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High Castle あるいは、電子書体はポリティカル・コレクトネスの夢をみるか?

Vast Active Living Intelligence System……巨大で動的、活気に満ちた情報網先入観や前提条件なしに素直に読めばだれでも、あなたが今そのほんの一部に触れている「ココ」全体のことだと感じるかも知れないが、勿論そうではない……いや、そうかも知れないんだけどそういうことでもないかもしれなくもないって面倒くさいなオイ。というわけで、かのブレードランナーでおなじみのフィリップ・K・ディックの話なんだけど、ってなんの話?

「21世紀最大の作家」誰かが、早まって前世紀にすでにそう呼んでいたという伝説の持ち主だが、普通に紹介される場合は、SF作家、若しくはアメリカのSF作家、ときたま頭文字に精神疾患とか薬物濫用が付くけど、特にノーベル賞とかピューリッツァー賞、全米図書とかの常連とか、そういう話ではない。あ、ヒューゴー賞は貰ってたっけ、ま、呼ぶだけなら、どんな呼びようでも可能だ。そういう話のような気もする。
前述のVast Active Living Intelligence System略してVALISは、そのフィル・ディックが考えた言葉で、晩年の1981年の作品、まさに厨二病の教科書ともいえる名作「ヴァリス」の中で語られる。これには大滝啓裕によって「巨大にして能動的な生ける情報システム」という立派な日本語訳が付いているのだけれど、まぁ、その、81年という発表年からも察してもらえるとも思うのだけれど、その当時には、当然いまの「コレ」は影も形もないので、いや影ぐらいはあったか……まぁそれはともかく、ディックがタイムマシン的な何かそういう能力を持っていなかったのか……という可能性を除けば「コレ」ではない別のモノにその名がついてるのは分かるよね、って、くどいな……ねぇ、これ小説のネタバレまでいくんだけど、話、していい? あ、……ダメ?

ディックの作品は度々映像化されていてお馴染みだと思うけれど、彼の初期の頃の作品で、翌年のヒューゴー賞受賞作、「The Man in the High Castle」邦題「高い城の男」がリドリー・スコットで映像化、ただし「Amazonだけで、しかも字幕付きしかないからね」版を視聴する機会があったので……正直、最初、期待値そんな高く無かったので評価が甘くなってるかもしれないけど、いや良いです。結構気に入ったかも。シーズン3待ってますよコレ。
で、ま、いろいろ立派なReviewは「巨大にして能動的な生ける情報システム」におまかせとして、知らない人の為に内容ざっと説明すると、戦国自衛隊とか仮想戦記とかの類いの歴史改変SF。もちろんこっちの方がずっと古い、というかむしろそれまでSFの領域ですら継子扱いだった歴史改変モノを文学の領域まで高めたなどという盛りすぎな評価をうけるほどの作品。その映像化で、ざっくり大戦後、ナチとジャップがヤンキーに勝利、つまり「RSBC世界線の北米でディック節が炸裂する群像劇」って話なので、予め言っておくと特定の記号、図像、表象に対して吸血鬼並みの感受性をお持ちの方と、同じく、特定の嗜好品、具体的に言うなら「ある種の植物の葉を乾燥させたモノに火を付けてガスと煙を吸引する行為のための嗜好品」を目にするだけで嗜好品の持ち主に対する攻撃衝動に苛まれるという症例をお持ちの方は、精神の健康を保つためにここから距離を取った方がいい。目に付かないほど遠くへ、それも速やかに。できればココまでの話も聞かなかったことにして忘れてしまったほうがいい。健康は国民の義務だよ。ハイルヒトラー。


いや、しかし、まぁ時代背景があれとはいえ、どいつもこいつもヤニ中かってぐらいスパスパ。フィクションに文句を言ってもしかたがないけど帝国厚生省は何やってんだろうね。総統もお嘆きですわ、これはほんとに……。


今回はこれ。

さて、見て貰えれば分かると思うけど、単純な軸変化。フォント警察的にいうと、上は風評被害の誤認逮捕。下が逃走中の加害者ってナンのことだか分からないって? Futuraにまつわる噂を知ってる人はにやつくかもしれないけど、世の中には知る必要の無いこともあるってことで、コンセプト的にはそういうこと。まぁ真実が入れ替わる、現実はどこ、ってのも……いかにもディック的じゃない?

