Anti-intellectualism Variable Sans-serif
1年以上前の話になるけど、眼がおかしくなりそうな頭の悪い思いつきによる読みにくいフォントのはなしを書いたときに、オーストラリアのアカデミズムの人が開発した記憶力が良くなるフォントことSans Forgeticaのことを、こっちで勝手に疑似科学認定しちゃったのだけど、先月末に、ニュージーランドの大学の科学者達によってSans Forgeticaが見事に役に立たないことが証明されてしまった。
と、まぁ、そのこと自体は意外でも何でも無かったのだけれど、そのために被検者882人と4回に渡る実験回数……元の論文が学生400人対象ということだったので、なんとその数倍を超える規模だ。なんというか 分子タイポグラフィみたいな冗談……Woody Leslieをデスっているわけではないよ。まぁ、本気で騙される人もいないと思うのでそういってるだけだけど……いないよね? まぁ、ともかく、そんなかんじのアホな話を偉い人が本気で言い出すと、それを否定するのにも、えらくエネルギーがかかるモノだと思って、そこのところは少し感心してしまったよホント。これでSans Forgetica肯定側から対抗論文が出なければこの件は決着ということになるんだと思うのだけど、なんか最後にニュージーランドの人から「学生には暗記パンを与えるのでは無くて真面目に学習に取り組むように勧めるべきだ」みたいなことを言われていて、そこは、ちょっとフフッってなっちゃったのだけどね。それにつきあわされたオーストラリアののび太君たちにはかける言葉も無いけど。
とはいっても、記憶力は改善されなくてもSans Forgeticaが斬新で読みにくいということだけは否定されたわけではないので、開発を無駄にしたくなければ、そこのところは大声で主張できるところではあるんだろうけど……それに、ほら、また、なんか、違うアプローチから頭がよくなるフォントが開発できるかも知れないし……まぁ、錬金術よろしくゴールドはできないけど開発の過程でいくつもの役に立つ副産物が誕生するかも知れないしね……え? それに意味があるのかって? う〜ん、イグノーベル賞のノミネートぐらいは充分いけると思うんだけど……。
と、まぁ、こんな感じで、予言が当たったみたいなこと言っているけど、適当なことも数打ちゃ当たるで、所詮はバーナム効果みたいな話だからね。いつも別にたいしたことはしていないから。地震も、台風も、洪水も、世界大戦も……ぁあ、これはもう始まってるんだったっけ? しかし、超限戦みたいな落とし所をつくるということがそもそも無理な闘いを始めると、完全勝利するか開始した側が全滅して責任の主体を消滅させる以外に戦争を終結できないというとんでもない事態になるんだけど、そのあたりをどうするつもりなのか……いや、なんでもないです。まぁ、それで、そういうものは、いつかは来るかもしれないので、来る来る言っていればそのうち当たる。来週は中国で何かが爆発します的な予言ならほぼ百㌫って……そういえば、未来から来て掲示板とかに降臨したジョン・タイター的な感じでパンデミックの予言をした人っているんだっけ? なんかここまで大事になってるんだから、一言もないって言うのはないよな……いくら、言えないことがあるとはいっても人情が足らない! なんて、そんなこともどうでもよくて、今回は、超限戦というほどではないにしても、してはいけないといわれていることをやってしまうとどういうことになるかという、そういうお話。
さて、タイトル画像のフォントはスタイル大分類でいうとサンセリフの仲間なんだけど、このサンセリフというスタイルは書体の歴史の中では比較的新しい……とはいっても数世紀の積み重ねはあるけど。これが遙か昔。18世紀に突如として生み出されたときには、当時の人間の感覚ではえらく気味の悪い文字に見えたため、いつしかグロテスクとよばれるようになった……といわれているんだよね。ただ、まぁこのあたり、当時のエジプトマニアによる奇妙で珍奇な流行、古代の碑文の文字なんかの影響とかも考慮したりすると、実際は直接の影響がどこで、どこから始まってどう育っていったのかというのは実はよくわからないんだけど。