっぱり、、、そうだったんだ、、、
なんで私が、、、、、、、、、、、
激しく落ち込んでいる私を病気の進行は待ってくれません。
すぐに今後の治療の話へと話題がうつっていきました。
隣にいた母もまだ信じられない様子で、医師にこう尋ねました。
「治りますよねっ?!?!骨髄移植をすれば治る病気なんですよね!!!」
『お母さん、骨髄移植というのはそんな簡単な治療ではありません。手足1本失うぐらいの覚悟のいる治療です。』
と告げられました。
今、治療を終えて思うことは本当にその通りだということ。
確実に私の人生で一番辛かったのは闘病生活でした。
『ただ、白血病というのは抗がん剤治療がとても有効なんです。まずは抗がん剤治療、骨髄移植はその後の結果次第です。白血病の治癒率は年々上がっています。今は治る病気です。まずは抗がん剤治療を頑張りましょう!!!』
と。これがその先生との出会いでした。
後に知るのですが、この先生は白血病の治療でとても有名な方だったのです。
その事がどれだけ心強かったことか…
この先生には感謝してもしきれないです。
こうして私の闘病生活が幕をあけました。