といっても単純にAからBへのバリアブルフォントってのは、基本的には不毛だと思っている。大抵は中間形がろくなコトにならなくて、本来意図するところのバリアブルフォントの精神とは、甚だしくかけ離れていると言っても過言ではない。ってまぁ今まで散々ろくでなしなコトしかしてきてないのに、どの口がいうのかって話。えっと、いやナンだっけ? で、ま、それ、それなのに何これは? ってのにも、まぁ、まわりクドい説明は必要だろう。



ドイツ語も英語も同じアルファベットを共有こそすれ当然言語がちがうので、同じ漢字というパーツを共有しているだけの日本語と中国語の違いぐらいにいろいろと違う、いやそこまでは違わないか、まぁそれはともかく、たとえばOの上の点々とか、英語では使わないがドイツ語にはないと困る下の文字とか

ちなみに、コレの大文字をナチが廃止させたってのも、なんかそんなこと聞いたことあるんだけど、いや真偽は図りかねますが、こういうことに特定のイデオロギーを持ち込むのは風評被害になるのでね。あぁそれの説明をしようと……また、脱線しそうだ、まぁ、ともかく、それから加えて、ドイツ語には文字の種類の違いが存在する。上の図でいえば右がフラクトゥールのジオメトリックサンセリフ体と左がローマンの同じくジオメトリックサンセリフ。これ書体の形は同じジオメトリックサンセリフだが種類が違う。まぁ、日本語でいえば平仮名と片仮名みたいな感じ? 厳密には違うけど、たとえば日本語ならUnicodeで平仮名と片仮名を別にするのにためらいはないのだけれど、ヨーロッパではそうなっていない。欧州電気技術標準化委員会が仕事してないわけではない。そうなのだけれど、日本人なら普通にひらがなカタカナするように、ドイツではこの文字は使い分けのルールが存在する、というか、あった。おおまかにいうとフラクトゥールは漢字平仮名でローマンが片仮名みたいな、まぁちょっと適当すぎるか……でも、ほんとドイツ語大変。男性名詞女性名詞どんどん長くなる単語とかに加え、英語圏の倍の文字を扱い、さらにはそれぞれの筆記体まであるとなるともう何がなんだか……。
というわけで、合理性の塊、共産主義者の巣窟とナチに思われていた、かのバウハウス(ただし2代目校長のマイヤーがゴリゴリのアカだったのは別に秘密でもなんでもない)のヘルベルト・バイヤーは言いました「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄。もう全部ローマン小文字だけでよくない?」

そうは言ってもフラクトゥールの書法もまだまだ一般的に存在したし、ナチも自分のところのポスターは、丸っこくて弱々しいローマンな書体より、ジャーマン魂溢れるゴツゴツしたフラクトゥールを好んだので、まぁお察し。ローマンよりジャーマン。しかもこれナチ風の退廃倒錯かは知らんけど、さらにジオメトリックなフラクトゥールを生み出してしまうというおまけ付き。そういうわけで、戦後は、逆に使用禁止。その結果。特定の政治的意味を持ち、使用には注意の必要な書体が生まれてしまう……などといえれば物事単純にすみそうだが、ところがギッチョン実体はどうも戦後復興期にドイツの印刷屋が活字を揃える資金がなく、「無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄無駄。もう全部ローマンでよくない?」ってなったのが真相に近い。実際ナチですら、東欧占領下では、物資不足か愚民化政策かは知れないが、バイヤーみたいに「出版物全部ローマンで統一だコノやろー」とか言い出したりしてるので、そこに確固たるイデオロギーなんてものがあったかどうかは……。ただ、まあ、こういう誤解と、現実を超えて、実体を知る年寄りがどんどこ鬼籍入りするに従って、嘘つきと勘違いと変態と安い正義感が結託して誤ったイデオロギーが後戻りできないほど強固になっていくことがあるということは……まぁ事実だ。

しかし、それとは真逆に、こんどは制作者が、作ったフォントを「僕は××イデオロギーなので○○主義者には使わせない」と宣言して行動を起こしたり、それが可能だと信じるのも、これはこれで、ある種全体主義的ではあるのだが、この話も脱線するのでまた後日。


それはともかく、で、まぁこういう軸の両極にそういうイデオロギー(と信じられている)なデザインをもっていって、スライダでポリティカルさを決定するVariable font。というアイデア。軸はリベラルでも、ポピュリズムでも、フェミニストでも、肉でも野菜派でもまぁ何でもアリだ。それぞれが己が信じるにしたがって軸をスライドする。スライダを真ん中にすればするほど読みにくくなるというおまけ付き。いや、ほんと真ん中ってのが一番わかりづらい……っていう洒落かどうかは各自のご判断で。

で、まぁ上の駄文は、ホント屁理屈。ただ、ドラマみてつくってみましたって一言ですむのに、言い訳考える。ポリティカル・コレクトネスだ、正義だなんだってまともな哲学者だって気が狂うのに、こんなことを毎日毎日考えたり言ったりしてるというのは、考える能力が不足していたり、不得手な人はホントやったらダメのヤツだよ。無理に運動したら死ぬのと一緒で、無理に考えると気が狂うんじゃないかということをね、最近は疑っている。難しいことを考えられない人は、考えない方が良い、というか推奨。代わりに体力のある人が弱者をいたわるように、頭のいい人はね、もっと俺のような馬鹿をいたわってくれてもイイよね。ほんと、無理に考えさせると体力ならぬ脳力の限界で死んじゃうかもしれないから、どっちの運動も体によくないよホント。ってまぁこれも屁理屈の一種ではあるのだが……。




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