それで一般的には近代的なサンセリフのその源泉はCaslonを作ったウィリアム・キャスロンの曾孫……で、あっているよね? その曾孫のウィリアム4世……っていうとハノーヴァーのウィリアム4世とごっちゃになるのでキャスロン4世って呼ばれているその曾孫のウィリアムによって19世紀初頭の1816年に誕生した、2ラインサイズ……この場合、活字高は28ポイントっていう計算でいいんだったっけ? まぁ、その2ラインフォントの「英国のエジプト人」という名前の書体だといわれているのだけれどウィリアム自身はこれを単にエジプシャン……つまりスラブセリフの変形と捉えていたようなので、そのスタイルに自覚的になった文字のルーツはというと1832年にヴィンセント・フィギンズにより生み出された同じく2ラインの「偉大なる最初のサンセリフ」であるのだと……この言い方だと何のことだかわからないよね? まぁ、本来これらをそんな直訳な呼び方する阿呆は日本にはいませんが、いや、しかし名前って大事だよねっていう話。こんなふうに名付けられたら、いくら、かつてモノタイプで商業的成功をおさめたかの偉大なるスタンリー・モリソンによるTimes New Romanをライノタイプで改刻したデザイナーにそんなわけあるかぃ! って言われても……え、ややこしくなるから、今その話はいい? まぁ、そのあたりはともかく、そうしてサンセリフが生まれてから約二百年。現在においてはもうこれは、日常空間の中に水や空気の如く偏在しているので、この文字を見てグロさをかき立てられる人間は世界のどこにも殆ど存在しないだろう。なんでこうなってしまっているのかというと、こういうものはいつも言ってるように慣れというのもあるけど、先人がグロさを薄めるために行ってきた、ありとあらゆる技術的蓄積なんかも当然存在していてその結果、逆にニュートラルの極限にまでたどり着いたという……まぁそのへん、いろいろとね、つまりは、そんな感じのスタイルだ。
さて、それで、そのサンセリフなんだけど、これを作るとき美的スキルの乏しい人が、バウハウスチックなイデオロギーに気触れて、やらかしてしまうアルアルのひとつに、可読性より単純化や理念のほうを優先した結果、幾何学的に完璧な図形が実際には人間の目には不完全に見えるということを失念して碌でもないことに……という事態があるのだけれども、コグニティヴが足らない的な感じでもあるのか、この感覚に至らない人にいくら説明しても音痴なんかと一緒で、理屈は理解しても、何度言ってもまったく身に付かないということはあるんだよね。実際のところバウハウスから生まれた数多のフォントのうち現在でも真面に生き延びてこられた書体はFutura一択ということでもお察し。まぁ、なんというかあまりにも頑なに数学的厳密性のことのほうを優先して、そう見えないのは努力が足らないとか、人の仕事を適当呼ばわりと……まぁ、俺が適当でいい加減なのはその通りなんでぐうの音も出ないけど、いや、まぁ、そういう話じゃ無くて、なかなか、そのあたりに納得がいってくれないと説明している俺の方が頭がおかしいんじゃないかって気になってくるからね。まぁ、こういうはなしは、厳密さを求めれば求めるほど個人の肉体の持つ知覚器官の性能部分に拠っていくので、もしかしたら「こいつなんか絶対音感的にフリーハンドで正37角形が描ける絶対幾何感があって、錯視とかに騙されないような出来の脳味噌になっている」のかもしれないのかって本気で疑っちゃったよ。いや、マジで。
だけれど、こういう場合の大抵殆どは、見ているようで、観察しているようで、実はなんにも視えちゃいないというのが正解だったりするんだけどね。汝何看指而不視月という、まぁ、それで、相手がそういう思考の盲点に捕まっちゃっているという感じになると何を話してももう駄目なので、この部分の納得感は相手の信仰心がどこにあるかがわからないと説得のしようがないということに……え〜っと、何の話だったっけ、あ〜、そう、幾何学的に完璧な形が人間には不完全にしか見えないという話なんだけど、このことについてスイスのタイポグラファー、Jost Hochuli は目が騙されていると考えるのでは無く、そのことが眼にとっての真実だと捉えるべきだと言っている。つまり、人のセンサーはそもそもそういう風に設計されているという話で、進化神経生物学者のMark Changiziも邦題がどうしてこんなダサい翻訳になるのかというその日本語のタイトルはいいとして、自著The Vision Revolutionでそのような知覚を生じさせるように進化した結果、人は超能力を獲得するに至ったという肯定的な意義を解説している。まぁ、ざっと、適当に、超要約すると、錯視は錯乱した視覚では無く、ヒトは感知したものを直感と結合して認知する必要のためそう見えるように知覚を進化させていったという話で、これを透視能力や未来予知などの超能力だと大袈裟にいっちゃあ……いるけど、まぁ、何だろうね? 超視でいいか、などと適当な熟語を作っていうと、その超視がないと木の後ろにライオンがいるとか、マンモスがどっちの方向に向かっているかが判らずに人類が進化の過程で絶滅したかもしれないというぐらいの切実な問題だということらしい……もっともそういうこといいだしたら馬でも牛でもこまるだろうから、別にヒトに限った話じゃないよなぁ……なんだけど、語っているうちにはなしがどんどんイイカゲンになっていくので、詳しい話は本を読んでね。まぁ、気分としてはだいたいそんな感じ……よくわからなくなってきたかもしれないけど。
とにかく、そうはいっても、正確に描いたはずの図形が実際にはそう見えないとしたら一体何が正解なのか……上で、「同じ高さの図形は同じ高さに見えず、幾何学的な中央は視覚的に真中になく、交差した線は繋がって見えない」と、まぁ幾何学的正確性が視覚的正確性を担保しないということを図示したけど、このほかにも水平線が垂直線より太く見えるとか、曲率の違う曲線、もしくは曲線と直線の接点に角が出るとか、隣接した垂直線が傾いたり歪んだりするとか、交差した箇所や混み合った箇所が他より太く見えるとか、幾何学的正円は視覚的には丸く見えないとか……え〜っと、まぁ、ちょっと思いついたところでもこれだけあるから、探し出せば他にも山のようにいろいろとある。さらには、キャラクターを並べた時の見た目とか、組み合わせ全てを考慮した場合には……と、それらを一から考え始めると頭おかしくなりそうでしょ? まぁ、案外、作っているときはそこのところは知識と経験と感覚の鍛錬の積み重ねが無意識の中で修正を済ましてしまう部分であるかもしれないということで Don't think Feel だったりすることもあるのだけど、これを別の言い方でするとセンスということになるのかもしれないな……まぁ、今はそういったことも忘れて過去から累々として積み上げた人類の叡智や、どうしたらよりよく見えるかの技術と経験の蓄積やある程度の決まりも……まぁ、そのあたりに興味があれば、そういうことは、そっち方面のちゃんとした、インテリジェンスなところで学習してもらうことを強く推奨するので、こんな戯れ言に付き合う必要は無い。今回は、フォントに冠した反知性主義の名の如く、人類の叡智を一旦ドブに捨てる感じの、そういう、保守的でアカデミックな知識と伝統の蓄積を一旦無視して、やっちゃ駄目といわれることの全部ノセです。まぁ、つまるところ気分は、Capitol Hill ならぬ Capital Letter Autonomous Zoneというところで、まぁスローガンは「a 'project' toward a Fontcop-free world」って感じでどう?
と、いうことでありとあらゆるところをグダグダにしてしまおう。まず、手始めに、ということで、AやVのような三角形をしたフォントの頂点を上向きのほうをApex下向きをVertexと呼ぶけど、普通は、ここをBaselineやCap-Heightに揃えると他の文字と並んだときに縮まって見えるのでそうならないように調整する。また、右に傾いた線は左に傾いた線より細く見えるので見た目でバランスを取る必要がある。線が重なって交差する部分はどうしても黒く見えるので交差部分を食い込ませて同時に斜線の幅も絞っていく必要があるけど、当然そんなことはしていない。
水平線は垂直線より細くする必要があるが、ここも見た目で調整する。このあたりの錯視も周囲の状況や感覚器官に依存するので具体的に何パーセントなどということは専門家でも言えないと思う。まぁ、今回は全く考慮しないけど、太いフォントだと、ここが、八割も縮まっていても案外気が付かない。まぁ、人間の感覚器官のだらしなさにがっかりするけど、この理由は人間の眼が横に並んでいるので縦より横の方が感受性が云々みたいな説明をする人がいる……んだけど、いや、片目で見ても変わらないけどね。なんか、そういういいかたでは俺は納得しないぞ! いや、まぁ、本当のところどうなんだろうね? また、センターのラインをセンターに置くと全くセンターに見えないというのはさっきも言ったけど、それに付随してBのようにカウンターが上下に並ぶフォントの場合はこういうことをすると上の空間の方が下の空間より大きく見えて上に乗った丸く膨らんだ部分、ここをボウルと呼ぶけど、その部分が垂れ下がって見える。これは自然界では重力が働くのでその影響で云々っていう話があるけど、いや、寝っ転がってみても変わらないけどね。ちなみに、逆立ちすると、あ、痛。そもそも、俺逆立ち苦手なんだよ。それは、まぁ、いいとして、文字の上下を単純にひっくり返すと、今度はひっくり返した下、つまり見た目で上の方がやっぱり大きく見える。
まったくデータに手を加えていないにも関わらず……というか、手をくわえていないせいだけど……まぁ、そういうわけで、上下のある文字は下の方を大きく作る必要がある。なので他にもHKPRSXZなどももちろん同様にバランスをとる必要がある。このことを専門用語では上方距離過大錯視などというのだけれど、まぁ、今回はなにもしてない。さらには、BやUのように半円を直線と結ぶと、結んだ直線が反って見えるうえ、カーブも緩やかに繋がって見えず接続部分に角があるように見える。アンカーポイントを見た目で押し引きして調整する必要がある。さらにはボウルの内側の曲線が外側の曲線より遅れて飛び出しているように見えるので、ここも曲線の開始点を移動するなどの処理が必要になる。勿論今回は何もしていない。
Oの上下もApexほどではないにしてもやはりBaselineやCap-Heightから飛び出している必要がある。また、上方距離過大錯視の影響もあり正円にはまったく見えないので縦横の調整、外円と内円の調整といろいろやらないといけないことはある。まぁ、なにもしないけど。
Xのような交差した線が繋がって見えないことをこの錯視の考案者の名前を取ってポッゲンドルフ効果とかポゲンドルフ効果とかって呼ぶらしいけど、その場合の対策としては斜めの線を繋げない、上下のラインの角度や線の太さを変えるなどの対策が必要になる。また交点は黒みが強くなるのでここへ向けては線を絞っていくなどの小細工も必要になる。左右も斜線の角度が揃って見えないのでここも見た目で調整する。まぁ、そんなことは一毛ほどにも考慮しないけど。
というわけで、幾何学的に正確に描いたフォントを作成して、まったく幾何学的に正確に見えないフォントを作ったというお話。まぁ、それで、ここにどんな意味があるのかというと、実を言うとこのフォント、本来は、ここから派手に錯視対策を施して、そこへバリアブルに接続したら何か途中で面白い効果が生まれるのじゃ無いかと思って制作しようとしていたその制作途中の段階だったのだけど、まぁ、いつもの如く途中で制作がストップしてしまっていたので、そのフォントを引っ張り出して、名前を付け替え再利用という、そういうくだりだ。したがって、これだけだと本当に意味がなさすぎるような気もするけど、タイトルの画像のように上下のBaselineとCap-Heightに帯を敷き、それで文字を挟んだビジュアルを作成するような場合、Apexやループがラインから飛び出さないので、既存のジオメトリックなサンセリフよりも案外こういう意匠使いをするときは使い勝手が良いじゃないなどと思っちゃったりもしたのでね。それに、一応バリアブルフォントなので、ウエイトが自由自在なところも良い感じ。ただまぁ、やっていることがあまりにもミニマムすぎてテロリストもかくやの所業。まともな人たちを怒らせた揚げ句フォント警察にも逮捕されかねないような悪行にみえるかもしれないけどね。
それでも、まぁ、良い悪いは別として、先人の知的財産を引きずり倒し、大西洋航路を発見したコンキスタドールの死体蹴りをするような下品な行為に意味があるのかというと、そこまで酷い話ではないけど、実はこういうミニマムな構成は最近のフォント制作のトレンドになっているようで、典型的な例はMinusculeのタイプフェイスでTDCを受賞したことのあるフランスのタイポグラファー Thomas Huot-Marchand の Garaje で、このフォントは視覚調整的なコトを徹底的に無視するようなやり方をするというコンセプトで大勢のファミリーをもつ書体を制作している。Fonts In Use で検索してもらうとわかるけど、こんなものでも、本文組から掲示板まで結構幅広い用途で使用できているんだよねこれが。また、有名な書体でいうと、ドイツ在住の日本人小林章が、ドイツ工業規格書体ことDINの改刻に関わっているのだけれど、2009年に発表されたこのリデザインされたDIN NEXTは視覚調整が控えめなオリジナルに比べてもさらに切り詰められていて、下の図を見てもらうとわかるけど、Xとかポッゲンドルフ効果に対する対策が元のDINと比較しても、さらに、まったく、なにもなされていないように見えるデザインになっている。もちろんこういうことを、俺がやればフォント警察に8分46秒頸締められるという事になるのだが、同じようなことも上級国民ともなれば見逃してもらえるという、そういうところがレイシズムっていうとこだぞ! まぁクソ安い正義感が一番質が悪いのだけれども、それでも自警団気取るなら少しはそういうところに自覚的になったほうがいいと想う。まあ、そういう戯言はともかく、話を戻すと、当然、もちろん、DIN改刻にあたって、小林章ともあろうお方がこんな基本的なところに気がいっていないなんてワケは全くあり得ない話なので、当然意図的にそうなっていると考えるべきだ。この場合、DINを改良するにあたっては無印に比べてNEXT、つまり新しいほうが、角を研削してテーパーをとり、キャラクターに上品な加工を施しつつも、視覚調整的な部分を切り詰めることによって全体にクリアで高品質な工業製品のイメージを表現するのに成功している……的な意図があるという感じの、まぁ、そういう狙いが存在すると考えるべきだろう……小林氏ではないのでわからないけど、でも、実際そんな感じにみえるよね? まぁなんだ、俺みたいなフォントテロリストに言われたくはないだろうけど。
で、こういうトレンドがどこから来ているかというと、フォント制作環境が開かれてきていて、基本のキの字も判らない新参者の若造が、いきってやらかしていると考えるよりは……まぁそういう側面もあるかもしれないけど、それよりは上のDINの例のように教科書通りのゴテゴテで古典的な錯視対策を施すよりもにこっちのほうが時代のケースによりよくマッチングするデザイン様式になってきているということではなのいか……と考える方が精神衛生上はいいだろう。最近では文字を紙の上で見るよりは、よりクリアに高精細のモニター上のテキストで見ることになれてきていて、紙上での錯視対策がモニター上で見ると歪んで見えるとか、逆に、そういったクリアな図柄に慣れてきてヒトの眼がエボリューションしてしまい古典的な錯視対策のほうが鬱陶しくグロテスクに見えるように眼が進化してしまったのではないかとか、そもそも文字に幾何学的正確性を求めていないので、錯視がバンバン起きていてもそういうところが気にならなくなってきたとか、まぁ、よくわからないけど、そういうこともあったりするかもしれないと、そういう感じで、案外こういうタイプの単純な設計の文字のほうが移動体のVRディスプレイのようにフロントガラスでカーナビするとか、そういう用途には向いてきているのかもしれない。もっとも、それをするためにはISOで定めるいろいろなコンプライアンスをテストしなきゃいけないので、製品化してそこまで到達するのは相当厄介なのだけれども、そういう話をはじめるとまたグダグダになるのでそこから先はいいとして、まぁそんな感じで、そういった時代的雰囲気があるんじゃないかなということも愚考するわけ。個人的にはね。
とはいっても、ここで作った文字はそういうトレンドとは別段まったく完全に無関係。単純にやってみただけというわけで、いや、しかし、今回、本当はANT……絡みの別のネタを思いついてはいたんだけど、なんだろうね、こいつら、頭が悪いのか、意図的にやってるのか、センスが足らないのか、本当に主張がまとまらないのか……もうバラバラすぎてこっちの考えた仮説に対するサンプリング収集が上手くいかなくて……え、なんの話かって? うん、まぁ、ここでするようなネタなのでそういう話だと思ってください。あ〜、待てよ、まぁ、こういう場合バラバラでもいいのか? う〜ん、だけど、しかしなぁ……まぁ、いいや、このあたりはまたそのうち。
それで、まぁ、イイカゲンに見えることでも、考えて見えるようであれば問題無い。デザインの神様は細部に宿るということもあるのだけれど、細かい事は気にしないということも大事。最後はバランスということで、それでもやっぱりSans Forgetica並みに頭の悪い反知性主義的なことをやるためにもそれなりに理屈も必要だというところになって、頭に戻って回り落ち? まぁ、そろそろ今回も追い出しの時間とあいなりました。